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「角を矯めて牛を殺す」子育てにならないために

角を矯めて牛を殺す(つのをためてうしをころす)
《牛の曲がっている角をまっすぐに直そうとして、かえって牛を死なせてしまうことから》小さな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうたとえ。『goo辞書』より

"角を矯めて牛を殺す"
僕がついつい子供に否定的なことや小言なんかを言いたくなった時に自分に言い聞かせている諺。

例えば、子供が絵を描くことや音楽など、クリエイティブな活動をすることが好きだとします。しかし、親が学校の成績が気になって、子供に必要以上に勉強を強いたり、遊ぶ時間や休む時間まで制限しすぎると、子供は勉強的な知識は身につけるかもしれませんが、クリエイティビティや柔軟性、または遊んで息抜きをする術を自然に身につける機会を失うかもしれません。

また、勉強について口うるさく言わないとしても、そういったクリエイティブな活動に対し、親が良かれと思って「もっとこうした方がいい」「これはちょっと間違っている」と頻繁に口を出したり指摘したりすると、自分のアイデアや行動が常に批評されると感じ、試行錯誤することや新しいことに挑戦するモチベーションを失ってしまうかも知れません。

スポーツに関してもそうです。
親が自分なりの厳しいルールや基準を設け、完璧を求めるあまりに、子供がそのスポーツ自体を楽しむことができなくなることもあります。

これは子供が小学生ぐらいの時に試合会場でよく見た光景なのですが、試合中にチラチラ親を見て気にしている子がいるのです。

このような状況になると、子供は自らのプレー集中、追求するよりも、単に親の期待に応えることに焦点を合わせるようになり、結果的に自己肯定感や内発的動機づけ(楽しいから!好きだから!やりたくなる)を失ってしまうかもしれません。

逆に、子供の自然な興味や個性を認め、それを伸ばすための環境を整えてあげることで、子供は自分自身の可能性を存分に発揮できるようになるのではないかと思う。

結局のところ、親が子供を操作しようとしてもその通りになんてならないと思うし、またそれが、うまく親の希望通りに育ってくれたとしても、いまの子供達が大人になった時に果たしてそれが通用するのか、幸せな生活が送れるのかは甚だ疑問です。

進化が凄じいAIの時代において、記憶詰め込み型の教育よりも、個人の独自性や創造性がより価値を持つようになっています。子供たちには、彼ら自身にしかできないことを見つけ、それを伸ばすことができるような環境を整えることが、親の役割なのではないかと考えています。

子供の邪魔をせずに、安心、安全の環境だけ用意する。


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