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自己紹介&英語への興味と留学

初めまして。
9月に入り早くも夏が終わりかけているバンクーバーからお届けしています。

こっちの夏は日本とは全く持って異なるもので、強い日差しとカラッとした湿度が特徴的でしたね。巷でよく言われる日本の夏=「サウナ」だとしたら、バンクーバーの夏は「オーブン」とでも言いましょうか。テニスばかりしていたら、鮮やかな茶色をしたかじりつきたくなる美味しそうな前腕が焼き上がりましたとさ。(上手に焼けました~)
モンハンサードが一番楽しい。

*プチ情報:ちなみにバンクーバーには公園に無料のテニスコートが無数にあるので、テニスファンのみらならず、留学を機に始める方も多いですよ!
(こういった地味に知りたい海外情報もどしどし載せていきますのでお見逃しなく!)

そんな話は置いておいて、まずは僕の人となりを知ってもらうために簡単なプロフィールを載せておきます。

君はどこの誰なんだい!

年齢:22 (1999年生まれ)
出身:千葉
大学:関東の4年制大学卒業(MARCHくらいだと信じてる)
専攻:英語
英語力:TOEIC 875, IELTS overall 6.5 
留学形態:最近流行りのCoop留学 (座学+有給インターンのセット)
留学期間:2022年5月-2024年8月
趣味:テニス、筋トレ、スノボ、Netflix、サウナ
性格:基本はポジティブ思考、外向的だが内向的、気分屋、深い関係の友達が居ないのが悩み

名前は非公開にします!
匿名であるからこそ、つぶやけるものがある。そんなことを考えみたり。
(これから投稿をするにあたり、良いニックネームがあれば変更しようかなって考えてます。)

英語への興味

僕の英語が好きになったルーツは、5歳までに話は遡ります。
それは高橋先生という、僕の住む小さな小さな町に唯一存在した英語教室に母が僕を通わせたところです。(今でも覚えていますが、当時のガキンチョな僕は英語なんてなぜやるのだとグダグダ怒っていました。そのため、表現的には通「わせた」が正しいですね笑)

5歳から先生の元に通い始め、カルタでアルファベットに慣れることから始まり、年齢が上がると共に、文法等の座学に切り替わって行きました。

時が流れ、小学6年生になり英検5級に挑戦することに。週に一度と言えども、約7年も英語に触れて来たのだから一番初級となる5級は余裕でクリアっと。何も英語の知識が身についていないのに、なぜか受かる気でいました。(今思い返すと、本当に何なんだあの自信は笑)

本番。あまりにも答えが分からず、消去法で挑む。たまにDDDと選択肢が並ぶとなぜかDDBと答えを離したくなる症候群に駆られながら、勘を信じ必死に塗り絵をする。

結果はもちろん不合格。それから正直英語は嫌いでしたね。

中学

中学校に上がり、英語が好きになる転機が。

中学一年生、初めてのテストで英語100点獲得。

脳汁ブッシャー出たの覚えていますね。まあ中学一年の最初のテストなんて、大文字小文字の書き方、簡単な英単語(Apple)とか書くだけだから、何も難しくはない。
でも、みんなにチヤホヤされたあの経験がたまらなく嬉しかった。

高校

それから英語に勉強に熱が入り始め、高校受験でも英語が得意科目に。
おかげで第一志望の公立高校に滑り込むことに成功。
*余談だが、高校3年間で最低入学得点を探し回った結果、1人しか下に居なかった。つまり、ビリ2で入学。華麗なヘッドスライディング決めれたぜ😏

高校でも変わらず、英語が得意教科だった。学年でも上位30番くらいにはいたんじゃないかな。

大学

これらの状況から、大学選びは必然的に英語に関係する学部に選ぶこととなった。上智大学の英語学科も受けてみたが、英検五級の気持ちをまた感じることになるとは。記述もあったけな。高い塗り絵教材だったぜ、まったく。

結果、英語専攻の学部に入学することになる。サークルに明け暮れ、真っ黒になりながら過ごすと気がつけば3年生が始まり、悪夢のパンデミックが始まる。

留学を考えたりもしたが、正直行くのが怖かった。というのも、一年生の授業は英語力の基礎固めということで、ネイティブの先生の早い英語を聞くことになったのだが、全く理解できていなかったからだ。Literally.

Reading、文法、単語熟語しかやってこなかった僕には、いきなりネイティブの英語を100分聞くことは、アラビア語を聞くのと大差なかった。

「何もわかんねえな、日本でいいや」

めちゃめちゃ落ち込んだと同時に海外には出れないな、と諦める自分。結果、大学生活で一度も留学に行くことはなかった。だが大学生活で最も大きく、最もやりたくないイベント「就活」を迎えた際に、僕の心に大きな変化が。


就職活動

「自己分析をしなさい」

耳がタコができるほど聞いたセリフです。メモの魔力を買って、裏にある質問を大量に紙に書き出して、自分の興味や得意なことは何かを書き出した。

他にも、Youtubeで就活関連の動画を覗いてみたり、ネットで調べてみたり、本を読んだりと自分の興味ややりたい仕事を見つけようと努力した。

出てくるのはやはり、「英語」「海外」の二つの単語。コロナ禍で有り余る時間を消費するために、英語の勉強を兼ねてNetflixを大量に見ていたのもあり、海外に対する興味が爆発していたのだ。

*HOMELAND, River Dale, 13 Reasons Why, Walking Dead, Money Heist, Breaking Bad etc.などこれらの他にも、長編ドラマを観あさっていました。
人生で初めて映画でオールを経験しましたね。HOMELANDはドラマ史上一番、大傑作!!!スパイやCIAが好きな方は絶対に好きになります。断言。

他の友達がしているように、就活をしていて最終面接にたどり着くものの、

「海外赴任は30代くらいだね。早くてもうちは26くらいかな」

と聞き、早く行きたかった僕は落胆。今思えば、誰が新卒の若造をすぐに海外に送り出すことができるのかと納得はしている。けど、海外に行くことがしたい。若さは武器だ。そんなことを考えているうちに、

「自分で行けば良くね?日本企業挟む必要ないやん」

こんなバカ丸出しの考えが浮かぶ。もちろん両親にははてなマークが浮かんでいた。そして僕自身も。

そんな経緯で調査を開始し、Coop留学と出会う。座学とインターンということで、大学を卒業したヒヨッコには申し分のないプランだった。


決断

5月下旬、僕は大阪に対面の最終面接を受けに午前9時新幹線に乗っていた。
自分のしたいこと(海外で働いてみたい、海外に行きたい)を我慢して、日本で働く意味ってなんだろう。海外赴任は時間が必要。待ってられるか。そんなことを新幹線の窓から見える豊かな緑を眺めながら考えていた。就活制度にも疑問を抱いていたし、何よりも飽きていた。

「日本はいつでも働ける!人生は一度きり、なら海外行ってみるか!」

大阪に着く時間が刻一刻と迫る中、こういった考えがいきなり心にフワッと姿を表した。正直、新卒カードを捨てることに大きな抵抗があった。メリット、デメリットを書き上げ、どちらにすべきかを何度も考える。

だがやはり、

「自分のしたいことを追いかける人生にしたい」

という思いが大きな決断を可能にした。大阪に到着後、面接を受けるものの後日お祈りメールを頂戴する。(怖いことに受かっていたら、流されて海外に行ってなかったと思う笑)ありがとう、落としてくれて。

日帰りで千葉大阪間の弾丸日帰り出張?を終え、親の説得に取り掛かる。

説得任務遂行後、留学準備を着々と始める。

現在

そして、新卒カードを破り捨てて、今カナダはバンクーバーに留学中。そして目標は海外就職。からの自分のビジネスを持つこと。

書いていて思ったが、

やはりこれまでの僕の人生は英語に支えられてきた。そして、英語を通してたくさんのことを学んだ。さらに海外に実際に地に足つけて生活することで、多様な価値観、生活観、人生とはついてよく考えるようになった。

少しでもこれらのことを知ってもらい、1人でも多く海外に出てくれたらと、このブログを始めることにした。

途中で何を書いているか分からなくなることもありますが、暖かい目で見守ってくれると幸いです。またコメントとかもできるのかな?ちょっと分からないけど、反応くれたらもう本当に感謝感激雨ARASHIです。

冗談はさておき、また次の投稿でお会いしましょう!

長々と読んでくれてありがとうございます。

See ya👋









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