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『恨みきる』ことの大切さ

ここ一年半ほどYoutubeで『因果応報 タロット』と検索し、片っ端から気になる動画を拝見してきた。溜まりにたまった恨みの感情を身近な人たちに吐き出せず、かと言って安易に『許す』境地には至れなかったとき、暇さえあればこれらの動画を見ていた。様々な占い師さんのお話を聞けて本当に感謝している。今は強い恨みも段々と薄れ『因果応報』関連の動画も見なくなった。

受けた被害に対して憤る人に対して『そんな昔のこと良いじゃない』『さっさと忘れて前を向きなさい』『いつまで被害者でいるの』としたり顔で説教する人間も中にはいる。一生涯かけて恨み続けるのは確かに非生産的だ。しかししっかりと恨みきる必要性を強く感じる。それだけのことをされてしまったのだ。恨みの感情は膿のようだと思う。病気であれ、外傷であれ回復するためには膿を出し切らなければならない。中途半端な『許し』で感情に蓋をせずに、しっかり受けた痛みと向き合うことが肝心なのだ。とはいえその感情を関係のない第三者になすりつけるようなことはあってはならない。それは新たな地獄が始まるだけだ。加害者に対して恨みをぶつけることは私にとって一定の効果があった。どうあがいても分かり合えない、という諦めに至れる点において。

『許す』行為はとても美しく、それ故に美徳として強要されやすい。でも私は『それができたら苦労しねぇよ!!!!!』と喚き散らしたい。納得できない悪意に泣き、喚き、怒り、落ち込み、呪い尽くした先にフッと『どうでも良いか』と思える瞬間が来る。その瞬間がいつ訪れるかは人それぞれで
他者から『許し』を強制される謂れはない。

あなたを良い人に押し込めようとするズルい言葉に耳を貸す必要はない。立派な人、良い人なんざ息苦しいったらありゃしない。喜怒哀楽を持つ人間として生まれてきたなら、安全な場所で辛かった気持ちを出し切ることが大事なのだ。恨みきったその先に新しい展開が開けているはずだから。


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