見出し画像

マッチングアプリに秒で飽きたという話

またまたタイトル通りな話になる。読み終わったときに「わかったように色々書くんじゃねぇ。少し考えたらそのくらい誰でもわかるわボケ。」みたいになる可能性もあります。院生の友人とか、マジで読まないでほしいわ。思考の劣化具合がばれるから。

さて、これまでマッチングアプリを1回も使ったことがないかというと、そんなことはない。どんなもんかと、無料の範囲内で覗いてみたことはあるし、SNSを通じて人と会ったこともあるし、それで付き合ったこともある。

ただ、最近広告が激推ししてくるような(ウィ〇、〇アーズetc)キラキラしたアプリに有料課金したことはなかった。
これまでは、インターネット上で仲良くしていた人と、結果的に会ったというだけなのだ。出会うことが目的のインターネット利用は初めてだった。

この前書いたように、初任給が入った自分。少し試してみるか社会勉強だということで、数千円突っ込んで、何不自由ないマッチングアプリ生活を始めてみようということにした。

で、2日で飽きた。

すげぇな、疲れに疲れるわ。出会える出会えないの前に、面倒でたまらない。

「マッチングアプリ」というコミュニケーションの分野

コミュニケーションって語りだしたらキリがない問題群ですけど、基本的には、言葉を交わし合うことがコミュニケーションだよな。

で、コミュニケーション、これまでどんなの経験してきたかなーって思い返したんだが、「マッチングアプリ」に見られるコミュニケーションの型は、なかなか特殊なんじゃないかと思った。

「インターネット上」「テキストベース」「恋愛関係を目的としている」
要素でざっくり分解した際、こいつらが「マッチングアプリ」には含まれていると考えられた。

「インターネット上」でいえば、ツイキャスとかで声を通したコミュニケーションができるよね。その際に「テキストベース」からは読み取れないことが、色々読み取れたりするわけだ。

喋る際の声の高低、間のとりかた(=早口かどうか)、即時的に出てくる言葉、どう笑うか、どう泣くか、そもそも感情を表に出す人間かどうか。

これらだけでも、なんとなーくその人の人柄ってやつを僕らは想像して、自分の横に、正面に、置いてみたりする。
通話しているときなんかは、自分とペースが合うかどうかを、感覚的に推し量れる。

「テキストベース」のものを「恋愛関係を目的」としながら、やり取りするのも、なかなか経験しない。

恋愛が目的じゃない場合、一般的な気遣いの心を忘れずにいれば、ある程度自由に返信することができる。その会話自体が目的だからである。

継続的に関係を持続させることより、レスポンス自体が目的なのである。

だが、恋愛関係の成就を目的としたコミュニケーションは、「どういう答えが欲しいか」という部分に、細心の注意を払うことが必要である。

レスポンス自体の快楽で終わらせることなく、相手が断続的にメッセージを送りたくなるようなツボを、おさえなくてはならない。
相手が自分に興味を持ち続けるよう努力するのである。

しかも、それを「テキストベース」で行うのである。振る舞い、表情などは一切なく、表示される記号の組み合わせで、相手の注意をひきつづけるのである。

これ以外にも、色々要素があるのだろう。「マッチングアプリ」というもの自体、とても興味深く、面白いものであると思った。同時に、真剣に取り組んだら、使ったことのない頭の筋肉をめちゃくちゃ使うから、疲れるなとも思った。

記号の組み合わせとして出会うこと

大学の卒論でも、ゼミの課外授業でも、僕が考え続けてきたことがある。
それは、「個人が言葉で説明されつくしてしまうこと」への恐怖だ。

ひっさびさに引用するけど、以下は見田宗介(2008)『まなざしの地獄:尽きなく生きることの社会学』の一節ね。

都市のまなざしとは何か?それは「顔面のキズ」に象徴されるような具象的な表相性にしろ、あるいは「履歴書」に象徴される抽象的な表相性にしろ、いずれにせよある表相性において、ひとりの人間の総体を規定し、予料するまなざしである。N・N は「顔面のキズ」として、あるいは網走出身者として対他存在する(p.40)。

「マッチングアプリ」という「テキストベース」での「恋愛目的」のコミュニケーション分野では、まさにこの「都市のまなざし」がバチバチに行き交う。

「恋愛」という至上の目的に人々は追い立てられ、「恋愛対象としてアリかナシか」という基準を皆が持つ。
ユーザーはプロフィール欄に「こういう異性が好き、こういう異性は無理」と書き込む。趣味だって、その趣味トークについてこれるかどうかっていう、基準の設定である。

プロフィール欄は、その人の恋愛ストライクゾーンにぴったりな「理想の人」を表すものになる。「理想の人」は「タバコを吸わない人」「海鮮料理が好きな人」「塩顔な人」「相手のペースに合わせられる人」「年収が500万円の人」といった、記号の集合体である。

この「理想の人」を最大値として、「いいね!」を送ってくる異性が採点される。「理想の人」への到達度が高ければ高いほど、メッセージというステージに通され、そこで淘汰されなかった異性が出会いに到達する。ここから恋愛に発展するのかは、また別のお話。

で、僕はこの「記号」の集合体として消費されつくしたら、あとは捨てられるみたいな関係のあり方がこわくてしょうがなかったわけ。
こいつと友達でよかったなって思う奴って、どこがいいのかって言われたら、うまく言えないでしょ。うまく言えない部分が実は大事なんじゃないかって思いますのよ。

記号として可視化された異性のニーズにこたえるだけなんて、絶対に恋愛関係として長続きしないでしょって、個人的には思っちゃうなぁ。

自分の交際経験を振り返ってみても、言葉だけの関係になった瞬間に冷めていた。もっと、言葉にできないような魅力的な部分を、お互いに感じられないと。すべてがビジネスライクになっちゃうよ。

とにかく、いい勉強させてもらいました。マッチングアプリ運営の社員さんが、俺の金で旨い飯食っていただけたら、何よりです、的な。

どうでもいいけど、初任給で家族にプレゼント買ったら、遊ぶ余裕なくなりました。初任給は無限じゃないぞ、後輩どもよ。覚えとけ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?