「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」をやっと観た!

6月27日(土)

仕事に慣れて、週の頭から終わりまでがあっという間に感じられるようになってきた。コーヒーを飲み、蜂蜜をのせたヨーグルトを食べて、今週最後の出社。来週からの通常営業に備えて今日も早めに家を出る。

七月半ばの休日にイベントがあって顧客対応する日があるのだけれど、上層部がその日に出社する社員の慰労のために、(居酒屋などでおおっぴらに打ち上げするのは憚られるから)仕事後に社内でケータリングの総菜&酒を振る舞うという企画をしているらしい。この状況下で休日まで出勤しなければならないだけでも嫌すぎるのに、さらに勤務後も無駄に拘束してみんなで飲み食いして社内感染のリスクを増やすってどういう了見なんだよ。労をねぎらいたいなら無駄なアイディア出さずに手当を増やせ。

そんなこんなで内心キレ倒しつつ、最近の私は全力仕事モードなのでひたすらばりばり働いた。同じ部署のお姉さんが辻利の抹茶アイス買ってきたから食べよう、と誘ってくれたので、女子ばかりの部署の部屋に出かけて行ってみんなで休憩する。パワハラ同僚の愚痴などをひとしきり言ってすっきり。

夜七時までがっつり働いて退勤。今日こそはなにがなんでも「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」(タイトルがださすぎて全然書きたくない)を見に行くと決めていたので、各映画館の上映時間を調べて池袋へ。ずっと新宿や池袋には土日や夜は近づかないようにしていたのだが、久々に訪れた土曜夜の池袋は駅前や交差点など予想以上の人混みで、感染症なんか関係ないとばかりにたむろしてマスクなしではしゃいでいる人たちがたくさんいて、完全に後悔した。そもそも私は元から人混みや大声で騒いでいる集団が苦手なのだった。数ヶ月そういう場所から距離を置いていたために苦手度合いが強くなっていることをひしひしと感じながら、人波を避けつつグランドシネマサンシャインに向かう。
オンラインで座席を予約したのだけれど、登録時に入力した電話番号が間違っていて発券ができず、スタッフに声をかけたら不機嫌な対応をされ(自分が悪いんだけど)、その時点で完全に心が折れて土曜の夜に池袋で映画を観ようなんて考えた自分を呪う羽目になった。

……のだけれど、映画が文句なしですばらしかったので全部どうでもよくなった。観に来てよかった。

本好きだった子どもの頃の私は「若草物語」シリーズを愛読していて、多くの文学少女(というフレーズを使うのはこっぱずかしいのだが)がそうであるように私もジョーにめちゃくちゃ感情移入していたので、自分の書いた原稿をエイミーに燃やされて怒りに我を忘れるシーンや、自分の髪を売って得たお金を母に渡すシーンなど、何度も読んだ思い入れのあるシーンが回想で挟まれる度に胸がいっぱいになった。

あとは回想のなかで姉妹四人集まるシーンがかしましくて楽しすぎた(そしてその女子だけの空間にするっと入り込んでくるティモシー・シャラメ……あいつマジ……)。私には弟しかいなかったから、本で読んだときには四人姉妹の会話って言い争いはあっても全体的に穏やかなものなんだろうと想像していたけれど、女子アイドルグループを推している今となっては、この映画の通りのかしましさに違いない、と思う。
それから、前作「レディ・バード」もそうだったけれどこの監督、母と娘の関係を描くのがめちゃくちゃ上手だ。過剰な演出があるわけじゃないのに、母親とジョーが話しているシーンで私はずっとずびずび泣きっぱなしだった。

映画全体を通して、子ども時代のエピソードは回想で挟まれるだけで、大人になった姉妹の話が中心になっている。だからこそ「愛」の名の元に家庭に押し込められて、自ら生計をたてる手段もほとんどなくて、芸術の道に進みたくても才能の有無を決めるのも施しを与えるのも男性か金持ちのババアで、貧困や病に抗う術のない状況に置かれている当時の女性たちのしんどさが痛いほど伝わってくる映画だった。だけどその中で姉妹がどう生き抜いていくかっていうことが四者四様に描かれていて、どの生き方がいいとか悪いとかじゃなくてみんなそれぞれの強さと優しさがあって、本当に本当に最高だった。本で読んだときは末っ子のエイミーが一ミリも好きじゃなかった(原稿燃やすとかふつうに最悪だろ)けれど、この映画の大人になってからのエイミーには共感しかなかったもん。(ただフローレンス・ピューが花冠かぶってくるくる踊り回っているシーンは、「ミッドサマー」のトラウマが喚起されるからやめておくれー! ってなった)

数年前にプリンスエドワード島に旅行で行ったときに「赤毛のアン」を読み返したのだが、そのときに、あんなに想像力豊かで勉強熱心なアンが、家庭の事情で進学をあきらめることが美談のように描かれていることに違和感を持った。この映画を観ている間にも、そういえば「若草物語」も結局ジョーが最終的によくわかんないポッと出の男と結婚して学校作ってグレートマザーみたいな役割に収まるんだよな、と思いだしてむむーっとなっていた。けれど、この映画ではジョーの結婚問題についても、ちゃんと独自の答えを導き出していた。ネタバレになるから多くは語らないけれど、グレタ・ガーウィグまじでブラボー! 一生ついていく! という気持ちになった。

かつてのディズニープリンセスに憧れた女性たちが「シンデレラ症候群」と呼ばれたように、世界名作文学系の「おてんばで自由奔放な主人公も大人になったら結婚して立派な奥さん&お母さんになるんだぞ☆」という呪いが文学少女たちに与えた影響も大きいと思う。っていうか、どう考えても結婚向きではない私のような人間でさえ、昔からなんとなく「いつかは私も結婚するんだろう」と思っていた背景に、そういう文学作品の刷り込みの影響が少しもなかったかといったら、そんなはずがないと思う。そういう呪いを解きほぐしてくれて、かつてのめり込んだ大好きだった作品をまた大好きにさせてくれるすばらしい映画だった。本当にありがとう。結婚して離婚しても未だに結婚したいとか誰かに依存したい気持ちが時々むくむくわいてきてめそめそしたりしているけれど、勇気をもらえたよ(本当にタイムリーだった。昨日の日記参照)。私も「自由な中年女」を目指すよ(もちろん結婚したらなれないわけじゃないけど)。

とりあえず、週末夜の池袋にはもう行きたくないけれど、この映画はあと三回映画館で観たい。

#映画 #日記 #エッセイ #ストーリーオブマイライフ #わたしの若草物語

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