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浦島老太郎

 おれが箱を持った老人を見つけたのは、早朝の散歩道だった。
 薄暗く、人気のない散歩道で、ふと、海辺に目をやると、そこに人影があり、普段は誰もいない時間帯だったから、不思議に思い、近づいてみると、その人影は老人で、手には箱を持っていて、なんだかぼんやりとした表情だった。
 おれが近づいても、おれが見えてるのか、見えてないのか、わからなかった。
 白髪で、古びた着物みたいなのを着ていて、なんとなく男性っぽいのだけど、でも、こんな人は見たことがないな、と思う。
 でも、同時に、ここは都会だし、見たことのない老人が、こうして海辺にいても、あまり不思議ではないのかもしれない、とも思った。
 俺に気づいてるのかはわからないし、このまま放っておいてもいいかもしれないけど、でもなんとなく気になるし、声をかけてみることにした。
 「あのう…」
 小さい声だ。
 老人相手に、我ながら情けない。
 「もしもーし」
 まるで電話みたいだ。
 老人はびくともしない。
 「すいませーん!」
 お、大きい声がでた。
 すると、老人はこちらを向いた。
 おれに気づいた、のか?
 「なにしてるんですかー!」
 すると、老人は言った。
 「わがんね」
 わがんね。
 わからない、のか?
 わからないまま、箱を持っている?
 おれはますます気になってしまう。
 「ちょっといいですか」
 おれはそう言いながら、老人の持つ箱に顔を近づける。
 それは、遠目ではわからなかったけど、意外に高級そうな箱だ。
 しっかりした作りに見えるし、なにかの宝箱みたいだ。
 「ちょっと見せてもらえますか」
 と言い、おれは無理やり、老人から箱を奪ってしまう。
 だって、老人は耳が遠いみたいだし、なにをしてるのか、自分でもわからないみたいだし、と心の中で言い訳をしながら、箱を手に持ち、角度を変えて、じろじろと見てみる。
 でも、そんなことをしても、なんの箱なのかはちっともわからない。
 老人は、そんなおれを黙って見つめている。
 おれの好奇心はますます募るばかりだった。
 「これ、開けてもいいかな」
 おれは老人に訊く。
 でもそれは、一応訊いたよね、という儀礼上のものだし、どうせこいつ、耳が遠いし、なにも言わないよね、というおれの勝手な考えによるものだった。
 でも、それを聞いた老人は、急に目を見開いて、よぼよぼとした手を振り上げ、その箱をおれからもぎとってしまった。
 おれはビックリして、うわっと声を上げてしまう!
 なんだ急に…!
 老人は、また元のまま、箱を持っている。
 表情も元のぼんやりした感じ。
 おれは一人、困惑している。
 この箱に、なにか謎が…?
 おれは考えて、そして決める。
 「おじさん、おれのうちに来ないか?」

 一時間後、おれは老人と二人で、朝ごはんを食べている。
 老人に、おれと同じメニューが食べれるだろうかと思ってたけど、そんな心配はいらなかったみたいで、卵かけご飯や、みそ汁を、ガツガツと食べている。
 まだ、歯も頑丈みたいだし、食欲も旺盛だ。
 おれはそんな老人の食欲に感心しながら、朝の天気をチェックしようと、リモコンでテレビをつけた。
 それでいつものように、女子アナの声が部屋にひびいた途端、老人は、うわっと声を上げた。
 そして、女子アナの声が聞こえるテレビを、驚いた顔で見つめていた。
 その驚いてる表情は、まるで初めてテレビというものを見たようだった。
 まじまじと、テレビを見つめている。
 今時、こんなおじいちゃんはいるだろうか?
 おれが勤めている老人ホームにも、テレビに驚く老人なんか、いなかったと思う。
 なら、なぜ驚いてるのかな…?
 おれは訊いてみる。
 「ねえ、テレビ見たの、初めて?」
 老人はこちらに目を向けない。
 おれは質問を優先したくて、テレビを消す。
 老人はそれにも、びくっと驚く。
 「ねえ、テレビ見たことないの?」
 すると、老人はこちらを向き、
 「てんにょさま」
 と言った。
 てんにょさま?
 なんだそれ?
 おれはスマホを取り出して、グーグルに繋ぐ。
 検索。てんにょさま。
 それで出てくるのは、天女様というものだ。
 天国にいる、羽衣を羽織った女の人。
 これのことか?
 テレビも見たことのない老人は、天女様のことを思い出したのか?
 どうして?
 テレビを見ていて天女様?
 あ、女子アナのことかな?
 朝の天気予報で、女子アナが着ていた服や、若い見た目などが、テレビというものの不思議さも相まって、天女様を思い出させたのか?
 なるほど。
 おれは老人を見る。
 老人は、天女様を思い出したからか、表情が少しだけ、寂しげに見えた。
 老人は、天女様のいるところから、やって来たのだろうか?
 海辺、箱、天女様。
 これらの点を結ぶ線はなにを描くだろう?
 おれは考えながら、朝ごはんを食べる。
 でも、老人は、さっきまでガツガツ食べてたのに、まったく食べなくなってしまった。
 天女様がいないから?
 寂しいから?
 なら、テレビを点けておくか?
 テレビでもスマホでも、今時、天女様なんていくらでもいるだろう。
 天女だらけだ。
 そして老人が夢中になってる隙に箱を…
とおれは適当に計画するが、やめておく。
 なんか、老人を騙してるみたいだから。
 なにも知らない老人を。
 かわいそうな寂しがりを。
 だから、ひとまず、放っておこうと思う。
 箱のことも、どうでもいい。
 老人は不思議だが、おれはその不思議に巻き込まれたくない。
 そのためには、普通にしていよう。
 おれは朝食を食べ終えて、老人の分を片付け、食器を洗う。
 やがて仕事に行く時間になる。
 おれは、簡単に食べれるご飯を、テーブルに置いておく。
 そしてカーテンを閉めて、仕事へ向かう。
 不思議な老人を、家に残して。

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