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どこだどこ

視座が違うので
指すところも違う
そら、そうだ
視座なんて定まらない

「この視座に集合!」って言って
集合できる場所がない


さて、ACIMでの愛は
想像の内にはない

たとえば
「世界の全ての人(物とか含む)が幸せになる」は
たぶん、想像できないと思う
というか、想像できたら、それは
間違っていると思う

なぜなら、すでに創造済みだから

……
とてもイヤな話だと思う
受け入れ難いとも思う

矛盾?しそうな話を続けると

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

『農民芸術概論概要』宮沢賢治

これについて
では、どこから始めるか、だ

こんな言葉に出会うと、全体の幸福を待つと思うし
それまで個人の幸福はおあずけのように思う

または、世界平和の実現が先な発想?
実は全然逆だ
個人が幸福を見つけることのが先だ
個人が幸福を見つけられないなら
世界ぜんたいは幸福にならない

だって、そうでしょう
あなたがなにか幸福を感じる時
世界は幸福で埋め尽くされているでしょ?
「もう最高っ!!」なんて時
世界は最高になっている


さらに、ここから巻き戻しみたいな話をすると

「世界の全ての人(物とか含む)が幸せになる」を
想像するとき
想像なので見えていない未来に置いてしまう

まさか、今それが起こっているなどとは思わない
まさか、今それがすぐに起こせるとも思わない

そして、最大は
ずっとそうあるべきという勘違いだ
時間が阻む
継続という時間を作り出すことで不可能にする

だからすでに創造済み
「世界の全ての人(物とか含む)が幸せになる」は
創造済みだ

それを含みで再度この言葉に出会うとどうだろう

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

『農民芸術概論概要』宮沢賢治

世界と個人は、なにか別物だっただろうか
そして時差があるだろうか
なにをみるか、だ


どうだろう
視座がぐちゃぐちゃになっただろうか
位置や時間があっただろうか

すみません
精進しますw

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