見出し画像

愛と憎しみは紙一重

なんてよく言うが、実際はどうなんだろうか。
今回はこのテーマで自分なりに考えてみることにした。

まぁでも「愛」とか「憎しみ」みたいなスケールの大きい言葉は人生経験の少ない私には何も語れないので、
今回はまだ身近な「好き」と「嫌い」について書いていこうと思う。

好きを強くしたものが愛だとも思わないし、
嫌いを強くしたものが憎しみだとは思わないけど、
ほぼ同じ仕組みだと考えてるので、
今から書く好き嫌いを愛と憎しみに置き換えて考えてみる。

まず紙一重とは

「ほぼ同じ」または「少ししか違いがない」

という意味合いで使われるが、ではなぜ真逆の好きと嫌いがほぼ同じといわれているのか。

それはどちらも執着しているから。

好きも嫌いも執着の部分がとても大きく、
その執着の上にほんの少しの感情が乗っているからだと思う。

あくまでもこれは個人の意見ですが。

これに則って考えると、

好きも嫌いもなんて残酷なんだろうと思う。

1度どちらかに振り切れたらもう、普通に戻ることはないのだ。

いくら相手のことが好きじゃなくなっても以前の普通の状態には戻らない。

これが裏切られたとなれば、最悪だ。

相手のことが好きで強く思っていたのであれば、その分相手に期待していただろう。
裏切られたショックはでかい。

執着している大きな部分に負の感情が乗り、憎しみあるいは嫌いに変わる。
グラデーションみたいに、徐々に気持ちが冷めていって〜とかではない気がする。

相手を思う分だけプラスマイナスが逆転するのだ。

書いてて思ったが、今回たくさん執着という言葉がでてくる。
なんか執着って悪い意味で使われがちだが、
別にそんなにマイナスの意味合いで使ってないのでもし不快に思われた方がいたら許してほしい。
人間みんな何かに固執しているので、別に執着するって普通のことなのだ。(と私は思っている。)

話は変わるが、
知り合いに昔ヘビースモーカーだった知り合いがいる。
その人は禁煙に成功して今は吸ってないのだが、その人の話によると

禁煙してからふと香ってくるタバコの匂いがとても嫌いになってしまった

らしい。理由までは聞かなかったけど、なんとなく分からんでもない。

私は漫画を描いて歴が浅いのだが、結構真剣に取り組んでいる。
コロナ禍で時間もあるしやってみるか〜とまぁまあ軽い気持ちで描き始めた漫画もいつの間にか結構執着してしまっている気がする。

もし漫画を描くのが辛くなって続けるのを諦めた時、

私は書店に並ぶ漫画を昔のように眺めることができるだろうか。

想像なので実際は全く分からないが、多分漫画を見るその目はきっと穏やかではない気がする。


繰り返すが、好きと嫌いなんてめちゃくちゃ日常にあふれているのに、なんでこんなに残酷なんだろうと思う。

なんで 好き嫌い、愛と憎しみについて考えるようになったかと言えば、去年実際に経験したからだ。

あまり詳しく書けないが、

とても好きで尊敬している先輩がいた。
結構慕っていたし、先輩も結構かまってくれていたと思う。

先輩の家に泊まったこともある仲だし、あまり人に話さないようなプライベートな話題もたくさんしてきた仲だった。

しかしある日、
その先輩が自分の師匠を紹介したいと私を東京へ呼んだ。
まぁそこまでは良かったのだ。師匠さんに会うまでは。

しかし師匠さんが、マジでヤバい人だった。

私はまだかなりのトラウマを引きずってるので
くわしく言葉に書出すことはできないが、

初対面なのにかなりの人格攻撃をしてくる人だった。

まぁでもこれは師匠さんが悪い。
だから、もう師匠さんと会うのはこれ限りにすれば良い。

しかし、しかしだ。

先輩も師匠さんに乗っかって私に攻撃してきたのだ。
一緒になって。

いや、先輩の立場も分からなくはないが、どっちもフォローするという考えはなかったのだろうか。
師匠さんと一緒にいる先輩はマジでいつもと違って本当に混乱した。

まだ師匠さんの言葉に対して頷くとか、
相づちをうつぐらいならまだしも、
自分の言葉で師匠さんに乗っかったのがマジで許せなかった。

なんやかんやあって
次の日新幹線に乗って帰ったのだが、
めちゃくちゃ泣いたし、こんなに人に憎しみを抱いたのは初めてだった。

しばらくたって先輩は私に真剣に謝ってくれた。

絶対許すものかとおもっていたのだが、
あの日から数日後に先輩は師匠さんと別件で揉めて縁を切ったらしいのだ。

何回もごめんと謝られるたび、
もう師匠さんと繋がってないのなら許してもいいのかもしれない…
と思うようになり先輩とよりを戻した。

が、

そう簡単になかったことにはできないのだ。

以前先輩を尊敬していた頃は全く気にならなかった先輩の発言も敏感に反応してしまい、
少し言い合いが多くなった。

この先輩とは意見が合わないな〜もう話さないでおこう〜
というふうにすれば良かったのだが、もう手遅れだった。


先輩に対してかなり執着してしまっていたのだ。


その時ふと深夜にメモった内容が、


「過去に先輩が無配慮に放った一言を思い出してはムカッときて嫌いになり、
自分の調子がいい時は
先輩にお世話になったあれこれを思い出して
好きになるのを繰り返してて辛い。

嫌いたいのに嫌えず、好きにもなりきれない。

この複雑な感情のせいでその人から離れることもできない」


好き嫌いのメーターが左右に激しく揺れている。
まさに好き嫌いは紙一重なんだなと愛と憎しみも同じなんだなと思った出来事だった。


でも最近とても良い言葉に出会えた。

私の中で好きと嫌いに対する考え方が変わった動画がある。

それはNHKの公式YouTubeチャンネルで公開されたもので、
料理研究家の土井善晴さんが子供の質問に答えるという動画だった。

子供の質問は
「私はいちごが嫌いです。
私のお兄さんはいちごが好きです。
好きや嫌いがあるのはどうして?」
というものだ。

それに対する土井善晴さんの言葉がとても素晴らしかったので紹介させて欲しい。

質問者さんが嫌いないちごはどんないちごですか?
甘いいちご、酸っぱいいちご、小さいいちごですか?
お兄さんが好きないちごは赤くて可愛いいちごかな?
いろんないちごがあります。

質問者さんはお兄さんが好き。
でもぷんぷん怒るお兄さんは嫌い。
質問者さんの中に、好きと嫌い両方が見つかった。

好きなものは大切なもの。

でも嫌いなものが好きになることがあるんだね。

好きと嫌い、誰でもどっちでもあるんだね。

自分と相手の関係次第で、大きくなったり小さくなったりするんだね。

僕はイナゴを初めて食べたとき、嫌だなって思った。でも田んぼに行って自分で料理したら、とっても美味しくていっぺんに好きになった。

ちょっとしたことで変わってしまう好きと嫌いの区別より、もっと大切なことがある。

それは絶対変わらない、良いものと悪いものの区別なんだ。

自分が嫌いでもいいものがあるし、
自分は好きでもよくないものがある。

一度や二度の経験では何も分からない。

本当にほんとうのことって簡単には分からないんだね。

だから簡単に嫌いなんて決めないでね。

こちらの動画はYouTubeで見れるのでよかったら是非↓

私は今回の記事でもあるように、
好きから嫌いになる場合のことばかり書いている。
だから、

好き嫌いって残酷だよね

みたいなことまで言ってしまっている。

きっと私の経験がそうさせたのだろうが、
今回紹介した土井善晴さんの言葉は私の偏った思考をフラットに戻してくれた。

「そんなに悲観しないで」と。

嫌いから好きになることももちろんあるんだよ



「だから簡単に嫌いなんて言わないで」

と。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?