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いつもそばにコーヒーがあった。・1

一番最初のコーヒーの記憶は、何歳の頃のものですか?

物心ついたであろう2、3歳の頃。
プジョーの木箱のコーヒーミルが我が家にあって、ゴリッ、ゴリッと、父親がコーヒー豆を挽いていた。
その父親を真似て自分もそのミルのレバーを回そうとするが、父親の様に簡単には回らない。
小さな手で木箱を押さえながら、もう一方の手でレバーを回すことがどうしても出来ない僕を見て、頑張れ頑張れと笑う父親の笑顔が子どもながらに悔しくて、両足でミルの木箱を挟み込んで、両手で必死にレバーの赤い取ってを回してみる。
ゴリッ、、、ゴリッ、、、と、リズムこそ悪いもののレバーが少しずつ少しずつ動く。
木箱の下の小さな赤い取手のついた引き出しを引くと、荒い粉になったコーヒーが少し溜まっている。
多分その頃の僕は、果たしてその何とも言えない香りのする粉が何なのか、よくわかってはいなかったと思う。
ただ、何とも言えない香を楽しんでいた(いるように見えていた)父親の姿が、とても断片的ではあるけれど、でもしっかりと脳裏に焼き付いていて。
その固くてなかなか動かなかったレバーや、両足で押さえていた木箱の感触の記憶と共に、数少ない佳き思い出のシーンとして。

モーニングコーヒー

13歳の頃、ある日突然父親を失った僕は、母親と共に、母方の祖父母と一緒に暮らし始めた。
明治生まれの祖父は、所謂ハイカラな人で、煙草は洋モク、酒はウイスキーと決まっていて、朝は必ず食事が終わると、コーヒー器具を温めながら、豆を挽いて、ペーパードリップでそれはそれは丁寧に丁寧にコーヒーを淹れていた。
そして淹れ終えると、同じく温めておいたソーサー付きのカップに注ぎ、リヴィングルームの自分専用の長椅子の肘掛けに置いたクッションを枕に、長い脚をソファーにゆったりと伸ばして座ると、少し長い洋モクに大きなライターで火をつけ、それを深く深く吸い込み、暫しの間の後、ゆっくりと紫煙を吐き出してから、淹れたてのコーヒーの香りを深呼吸するようにかいで飲み始める。
その毎朝の一連の流れが、ある種、とても貴い儀式の様に見えていた。
その年齢当時の僕は、最初は牛乳多めのカフェ・オ・レにして飲んでいたのだけれど、思えばその頃から、コーヒーを淹れると云うこと、その行為を意識するようになった。

コーヒーのある場所

祖母は茶道教授をしていた。
数え102歳で数年前に他界した祖母は、僕が写真の仕事で上京した1999年頃はまだまだお弟子さんも多く、ほぼ月に一度は、自宅の茶室に多くの客人を招いてお茶事をしていた。
お茶事が終わり、祖母がお弟子さんたちとリヴィングルームで反省会を兼ねて一息付くであろう頃を見計らって、祖父は毎回毎回コーヒーを淹れていた。
祖父は長年校長をしていたこともあり、お弟子さんたちからは、先生、先生と呼ばれていた。
その「先生」は、僕が18、9歳の頃のある晩の自宅で倒れ、それから他界するまで入院することとなるのだが、祖母のお茶事の日は変わらずやって来る。
頼まれた訳でも無かったのだけれども、日々の祖父を見ていた僕が、当たり前の様にコーヒーを淹れるようになった。
お弟子さんたちは皆、「先生が淹れてくださってるみたい」と喜んでくれた。
それが何故だか美味しいと言われるより嬉しかった。
そして、我が家のリヴィングルームが、束の間の「喫茶」になった。
コーヒーの周りには、いつも自然な優しい笑顔があった。
それはそうしようと思ってやっていた訳では無かった。
ただ僕にとってのコーヒーは、極々自然と、初めからそう云うものだった。
ただ、僕がそうやって淹れたコーヒーを祖父が飲む日は、残念ながらやっては来なかった。

(続く

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