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【エッセー】回想暫し 16 クラシック音楽

 中学校の音楽のI先生が、
 ──一週に一回はクラシック音楽を聴きなさい。その都度、曲名とともに日付と指揮者と管弦楽団の名をノートに記すように。そのうち有名な旋律が頭に残り、クラシック音楽が何よりも好きになるでしょう。
 と、言われた。
 子どもというのは素直なものである。何が何だかわからないままに難しい音楽を聴くべくラジオの番組表を調べ、その時刻になるとラジオのスイッチを入れるようになった。当初は交響曲と協奏曲の違いも知らなかった。スッペの軽騎兵序曲、モーツァルトのトルコ行進曲、チャイコフスキーの白鳥の湖などが耳に残り、メロディーを口ずさむようになった。
 ノートへの記入は一冊目の半分にも達しなかった。聴いて楽しんでいるからには、すでに目的を達している。いちいち書き残すのは面倒だと勝手に判断した。I先生からノートを提出せよとのお達しもなかった。
 そのノートは崩壊寸前ではあるが、いまも残っている。何とも小さな文字でぎっしり行を埋めている。ふつうの字体ならばノート三冊くらいになるのかも知れない。自分の宝という感覚はない。しかし、捨てるには惜しい。それで生き残ったのであろう。
 初心者のだれもがそうであるように、ベートーベンの交響曲第5番「運命」、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ドボルザークの交響曲第9番「新世界より」(当時は第5番)がお気に入りになった。そのころ買った唯一のレコードが「皇帝」であった。「可哀想に。この子はあの曲ばかり聴いている」と母。「あれだけ聴いてもらえれば、皇帝陛下もさぞかしお喜びでしょう」と姉。すっかり揶揄からかわれたが、他のレコードを買うお金はなかった。
 高校時代のある日、いつものようにラジオを入れた。流れてきたのが弦の奏でる哀愁に充ち満ちた曲で、初めて聴くものであった。ひしひしと伝わってくる哀しみと美しさに真底まいった。それがブラームスの交響曲第4番との出会いであった。瞬く間にブラームス党に転向した。ブラームスの交響曲は四つ。どれもが魂を揺さぶられる名曲であるが、どれか一曲を選ぶとなると、躊躇なく4番を採る。この曲とは六十年以上のおつきあいになる。
 ブラームスの二つのピアノ協奏曲は甲乙つけ難い。三大バイオリン協奏曲のなかで、一番推すのがブラームスのそれである。弦六やクラリネットトリオをはじめとする室内楽は心に響く曲ばかり。たまにはドイツ・レクイエムも聴く。世紀末の憂愁。ブラームスを評するときはこの言葉がよく使用されるが、とにかく何を聴いてもブラームスはいい。
 時代が変わり、レコードやCDを介さないでブラームスが聴ける環境が一般となった。私は、指揮者やソリストや交響楽団等にこだわらない聞き手であるが、たまたまブラームスの4番を聞き比べることがあり、同じ曲がこれほどに違うものかと喫驚した。私の耳が記憶していたのは、ブルーノ・ワルター指揮の4番で、いまさらながらワルターによるコロンビア交響楽団がいかに名演奏であったかを理解した。人が指揮者やソリストなどにこだわる理由をいい齢になって発見したわけである。私はブラームスの4番だけはワルター指揮のコロンビア交響楽団を聴くようにしている。
 クラシック音楽という大きな贈り物をくださった音楽のI先生には感謝している。I先生は東京の音楽関係の出版社に引き抜かれ、学校を辞めて東京へ出られた。生徒たちは札幌駅でI先生とお別れした。私は、友ら数人とでプラットフォームの最先端で見送った。列車の窓から身を乗り出して手を振っておられたI先生は、最後にわれわれに気づき、「おっ、君たち、しっかりやれ」と大声で言われた。I先生の姿はすぐに見えなくなった。


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