見出し画像

(掌編小説)すみっこ白猫と小学四年生

「りなちゃん!ごめーん。ちよっとアヒルのお世話お願ーい」
「頼むね。りなちゃん!りなちゃんに懐いてるもんねアヒルちゃん」
あいちゃんとひまりちゃんはそう言うと、なかよく校庭に遊びにいってしまった。
昼休み。飼育係のりなは他の2人が遊びにいく中、ひとりで2羽のアヒルのお世話。白いアヒルはシロちゃん。黒はもちろんクロちゃん。りなはアヒル小屋を掃除して餌をあげた後、アヒル小屋の中で、楽しそうに2羽のアヒルを眺めていた。
りなは小学校4年生に上がった時に飼育係になった。小さな頃から動物が大好きで、同じ飼育係の2人がずっと仕事をさぼっていても、大して気にはしていなかった。だってアヒルかわいいし。

そんなある日の放課後の帰り道、飼育係の2人がりなの元に走ってきて体を押し付けてきた。何?どうしたの?
「りなちゃん。あんたさあ、先生にチクったでしょ?」
「おとなしいフリしてさ。やーね!」
あいちゃんとひまりちゃんは黒い息を次々と吹きかけてきた。りなは我慢できずに走り出すと、2人の笑い合っている声だけが追いかけてきた。


「りな!お母さんお仕事行くからね!今日もお休みするの?」
「うん」
りなは布団にもぐったまま答えた。
「お母さん今夜優斗くんと会うから遅くなるよ」
母親はモゾモゾ動く布団を見ながら、アパートを出て行った。優斗くんはお母さんの彼氏。父親は居ない。2人の黒い息攻撃を受けてから、もう1週間学校を休んでいる。
母親が玄関の鍵をかける音を確認すると、りなは布団から出た。ほっと一息。窓からあまりに明るい朝の陽射し。りなはカーテンを閉めてテレビをつけた。テレビが置いてある6畳間と寝室、あとは小さなキッチン。テレビの前のローテーブルに、朝と昼ご飯用の菓子パン。夕ご飯に何かを買うための千円札が1枚。あんぱんを食べながら、テレビをぼーっと見る日々。このままじゃいけないって、もちろん思っているよ。

日差しが薄いオレンジ色に変わる午後4時、りなはコンビニに夕ご飯を買いに行く途中に公園のブランコで揺れていると、どこからか猫の鳴き声。りなはブランコから飛び降りると、ワクワクしながら鳴き声をたどって歩いた。鳴き声は公園の隅に並んだ防災倉庫の隙間からだった。隙間と言っても猫にとっては丁度よいスペースなのかもしれないが、りなが入ることはできない狭さ。奥の方で光る眼。りなはドキドキしながら覗きこむ。薄暗い中でも猫の白い姿ははっきりと分かった。
「白猫ちゃん」
りなは話しかけたが猫は答えずに、りなの方をずっと見ていた。りなは急に思い立ってコンビニに向かいお弁当をひとつ買うと、急いで公園に戻った。
「ほれ。夕ご飯」
自分のお弁当の中のかまぼこを1枚、倉庫の隙間に投げ入れた。かまぼこは思ったように飛んでいかず、隙間の入口50cm付近に落下した。りなはじーっと隙間の奥に居る白猫を眺めていると、白猫は恐る恐る近づいて来て1枚のかまぼこをくわえ、奥の方に戻って食べ始めた。
りなはその様子をニコニコして見届けると、アパートに戻った。

りなはアパートの2階に着くと思わず驚いた。家のドアの前に担任の田中先生が立っていたのだ。先生はベージュのスプリングコートに白いパンツ、黒い髪をひとつに束ねていて、振り向いた時にそれがきれいに揺れた。大学を出て3年の女の先生、りなのクラスが初めての担任だった。先生はニコッと笑うと駆け寄ってきた。
「吉沢さん。しばらく休んでるから、先生心配して」
「うん」
りなは恥ずかしくて下を向いたまま、何も言えなかった。
「どうしたのかなって思ったんだけど…」
先生はりなの顔を優しく覗き込んだ。りなはちらっと先生の顔を見て、また目を伏せた。
「お母さんはお仕事?夕ご飯ひとりなの?」
りなは黙って頷いた。先生は大きなバッグの中からプリントを取り出して、りなに手渡した。
「宿題を持ってきたよー。明日また来ていい?」
先生が笑って言うと、りなはまた黙って頷いた。先生はいい匂いを残したまま、アパートの階段を降りて帰っていった。

それからというもの、田中先生は毎日のように、夕方りなのアパートにやってきて、丸付けをした宿題を返し新しい宿題を手渡した。
ある日、先生が帰ろうとした時、りなは先生を呼び止めた。
「先生!猫ちゃん見せてあげる」
「え!ここに居るの?」
「ううん」
りなはそう言うと先生の手を引いて公園まで連れていった。そして例の防災倉庫の隙間の前で、2人はしゃがみこんだ。
「白いのが居るねえ」
「シロちゃんって名前」
「そのまんまだねえ」
先生がそう言うと2人は笑い合った。先生はいい匂いがして髪がきれいで、そして優しい。

ある日、母親の仕事が休みの日に先生がやってきた。りなは悪い予感がしたが、その心配をよそに母親はイライラしながらドアを開けて先生と向かい合った。りなはドキドキしながら部屋の奥に隠れた。春だというのに空気が凍り付く。
「先生のせいでりなは不登校になったんですよ!先生があの子たちに注意したせいでいじめられたんだから。分かってるんですか?だから若い先生は嫌なのよ」
「いえお母さん。りなちゃんはまだ不登校というわけでは…」
「文句言う気!帰って!」
お母さんは激しく言い放つと、先生はプリントだけ置いて帰っていった。りなは震えながら部屋のすみっこにずっと座り込んでいた。

先生はそれからりなのアパートに来なくなった。りなは仕方なくひとりで公園の猫に会いに行った。倉庫の隙間の奥に潜む白猫に、りなはいつものように話しかけた。
「シロちゃんもひとりぼっちなの?」
りなが猫に手を差し伸べると、猫はゆっくりと奥から出てきた。そして、りなの手に鼻を近づけた後、なぜか急に走り出し、公園の外に出て行ってしまった。りなは去っていくシロちゃんの後ろ姿を目で追った後、ずっとその場に立ち尽くしていた。

お母さんは優斗くんの家に行ったまま、もう1週間帰ってこなかった。りなの家には電話が無く、りなは携帯も持っていない。お腹がすいて朝早く目覚めると、家の中の食べられるものを一生懸命探した。しかし、食べられるものはほとんど食べてしまっていて、もう何も無かった。

ここから先は

479字

¥ 100

この記事が参加している募集

猫のいるしあわせ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?