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僕が安住の地を手にするまで [13] 土地を手にして想うこと

僕は親から受け継ぐ財産など何一つなかったし、これまで金儲けとは無縁の世界に生きてきたので、土地を持つとか、自分の家を建てるとか、自分にはまったく関係のない世界の話だと思い込んでいた。そもそも不動産を所有するということ自体、ちゃんと考えたことがなかった。しかし周りを見れば、みんな親から受け継いだり、自ら購入したり、それで利益を生み出したりしている。今回は土地と人との関係について考えてみたいと思う。

縄張りをもつということ

動物にとって最重要なのは食べることと、子孫を残すことの二つ。これに命を賭けている。だから、これら二つを確かなものにするために縄張り(採餌縄張りと繁殖縄張り)をもつ。縄張りをもつことによって、同種の個体間で無用な争いを引き起こさない、つまり種の保存のためにも有効な手段となる。そして自分の縄張りは自分の手で守る。守り切れないほど大きな縄張りは持たない。食べられる量にも、セックスをする頻度にも相手の数にも限界があるからだ。また、親から縄張りを継承したとしても、自分の手で守ることが出来なければ、いとも簡単にそれを失うことになる。こういう話ならとてもよく分かる。

しかし人間は、今の日本はどうだ。土地はもはや食糧を手に入れるための手段ではなくなったし、セックスするのに身の安全を確保する必要もなくなったし、自分で縄張りを守ることさえしなくなった。食糧は誰かがどこかで作ったものを金で買うし、誰かの縄張りを侵そうものなら、法で罰せられる。食糧確保や子孫繁栄が最重要だったのは遥か昔のことで、土地は所有することが目的になり、利益を生み出すための手段になり下がった。投機的取引として土地売買を禁止する法律ができるほどまでに(土地基本法第四条)。

土地を所有するということ

そもそも土地を所有するという概念そのものがおかしくないか。人間以外の生き物たちは、状況に応じて縄張りを作ったり、共存したり、棲み分けしたりするが、人間は使ってもいない、しかも自力で守れもしない縄張りを自分のものだと主張している。祖先から譲り受けたものだから、自分のものだと言い張っている。日本が農業大国ならまだ分かる。土地が必要だから。しかしほとんど管理されていない休耕地が増えているとかしょっちゅう報道されているように、農業なんかやってねーじゃねえか。

僕は動物的な視点から土地というものを見直したい。作物を育て、安全に暮らすために土地を手に入れよう。子どもは二人いるのでもう要らない。作物を狙って僕の縄張りに侵入してくる動物がいるならば、自分の手で守ろう。しかし、ともに手に手をとって協力できる者には縄張りの一部を解放しよう。作物を育てるための畑を共有するのだ。本当ならこういうことを土地など所有せずに出来れば一番いい。しかし、困ったことに、家の近所に畑を借りることすら難しい世の中なのだ。

土地を盾に権利や利益を貪る人たち

市民農園は応募者が多すぎて、猫の額ほどの土地を抽選で争わないといけない。それなら土地を持っている農家の方から直接畑を借りようと思えば、農協に連絡しろと言われ、農協に聞けば、年金や給料の振込先をJAバンクにしないと貸せないとか、あれこれ訳の分からないことを言われる。

これはいわゆる特定農地貸付方式というもので、農協や自治体が所有者から農地を借り、利用者を募るという方法だ。家庭菜園をやろうと思っているだけなのに、どうやら準農家みたいな位置付けになるらしく、自分たちの懐に絡め取って搾取しようとする姿勢が見え見えだ。農業を私物化している。人類は新石器革命(食糧生産革命)で農業を手にしたはずなのに、それを取り上げようとしている。休耕地が余って困ってるんじゃねーのかよ、バーカ!ふざけるなと思う。

どうやら土地を所有することは、一方では権利や富に目が眩んだヒルのような連中が群がる手段となり、しかしもう一方では自由を得るための手段にもなるということが分かった。僕にとって重要なのは後者だ。土地さえあれば農協や地主に頭を下げることもなく、自由に食糧生産が出来、自分の好きなように家作りやリフォームが出来る。別に土地など欲しくはなかったが、自分のやりたいことを自由に誰にも邪魔されることなくやるためには土地を自分のものにするしかないのだという結論に達した。

というわけで、長くなったが、本日より土地持ちになった。先日、紹介者である高木さんの立ち会いのもとで契約書に署名・押印し、本日支払いを完了させた。欲しかった自由を得た。これからこころゆくまで好き放題やる所存。

築いたものを捨て去ることができるのか

これまで、根なし草として生きてきた時間が長すぎて、一箇所にとどまり続けることや、土地に縛られることに強い抵抗を感じていた。たとえば2011年の原発事故のときも、逃げなくちゃ危険なのに、「先祖代々の土地を離れたくない(離れるべきではない)」という人々の思いを深く理解することが出来なかった。命と土地を天秤にかけたときに、迷わず命を選択できない人がいることに少なからず衝撃を受けた。

土地を得た僕も彼らと同じようになるのだろうか。家を建て、農地を作り、すべてが循環するような仕組みを作り上げたのちに、大きな危機が訪れたとして、僕もやはり自分の土地に固執するのだろうか。それとも狩猟採集民や遊牧民のように心軽く、持っていたものを、時間をかけて築いたものであっても潔く捨て去ることが出来るのだろうか。

つづく

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