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周囲に分かりにくい・分からないいじめのカタチ

最近、アマゾンプライムで内野聖陽さんの映画を探して順にみています。

「罪の余白」という内野さんの娘が学校のベランダから転落して死んでしまうところからストーリーは始まります。実はテストの点数が友達3人の中で一番低かったという理由での罰ゲームでベランダの手すりを歩いていたという場面。表面的には仲のいい友達同士が実はいじめの構図の中にあるというストーリーを見て、昔長男がいじめられていたときのことを思い出しました。

お昼ごはんを食べたあと、子どもたちがシュートをして遊んでいたときのこと。チームの中でボス的な存在だった子、(うちの子はその子にずっといじめられていたのだけど)その子がキーパーをして、みんなが蹴っているボールを止めているようでした。

順にシュートをしていくので、止められるボールがあったり、シュートが決まるボールがあったり、まあそれはそういうことなんだけど。

何度かシュートを繰り返しているうちに、長男が蹴るボールには彼がまったく反応していないことに気づきました。

長男が蹴ったボールに対して彼は無反応なので、シュートが決まればボールはゴールゾーンの中にとどまったまま。シュートが外れたら、ボールは転がっていく。

長男はきっと気づいていなかったんだろうと思います。ボールを取りに行っては、また懲りずにシュートをしていました。

親だから分かるんですよね。

こういういじめ。

周囲の子どもは順に蹴っているので、一緒に遊んでいると思っていますよね。それを見ている親も同じ。まわりにはなかなか分かりにくいんです。でも、明らかにシュートを止められるタイミングであっても、無視をしているので、長男のシュートは決まったりするわけです。

それで「やった~~決まった~」そんな様子で嬉々としてボールを取りに行ってもなんの反応もないわけです。

当時、4年生くらいだったので、きっと「無視される」ということの意味を、長男は分かっていなかったかもしれません。

存在を消されてしまうようないじめ。

面と向かって殴られるようないじめももちろん許せませんが、周囲に分からないいじめは、対処するのが難しく本人は本当につらいものです。小さいころは、無視されていることも気づかないまま、同じ空間の中で遊ぶこともできますが、分かってくると同じ空間にいることが辛くなります。

あのときサッカーチームをやめて、違うチームに入るほうが良かったのかな・・と今でも考えることがあります。






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