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仕事、入稿、そして発熱

4月12日(月)

休日出勤日。午前中しゃべり通しで、空腹で泣きそうになる。大きな声を出すとお腹が空く。そんな当たり前のことを忘れていた。

午後、部署の会議。一年間の仕事分担を決める。私は芸術&文化担当です。大変だけれど自分の裁量で決められて楽しいやつ。

一時間くらいかかって担当持ち場の飾り付けをした。


4月13日(火)

今日から通常営業の仕事。しかし仕事のやり方も内容も、去年までとは大幅に違う。何より違うのは自分のテンション。明るくはきはきしようとするも、これが本当に疲れる。とにかく疲れる。3月までゆるゆる働いていたので早朝出勤も残業も本当に疲れる。去年の名残のような仕事が一つだけあり、それだけ素の自分のテンションでやれて楽しかった。

行き帰りの電車で酒日記の原稿を書き、帰宅してからは仕事の資料を作る。


4月14日(水)


早起きと残業に慣れてくる。今年度は朝一の仕事が少ないのでそれはありがたい。昼近くになるとだいぶ元気が出てくる。


4月15日(木)


最近入眠時幻聴で子供の甲高いしゃべり声が聞こえる。ちゃんと内容のある話をしているようなので、それを一生懸命聞こうとしていると半分寝ているはずなのにすごく疲れてしまう。しかし「これは幻聴だ」と自分から切り離そうとすると目が覚めてしまう。
寝ている間も仕事のことや原稿のことで頭がフル回転している感覚がある。そして二時間ごとに起きる。疲れているので爆睡したいのだけど難しい。

仕事で広報用の写真を撮られる。会社に女が少ないからって数合わせで私を登場させようとするのやめてほしい。

帰宅して原稿を書く。


4月16日(金)

仕事仕事仕事仕事自転車操業で仕事。T氏と夕飯ついでに一杯。仕事の話。T氏に仕事の話をしないと先に進めないかんじがある。

帰宅して原稿を書く。しかし力つきて寝る。


4月17日(土)

午後休だけどもちろん丸一日仕事。20時からゴッドハンド生体を予約していたので、乗換駅の永田町の駅ナカで夕飯を食べることに。週末夜の渋谷で混んでいない店を探すのは無理だろうし。永田町駅ナカのフードコート的なスペースはガラガラで電源があって最高でした。がっつりしたステーキセット的なものを食べる。時間まで居座って原稿を書いた。

ゴッドハンド整体では、「体のゆがみが少しずつよくなってきてます」と言われ、一日何十人も一人で見てカルテもないのに、ついに個体として認知されたらしいことに驚いた。ゴッドハンドに認知されたことを誇りに、正しい姿勢を意識して生きよう。

帰宅して入稿直前の既刊PDFを確認する。そして原稿を書く。日付が変わってから寝る。

今日は命日だった。震災から10年ということはその人が亡くなってから10年だ。どこに向けて手を合わせればいいのかわからないまま10年たった。


4月18日(日)

〆切直前、『東京一人酒日記2』の進捗はまだ三割に満たないというのに、こんなにせっぱ詰まっているというのに、私はまた魯肉飯を食べに行ったのです。それも朝から。『東京一人酒日記2』の取材とはいえ、取材したらそれをまた原稿におこさないといけないわけで、これまでの取材分もまだまとまっていないというのに、何でまた作業量増やしているのかという。まあでも食べたかったのだから仕方ないですね。

おいしかったです。

その後池袋のコメダコーヒーに移動して、メイコと編集会議。メイコの小説にあれこれ言ったり、酒日記のレイアウトを決めたり。予定のあるメイコと別れたのち、私は百均に寄ってから近所のカフェで原稿執筆に励んだのでした。


4月19日(月)

午前中はひたすら原稿執筆。午後は、ローン審査のあれこれのため、区役所→水道局→銀行をめぐる。
銀行についたら「住民票はないんですか」と言われ、え、必要ならおまえ事前にそれ言っておけや…他の書類とりに役所行ったんだよ今日…という気になる。「まあ、この時間ならまだ役所もやってますよね」と言われ、そういう問題じゃねえ人の時間を何だと思ってるんだ!!と心の中でキレる。しかしこちらは借金をさせていただく身なので不満を表に出すわけにもいかず。

今日は『東京一人酒日記2』の最後の取材に行くつもりで店も決めてあったのに、計画がパーだ。区役所に行ってから酒と総菜を買って帰り、おとなしく自宅で飲みながら原稿を進めた。


4月20日(火)

早朝にメイコに原稿を送る。日中はばたばたと仕事をする。

T氏と軽く夕飯ついでに飲もうと言っていた。早い時間から飲んで早くに解散するつもりだったのに、定時過ぎに会議を設定されて、T氏との待ち合わせに間に合わないことが確定。もう泣きたい。原稿も仕事もがんばってるのに次々にいろいろ起こってなにも思い通り進まなくて泣きたい。とか言いつつおまえT氏と会う余裕はあるんかい、と心の中の自分が自分を責める。

何度か迷惑メールを送ってきたアカウントから、今日は「無視してるの?」という文面の迷惑メールが来て、迷惑メールなんて無視する以外にどうすりゃいいんだよ、と思う。前の勤め先のパワハラセクハラ上司もポエムメールを送ってきて、それに返さないと「無視してるの?」と送ってきたなと思い出して気分が悪くなる。なんでもなく暮らしていてもこうして些細なきっかけでトラウマはよみがえります!迷惑メール、まじ迷惑!


4月21日(水)

仕事で不穏な予兆が出てくる。対応に追われる。

最近は毎日「無限にコーヒーが出てくる部屋」で仕事をしているので、自分でコーヒーを淹れることがまったくない。しかし「無限にコーヒーが出てくる部屋」はマグカップになみなみコーヒーが出てくるし、わんこそばなみにそっこうで注ぎ足されるのでカフェインをとりすぎている気がする。夜うまく眠れないのもそのせいか?

5月文フリでの新刊の売り上げ金を、ミャンマー市民の支援団体に寄付する決意を固める。新刊がまだ完成していないのに(ってかまだ原稿執筆に悪戦苦闘している段階なのに)、そんな決意だけ固めてどうする、とも思うのだけれど、それを決めたら不思議と覚悟が決まって、いい本にしなければと改めて思ったし筆の進みも早くなった、気がする。


4月22日(木)

仕事で、昨日の不穏な予兆とは別のトラブル発生!!

私はわりとやっかいな仕事を引き当てる率が高くて「引きがいい」「持ってるね」と言われることが多いのだけれど、四年前に比べたらまあ平和すぎるくらい平和ですよ……(遠い目)。気の持ちようかもしれないけれど、「今年の私は幸運だし、解決できない問題は起こらない」と胸をはっていられる自分がいる。なにが成長したわけでもないけれど、四年前より周囲に助けを求めたりするのが上手にはなったと思う。

とはいえ、トラブル対応はだるいししんどいので、周囲の人にめちゃくちゃ愚痴っていく所存です! みんなやさしくて協力してくれたりお菓子をくれたりするのでありがたいです!

夜、メイコと電話をつないでデータの最終チェック。そしてしゃんぶるぶらんしゅの新刊と既刊の入稿を無事に完了!!

私の『東京一人酒日記2』は延長戦に突入です。


4月23日(金)

部署内で、仕事のトラブルが同時多発する。新人をフォローする立場の人が、一通り終わった後に新人に説教していてどうかと思う。しかしその説教の隣で同期の別の新人は俺関係ないとばかりにへらへらしていて、それはそれでどうかと思う。私は私にできる新人のフォローをしつつ、自分の持ち場のトラブルに自分で対処して、早々に退勤しました。

私は職場の人と飲みたい気持ちが全然ないけれど、去年今年入社の新人にとっては、若手同士の「まあ飲みにでも行こうよ」が封じられてるのはなかなかしんどいだろうなあと思ったりする。

『東京一人酒日記2』の取材・最終回。赤坂で肉を食べた。

肉最高!ありがとう肉!私原稿がんばるよ!
入稿まで時間がないので食べながら本気で原稿を書いた。


4月24日(土)

午後休なのに午後に重要な仕事が入っていて結局休む間もなく働く。トラブル対応を今日中に片づけたかったけれどそんな時間もなく、明後日私が休日出勤することになる。誰が悪いわけでもないけれど、本当に体力的精神的そして原稿の〆切的にしんどいので、リーダーに八つ当たりした。

午後の仕事はつつがなく進む。

釜飯屋でハイボールと釜飯をかきこんでから帰宅して、『東京一人酒日記2』のルーロー飯特集の原稿に着手。しかしへろへろでまったく気力が追いつかないのであきらめて寝る。


4月25日(日)

4時頃起床。そのまま起き出して原稿に着手。後先考えずにこんなにルーロー飯食いまくったの誰だよ、せめてちゃんと取材のメモ残しとけよ、と過去の自分を呪いながら作業していた。食事の支度をする余裕がなく、昼ごろにウーバーイーツを決める。台湾屋台料理屋で何品も頼んで、何回かに分けて食べた。台湾クレープおいしい。さすがにルーロー飯は頼まなかった。丸一日かけてルーロー飯特集の原稿すべてをメイコに送った。

その後、これまで提出した原稿の直しとあとがきを送って、倒れるように眠った。午前二時。


4月26日(月)

眠りが浅くて、また早い時間に起床。リノベ会社とのやりとりや現在の賃貸契約更新を済ませる。いろんなことが同時に重なってテンパりすぎている。昼前に出勤してトラブル対応。ねえなんでポメラはTo LOVEる一発変換なの?

午後、一旦仕事を抜けて新刊データの誤字チェック。誤字ありすぎてメイコごめん、となる。正誤表を作ったら修正個所がA4丸2ページあった。

仕事に戻って、またトラブル対応。部署のリーダー、こういうときは頼れる。たぶん頼られたいのだと思うので私はめちゃくちゃ頼る。そしていろんな人に助けてもらったのに終わった瞬間に一人ダッシュで退社する。なぜなら今日は私の定休日だから。そして明日が私の本の入稿〆切だから。

トラブル対応中は気づかない振りをしていたけれど、喉が激痛で唾を飲むのもうまくいかない。そして背中に微妙な悪寒。家に二本ほどある体温計は行方不明かつたぶん電池も切れているので、薬局に寄って買って帰る。
あたりまえのように熱がある! そして喉が痛すぎて声が出ない! 水分とった方がいいやつだけれど水飲むのもしんどい! でも食い意地はってるからコンビニ飯は食う! しかし痛い! 寒い! やばい!
本の編集を請け負ってくれているメイコに電話会議ができない旨を伝え、LINEの文面で入稿直前の校正等々のやりとり。パソコンの前に座っているのもしんどかったので、私は病床六尺スタイルでベッドの中からメイコにあれこれお願いしていました。スマホ時代を生きていることに感謝。メイコからデータアップロード完了画面の写真が送られてきて、半泣きで喜び合う。メイコに編集をお願いしている身にもかかわらず、原稿は遅れるわ入稿直前に病人になるわで迷惑と心配をかけ通して本当に申し訳なかった。

即寝る体勢になったが、悪寒がして熟睡できず。しかも唾液を飲み込む度に激痛で目が覚める。最悪。


4月27日(火)

朝になったら解熱していたので、相変わらず声は出ないけれど出社。しかしだるい。どうにもだるい。働いていたら体温が上がっておでこあたりがしゅうしゅう熱くなっている気がしてきたので救護室へ。熱、当たり前のように上がっていたので早退。ここ十年、インフル以外で発熱が続いた経験がないので、感染を覚悟する。帰宅して発熱相談センター的なところに電話すると、近所の病院を3つ教えてくれた。一番家から近い病院に電話すると、50分後に発熱外来の予約がとれて、そのときにPCR検査もします、とのこと。なんかもっと面倒な手続きがあったり何時間も何日も待たされたりするのかと思った。

指定された時間に病院に行った。医師も看護師もめちゃくちゃ距離を置いてパーテーション越しに会話や診察をしてきて、「マスクをはずしたら一言も話さないでください」「私のほうは向かず、鏡を見ていてください」と言われて、そのくらい大変な感染症なんだよな、と改めて実感した。決してこの感染症を軽視しているつもりはなかったけれど、医療従事者の人たちがいかに神経を使っているか、大変な思いをして働いてくれているか、本当にはわかっていなかったと思う。そして、自分自身が感染したときに仕事にどんな影響が出るかも。人相手の仕事だから、一日に何十人何百人と接触する。知らぬ間に誰かに感染させていたら? と考えると不安でいっぱいになる。

PCR検査は唾液をとるだけで、ものの一瞬で終わった。お会計も、解熱剤などを入れて2000円ちょっとだった。

帰宅して職場に電話を入れる。解熱剤がきいて、だいぶ身体が楽になる。


4月28日(水)

PCR結果待ちなので出勤せず自宅待機。もうすっかり平熱に戻って、喉の痛みもほとんどないけれど、いつ味やにおいがわからなくなるか、咳が出るかと不安で仕方ない。

不安にかられながら仕事や読書をするのは難しいし、文フリに出られるかもわからないのに新刊の宣伝をするのもはばかられて、一日中DMMのセールで購入した「鬼滅の刃」を読んでいた。

夕方、昨日の病院から電話が来て、PCR検査の結果が陰性だったと知らされた。安心してちょっと泣く。職場と友人に即連絡。
ずっとマスクをしていて、誰かから風邪が移ったとも考えにくいし、疲れが出ただけだったのか。私、そんなもろかったっけ? 加齢?免疫力低下してる? 「10年働いてきて、インフル以外の体調不良で仕事休んだことないのに」と思ったけれど、感染症流行以前は体調が悪くても発熱していても休まなかった(休めなかった)だけだった。「熱があっても働く」が美徳ではないという認識が広がって、熱があるから早退します! 休みます! と堂々と言えるようになったのはありがたいと思う。

T氏がコンビニで食料を買って届けてくれた。ありがたい。ヨーグルトや総菜だけでなく、ハーゲンダッツや缶ビールも入っていた。

鬼殺隊の闘いを最後まで見届けてから寝た。私は長女だけど、長女だからという理由ではなにもがんばりません。これからは体調崩すほど無理しないようにするし体調崩したら休みます。おやすみなさい。

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