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誰かの傘

 コンビニで買い物をして、帰ろうと思ったら、雨が降ってる。
 あー、傘忘れた。
 このままぬれて帰るのは嫌だなあ。
 そう思ってたら、傘立てに、いくつものビニール傘が立ててあるのを見つけた。
 やった。
 おれは適当なビニール傘をとって、それをさして家に帰る。
 
 盗んだことの罪悪感はなかった。
 だって、ビニール傘なんて、どれも同じようなもんだし、どうせ安いし、盗られた人も、また買えばいいでしょ、と思った。
 だから、帰宅して、うちの傘立てにぶっさして、これからもこいつを使い続けようと思った。

 それから日々が過ぎて、梅雨なので連日雨で、おれは盗んだビニール傘を、毎日使ってる。
 別に、他にも傘はあるのだけど、使いやすいというか、サイズがちょうどいいというか、なんか軽くて安いのがいいな、と思う。
 軽くて安い。
 だから、おれがこれを他のやつに盗まれても、別に腹はたたないだろう。
 こんなの、また買えばいいし。

 で、ある日、コンビニで買い物をして、帰ろうとして傘立てを見たら、見事におれの傘が失くなっていた。
 へえ、と思う。
 盗まれたのだ。
 おれの傘が。
 でも、それはもともと、おれが盗んだ傘だった。
 だから、盗まれたわけじゃないのかな?
 おれのじゃないから。
 じゃあどういうことだ?
 もともと盗まれた傘が、また違う人の手に渡ったのだ。
 まるで共有されてるみたいに。
 もともとは誰かの傘だったけど、おれが盗んだから、この流れが生まれたのだ。
 これは、良い流れか?

 おれにはわからない。
 だって、おれの傘ではなかったから。
 だから、盗られてもなんとも思わない。
 良し悪しを判断できるのは、もともとの持ち主だろう。
 で、おれはビニール傘を買うことにするが、コンビニで買おうとすると、800円くらいして、結構高いことを知る。
 ビニール傘のくせに。
 そう思っても、なにも変わらないけど。

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