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時代は「利潤資本主義」から「倫理資本主義」へ──社会価値と経済価値を両立する経営モデルを実現しよう

「社会にとってよいこと」と「利潤」の両立は、企業経営の理想でしょう。しかし両者は長らく二者択一、トレードオフの関係にありました。そしてこれまで多くのケースでは、社会的な価値が、利潤を最大化するいち手段として位置付けられてきたのです。

しかし今、社会やそれに伴う人々の変化とともに、この2つ——社会価値と経済価値——を両立した経営モデルが現実的なものになりつつあります。この変化を捉え、経営や事業創造の方向性をアップデートすることで、これからの社会において社会価値と経済価値を最大化できるはずです。

では、実際にそうした経営を実践するために、何から始めればよいのでしょうか。私が代表を務める GOB Incubation Partnersでは、こうした新たなモデルを“見識的な経営のあり方“として「見識業」と呼び、その実現に向けたプロセスを事例や社会背景を踏まえながら考察しています。

本連載では、数回にわたって私たちが目指す見識業について解説します。第1回となる今回はまず、こうした変化が求められる背景と見識業の概要についてです。

筆者:山口高弘(GOB Incubation Partners株式会社 代表取締役社長)社会課題解決とビジネス成立を両立させることに挑戦する事業支援を中心に、これまで延べ100の起業・事業開発を支援。社会に対する問い・志を、ビジネスを通じて広く持続的に届けることに挑戦する挑戦者を支援するためにGOBを創業。自身も起業家・事業売却経験者であり、経験を体系化して広く支援に当たっている。
前職・野村総合研究所ではビジネスイノベーション室長として大手金融機関とのコラボレーションによる事業創造プログラムであるCreateUを展開するなど、個社に閉じないオープンな事業創造のための仕組み構築に携わる。内閣府「若者雇用戦略推進協議会」委員、産業革新機構「イノベーションデザインラボ」委員。

主な著書:「いちばんやさしいビジネスモデルの教本」(インプレス)、アイデアメーカー(東洋経済新報社)


「利潤資本主義」の“終わりの始まり”

従来の資本主義のあり方が変わりつつあります。これまでの資本主義は「儲け」を判断軸とした、いわば「利潤資本主義」とでも言うべきものです。そこでは儲かるかどうかが最も重要で、他者の幸福といった社会性は、儲けの手段としてあるものでした。

社会課題の解決、環境保護、人々のよろこび──。多くの企業は理念やビジョンとして、社会性の高いメッセージを掲げています。しかし、実際の経営や事業をそれと一致させることは、非常に難しいことです。それはこの利潤資本主義が社会の前提にあったからに他なりません。

しかし今や利潤資本主義はゆるやかに終わりを迎え、新たな資本主義の形へと移行しつつあります。それが「倫理資本主義」です。

倫理資本主義とは「“人と社会にとってよいこと”を判断軸とした資本主義」のこと。社会性と経済的(儲け)を高いレベルで両立した経済のあり方とも言えます。ここで言う「社会性」とは、儲けの前に、まず人の幸せを本気で考え、顔の見える他者を想像する倫理性を持つことです。

こうした変化を背に、企業経営においても、経済性と社会性の両立は、現実的なものとなっています。

パタゴニアに見る「倫理資本主義」への移行

実際、倫理資本主義への移行はいくつかの事例やデータに見て取ることができます。

アウトドア用品大手のパタゴニアは倫理資本主義的な企業経営を実践する企業の1つです。パタゴニアでは、「商品をたくさん買い換えてもらうことで儲かる」という従来の経営から「生涯長持ちする商品が儲かる」仕組みへと経営を転換しました。

同社は製品を長く愛用してもらうために「WORN WEAR®︎」というプラットフォームを用意して、製品の修理サポートなどを提供しています。こうした取り組みによって、廃棄物や、新たな製品生産に伴う二酸化炭素を減らすなど、地球環境へ配慮しているのです。CEOのローズ・マーカリオ氏も「個々の消費者として惑星のために私たちができる最善の行動は、モノを長持ちさせることです」と言っています。

そして企業としてのこうした取り組みが、顧客の共感を生み、熱狂的なファンを生みます。顧客は、パタゴニア製品を買うことで自分も環境に貢献できるというわけです。

また2019年に、米JUST Capitalが米国市民に対して調査したところ、78%の人が「給与水準が10%低下しても、公正な企業を職場として選択する」と回答。さらに66%は「給与が20%低下しても」同様の回答をしました。多くの人が“倫理的な”企業経営を志向していることがわかります。

例えば2018年に、GoogleはAI技術をペンタゴン(米国防総省)の軍事技術に使用していたことが発覚し、社内で4000人が反対の署名運動を起こす騒動となりました。同社が掲げる行動規範“Don't Be Evil(邪悪になるな)”に反した行動で、結果的に十数人が退職。こうした事例からも、企業に倫理性が求められていることを見て取れます。

では、そもそもなぜ今、利潤資本主義が終わりを告げようとしているのでしょうか。

流通する情報の解像度とスピードの拡大

利潤資本主義が衰退している理由の1つに、情報の解像度とスピードが大きく飛躍したことが挙げられます。

わかりやすいのはSNSの台頭でしょう。昨今、企業の生産工程や意思決定のプロセスなど、これまで一部の人にしか開かれていなかった情報が世界中で流通し、誰もがアクセスできるようになりました。その結果、どれだけ素晴らしい製品でも、それを作るために何らかの“犠牲”があることが明るみになれば、人々はそれを買わなくなりました。

2017年9月、米フロリダ州に巨大ハリケーンが接近していましたタイミングで、SNSを中心に「Amazonで生活必需品の価格が高騰している値上げしている」との批判が寄せられました。ハリケーンに便乗して、商品の価格を吊り上げたのではないかと疑惑を向けられたのです。Amazonはこうした値上げへの関与を否定しましたが、プラットフォーマーとしての管理責任を問われた形でしょう。こうした動きは、SNSの普及がなければここまで話題を集めることはなかったかもしれません。

あらゆる背景情報にアクセスできる現在、倫理的になろうとする動きが加速していくのは自然な流れです。人が利己的になるのは「知らない」からであり、もともと人は倫理的な生き物なのですから。 

社会性を高めることが、商売につながるようになった

このような背景もあり、今後、倫理資本主義への変化は自然と、不可逆に広がっていくと考えられます。

これまで利潤資本主義は「効率性」という普遍性を武器に力を強めてきました。そして現在、「倫理」がそれに代わろうとしています。「(自分も含む)他者を想像し、思いやる」という、誰もが理解できる普遍性を持つこの概念が浸透するのに伴い、倫理資本主義への移行も加速しているのです。

さて、倫理資本主義が広がる中で、企業経営も「人にとってよいことが儲けを生む」モデルへのシフトが求められます。しかしそれを実践することは、簡単ではありません。パタゴニアのように社会社と経済性を高いレベルで両立させる事例は増えてきていますが、依然としてそうした経営モデルは、従来のモデルを成立させるよりも何倍も難しい挑戦です。

そもそも、利潤資本主義においては「社会性を重視すれば経済性が下がり、経済性を重視すれば社会性が下がる」トレードオフの関係がありました。社会性と経済性は「どちらも」ではなく「どちらか」だったのです。

そこで、社会的価値を高めるほど儲かるという構造を生み出す経営モデルとして、新たに提案したいのが「見識業」です。

「見識業」は、人と社会にとってよいことを見抜き、その実現に向けた影響を高い想像力をもって捉え、最適かつ正しい解を見出す「見識」と、見識によって見出した社会的な価値を儲けに変換する「業」の2つの力から成り立ちます。この両者を合わせもった企業経営のあり方を「見識業」と定義しました。 

例えば、電球を販売していた蘭フィリップスは、モノを売るのではなく、法人向けに照明インフラの保守運用を提供する「Light as a Service(LaaS)」のモデルへと転換しました。顧客にとっては、電力量を削減し、その量に応じて報酬を得られるというメリットがありますが、それと同時に環境負荷を低減するという社会性も実現しています。

こうしたサービス転換によって、フィリップスは長期的に安定した収益源を確保し、またLaaSによって取得したデータを他サービスの開発、改善に活かすといった新たな価値提供の可能性も生み出しました。

これは、社会性と経済性のトレードオフを超え、人にとって良いことが儲けを生む「見識業」へとシフトした好例です。

とはいえ、利潤資本主義下での企業経営のように、社会性が儲けの手段になっては本末転倒です。社会性を高めることが利潤を生み、その結果、さらなる社会性へ再投資するサイクルを生み出すことがことが重要です。

見識業は事業だけではダメ、「人」と「組織」の社会性がカギをにぎる

そして、社会性の高い事業を生み出すためには、その主体である「人」と「組織」がまず社会性を高めなければなりません。社会性のある事業のボトルネックは「人と組織の社会性」なのです。

私たちは現在、「価値観」や「個性」を重視するあまり、その反作用として「自己中心性」がかつてないほどに肥大した時代を生きています。倫理性と自己中心性が同居する、一見すると矛盾をはらんだ状態です。こうした中で、価値観や個性を伸ばしながらも、自己中心性を克服し、多種多様で豊かな価値観、個性を統合、調和する組織のあり方が問われています。

では、人と組織の社会性を高めるために──つまり自分と他者を区別することなく、お互いに想像し大切にし合う」状態に至るために──何をすべきなのでしょうか?

他者を分断する利潤資本主義と、結びつける倫理資本主義

事業とは「社会」における企業の営みです。ではそもそも「社会」とは何でしょうか?

社会とは福沢諭吉がSocietyの訳語として生み出した言葉ですが、そもそもそれまでの日本には、それに該当する言葉はありませんでした。日本人は「身近な他者との関係」を大切にしてきたため、より広い範囲を指すSocietyという概念が存在しなかったのです。そこで、広範囲における人と人との関係を表す「社会」という言葉を作りました。

しかし福沢は当初、「顔の見える身近な人と人との関係」を意味する「人間交際」を訳語に当てていました。つまり社会という言葉が指し示すもっとも本質的な意味は「顔の見える人と人との関わり」なのです。

その関係が広がった先に社会があり、事業はその社会の中で営まれます。ですから当然、事業も「人と人との顔の見える関係」を前提とし、社会を良くする=関係を豊かにすることを目指すものでなければなりません。

倫理資本主義とは、このような「目の前の人と人との関係を大切にすること」を経済活動に当てはめたものであり、顧客や社員、さらには人に限らず環境までを「目の前の他者」と捉えて大切にします。

利潤資本主義は、人を「儲け」のための機能として扱い、結果として他者と分断します。対する倫理資本主義は「人と人との関係を結ぶ(自分と他者を区別しないところまで見通した関係)」という全く逆のベクトルが働いたあり方です。「儲け」のために人と人との関係を断つ資本主義から、「人と人との関係を結び」かつ「儲け」も出る資本主義への転換を進めていく必要があるのではないでしょうか。

さて、次回以降はより具体的に見識業の実現に向けた話を進めていきます。第2回では、見識業が求められるようになった理由を社会の6つの変化から読み解きます。

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みなさまからのご意見、ご感想もお待ちしています。

本連載を通じて提言している「見識業」は、豊富な実践例があるわけではありません。GOB Incubation Partnersでも、新規事業開発の支援やコンサルティング、さまざまな企業や起業家との実践、歴史的な背景などを踏まえて少しずつその解像度を高めているところです。ぜひ、皆さまの率直なご意見も聞かせてください。