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アメリカで出会った ぐるるな仲間たち 第7回

By やよい
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いまから30年以上も前のアメリカで、職業訓練校のESLに通った私は、世界各国から移民や難民としてやってきたクラスメイトたちと出会い、それぞれの背景をうかがい知ることになりました。あくまでも自己申告ではありますが。

小さな教室で、少しだけ世界を知る⑤

 アフガニスタン人のアブドラは、17歳のときに銃を一丁だけ持ってパキスタンを目指して歩き続け、夜中に国境の山を越えて亡命したそうです。パキスタンには親戚がいてそこの娘と結婚して二人でアメリカへ。隣のクラスで学ぶその黒髪の女性はとても美人で、私が「きれいな人ね。一目ぼれ?」と聞くと、「まさか。結婚するまで顔を見ることはできないよ。美人だと思う?」と言うので「とても。あなたは幸運ね」と答えるとうれしそうでした。
 右から流れるように書く母国の文字やラマダンのこと、「あいさつもありがとうも、たいてい『サラーム』って言っておけば大丈夫」など、アブドラが教えてくれるイスラムの世界は「へえー」と「なるほど」の連続。男性社会のイメージがありましたが、すべて男女が分かれるため実は医師などさまざまな分野で働く女性の割合が日本より大きいとの話には目からウロコでした。
 ある日、クラスでドラッグの話題を取り上げたときのこと、当時アフガニスタンでは麻薬の製造が盛んでアメリカへも密売されているといわれていたためジョージが国内事情を問いました。すると「アフガニスタンでは誰も麻薬なんて使わないよ。バレたら死刑だから。アメリカ人はバカだね。いいお客さんだ」と平然と答え、ジョージを苦笑させました。
 村で行われていた刑罰のことも話してくれましたが、ここに書くことは控えます。同じ内容を私が何かで読んだとしたら「なんて残酷なことをする人たちなのだろう」と思ったかもしれません。けれども、そのとき机を並べて勉強し語り合っていたアブドラは優しく思いやりがあり、残忍さなどみじんも感じさせない人でした。その彼がためらいもなく「処刑に参加するのは当然」と言うのは育った村ではきっと普通のことで、ほかの環境で育った私の価値観で残酷だと決めつけてはいけない気がしました。一方で「文化の違い」のひと言で片づけてしまうとその先に相互理解はないように思えて、30年たったいまも受け止め方を迷っています。

「響き合い」 ©️Flourish fumiko

ユーモアは国境を越えて

 フリートークの時間以外は、「Aから始まるできるだけ長い単語」、「Bから始まるアーティストの名前」「多いと思うアメリカ人の名字」のようなお題をチームで話し合って思いつくかぎり挙げる競争や、みんなで一文ずつ創作してリレー形式で一つの物語を完成させるなど毎日さまざまな課題が出され、ゲーム感覚で楽しく取り組むことができました。
 なかでも印象に残っているのは、少し古いコメディ番組のビデオを途中まで観て「このあと何が起こるでしょう?」とつづきを考える課題です。関西出身の私は子どものころからテレビでお笑い番組や新喜劇の舞台中継を観て育ちましたが、そのおかげか結末までの展開を完璧に予想して正解を連発。「なんでわかるんだ、前に観たのか?」などとみんなを驚かせました。コメディのセオリーは日本もアメリカも変わらないのでしょう。
 それはきっと二か国だけではないはずです。ビデオを観ながら周りを見回すと、声を上げて笑う人からそっと微笑ほほえむ人まで個人差はあってもみんな楽しそうにしていました。そして、同じシーンの同じポイントでひときわ大きな笑いが巻き起こるのです。ユーモアは国境を越えるんだなと、しみじみ感じました。
 明るい笑い声に包まれたあの日の教室、平和で温かな光景を忘れたくないと思います。

(おわり)


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