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バービー|笑顔の奥に潜む、消えゆくステレオタイプの行方

アメリカでは今年1のヒットらしいが、日本だとそこまでのヒットに至っていない『バービー』。以下の3つによって、「うーん観なくていいかな〜」となってしまっているかもしれない。

『バービー』が観られない理由

(1)オッペンハイマーとの絡みで炎上
アメリカでは『バービー』と同日に「原爆の父」として知られるロバート・オッペンハイマーをモデルにした作品『オッペンハイマー(監督:クリストファー・ノーラン)』が同日の7/21に公開された。両作品ともに大ヒットで、それを盛り上げたいファンがバービーとオッペンハイマーをかけ合わせた「バーベンハイマー(Barbenheimer)」という言葉を作り拡散させた。
さらに バービーとキノコ雲や、バービーとオッペンハイマーをキノコ雲の背景とともに組み合わせた画像がSNSで出回り、バービーの公式アカウントがそれに反応したことから大炎上。『バービー』日本公開前の時期の炎上だったが、作品のイメージを悪くした。

(2)感想合戦
日本公開後は、各所に作品の解釈に関する感想が溢れた。
「フェミニズムガ〜」「監督のグレタ・ガーウィグガ〜」、そういった感想を目にすると、「映画好きのための映画か…」と距離を感じてしまうかもしれない。

(3)バービー
そもそも日本ではバービーよりもリカちゃんの方が人気?ということがあるかもしれない。
Googleトレンドで検索ボリュームを調べると、2016年頃からリカちゃん>バービーになっている。

Googleトレンド「バービ(赤)」と「リカちゃん(青)」の検索数推

また、多くの男性はバービーで遊んだことはなく、興味がわきにくいだろう。

予告編から伝わる作品内容も『バービー 人間の世界へ行く』といったもので、ハリウッドによくある「人気IPを実写にしてみましたー!」ノリだと思われるものだった。

バービーを観たほうがいい理由

しかし、『バービー』はシンプルにエンタメ作品としてとても楽しいものだった。
主演のマーゴット・ロビーはバービーそのものだ。スタイル、笑顔、全身からあふれる前向きさ、バービーを実写化するなら彼女しかいない、と言わざるを得ないほどハマり役だし、彼女の演技力を感じる。

忘れてはいけないのが、助演のライアン・ゴズリング(『ラ・ラ・ランド』での主演が記憶に残っている人も多いだろう)。
バービーのようなIP作品に出演するイメージがなく、「どうケンを演じるのか、浮いてしまうのではないか?」という気がしてくるが、観終わってみると彼なしでバービーのヒットなしと言えるほどの頑張りが見られた。バービーに一直線でマッチョイズムを信望する金髪アメリカンを振り切って演じきっている。

2人と魅力的な脇役陣によって、最初から最後までハイテンションが継続。
言ってしまえば「行って帰るだけ」のシンプルなストーリーで、尺も120分以内で収めている。
予告からはハードルが高そうな印象を受けるが、観てみるとそんなことはない。バービー好きもそうでない人も、感想中毒な人も感想とかいいのでその場を楽しみたい人も、「あー面白かった。じゃあご飯食べようか。」と単純に作品として楽しむことができる。

バービーはバービー、ケンはケン

そして、男女、フェミニズムを考える作品として『バービー』はどうだったかについても少し書いておこう。
(以降、ネタバレあり)

ストーリーの多くの部分を占める話題は「男性のマッチョイズム、男性中心社会への批判」だ。
馬が好き、筋肉を誇示する、ゴッド・ファーザーについて語るetc…
それらの「”男性らしい”もの」でバービーランド(否、ケンダム)を支配しようとしたケン達だが、バービー達が結束しケンダムを転覆させ、男女/バービー&ケン平等なバービーランドを作りあげるのが大筋となっている。

もちろん「バービーとケンは幸せに暮らしました。めでたしめでたし。」では終わらない。
マーゴット・ロビー演じるスタンダード型バービーは人間になりバービーランドから人間界に行くわけだが、そのラストシーン(レディースクリニックに訪れるシーン)に関する解釈が考察好きを騒がせている。まあ、あーだこーだ言って考えてもらうこと自体が監督の狙いなのだろうし、100%これだという答えはない。

あーだこーだの1つでしかないイチ解釈だが、私はこう思った。

男女平等にはいくつか段階があるように思う。

1段階目は「男性が男性社会の中で築いていた立場に女性が立つ」というものだ。
例えばキャリアウーマン、バリキャリという言葉。元来「強い意志を持ってキャリアを築き、バリバリ働く」のは男性であり特権だった。
それが普通でそうしていたからと言ってなにか言われるわけではない(だから「バリキャリ」で男性のことは指さないし、キャリアマンとは言わない)。
女性が社会進出するようになり「男性が男性社会の中で築いていた立場に女性が立つ」ようになったので、常態ではなかったのでそういった言葉が生まれたということだ。

ただそれはあくまでステップであり、時代は次に進もうとしている。
だから『バービー』でも1段階目を結論(例えばバービーが人間になりキャリアウーマンとして活躍するというもの)としていない。

『バービー』のラストは「レディースクリニックに訪れる」だ。
これがどういうことかというと、「女性だから男性だからは関係なく”その人が取りたい選択を取る”」ということなのではないだろうか。
1段階目の目線だと、「レディースクリニックに行く?妊娠した?働かずに子育てする?昔ながらの女性の役割にハマりすぎてない?」となるだろう。
しかし、バービーは真っ先にオフィスビルに向かわずに、クリニックを訪れた。

家庭に入れば女性っぽい選択と言われる、仕事バリバリすればバリキャリと言われる、レッテルを貼られるのが今だとしたら、
どんな選択をしても「いいね、あなたらしいわね」と言われるのが次の段階ではないだろうか。

入り口がバービーなので、冒頭に書いたように間口が狭いように感じられるのがもったいないが、単純にエンタメとして、社会を考える機会として、良い作品だと思う。


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