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群像劇から得られる、精神安定が好きだ。

しゅんしゅしゅんです。

ちょっといつもと、毛色の違うnoteをひさびさに。

映画の内容は全く知らないのですが、タイトルがキャッチーでいつかはいつかで、いつのまにか数年たってしまっていた映画をみました。

浅井リョウさん原作の映画。「桐島、部活やめるってよ」

浅井リョウさんの小説は好きです。「何者」はめちゃくちゃ面白かった。パンチラインのオンパレードすぎて、それをほめたたえたnoteを書いたこともあります。

今回は、だからといって特に期待はせずに見たのですが、やっぱり浅井リョウさん原作。「何者」に負けじ劣らじ、すばらしい、けっこう大好きな映画でした。

人間(特に若者)の自意識や葛藤、自己実現的なことを描かせたらピカイチですな。

そして、エンドロールで流れる高橋優さんの「陽はまた昇る」がまたしびれます。

今日は内容について触れるわけではないんですが、この映画は桐島というバレー部のキャプテンでありスーパーエースが部活を辞めることを起点に、さまざまな影響をうける”桐島以外”の高校生たちの群像劇なんですね。なんとびっくり、”桐島自体”は登場しません。(意味わからんですよね笑)

んで、見終わって思ったことが、僕は改めて群像劇が好きということ。特に「そんな何でもない日常を描いた群像劇」が。

ほんと世の中には、いろんな人がいますよね。自分のちっぽけな世界や想像力では到底思い浮かばず、いろんな人がいるんです。

でも、みんな所詮は人間、大差ないんです。だから、どんな人にも共感はできるんです。

この映画の映画評を拝見していると、「登場人物の誰に自分をトレースするか?」みたいなものも多かったのですが、僕は少し違くて。誰にトレースするとかじゃないんです。登場人物の誰にもトレースできるんです。みんなにトレースできるんです。

高校生のスクールカーストを描いた映画でもあるんですが、どんな環境に身を置いてもカースト的なものは自然発生しますよね。そんで、ある場所ではカーストの上にいることもあれば、ある場所ではカーストの下にいることもあります。誰だってそうだと思います。だからこそ、誰のどれを見てもわかる~って。強弱はあれど、どれも見てもわかるわかる~って。

映画のなんでもないワンシーンで地味に好きなのが、クラス内でチーム分けをして体育でサッカーをするシーン。カーストに嫌気がさしながらもカーストを受け容れているカースト下位群の人達の中でも、それぞれが自分の頭の中で、さらに小さなカーストをいつのまにか自然につくってしまっているというのが、よくわかるシーンがあるんですけどね。とてもとても見事な描写と演技でした。

それで、群像劇が好きな理由に戻るんですが、それはたぶん、安心するから、なんですね。

自分以外のみんなも、表立ってはなんにもなそさそうで、誰だってそのひとの物語がある。みんな腐ったり、あがったり、凸凹してる。

それが安心するし、なんだか生きとし生ける人たちが愛おしくもなる。みんな頑張れーっておもう。お互い大変だけど、連続する刹那を生き続けようとしてて、頑張れって。そんなきもち。

人間は、自分が理解できるものは愛おしい、自分が理解できないものは嫌いなもんです。群像劇であれもわかる~、これもわかる~ってなると、もうみんなみんな愛おしい、人間って愛おしい、みんな凸凹しながら頑張っているんだから、俺も生きようって思う。

これね、明日からどう生きようとか、こうやって生きようとか高尚なことではなくて、ただただ、「生ーきよ」っておもう。

励まさされるとか、勇気出るとかじゃなくて、あっけらかんとして、「さあ行きますか」くらいの気持ち。

心が晴れるわけでもなく、落ちるわけでもなく。行き交う人々が見えるカフェで、歩く人たちをボーッとみていると、なんだか心が落ち着いてきて、「さ、いくか」ってカフェから出る、感じ。(わかるかな笑)

そんくらいのライトな、「さあさあ頑張りまっか」くらいが、感情として向いているんです、僕。

そんな、気持ちにさせてくれる群像劇が好きなんですよね。そしてそんな気持ちになるためには日常を描いた群像劇じゃないと効果半減なんです。

非日常が全くない、たいした事件もおこらない。日常そのものを描いたもの。日常の息苦しさを描いているんでしょうが、それを息苦しさと言ってしまうと少し違くて、改めて問われたら息苦しいと判定するのだけども、改めて問われないと当たり前だと認識されている日常。

でもそんな日常も、毎日毎日とんでもない数の浮かんでは、消えていく感情に包まれている。誰もがドラマみたいな人生じゃなくて、そんな毎日を生きている。一歩また一歩と、倒れそうになったら自然と足が前に出るような毎日を生きている。

どうしたって隣の芝生は青くもみえるし、時には腐ってもみえる。でも誰だってそうだから、結局は大差のない広大な芝生があるだけ。

だからこそ、自分の芝生を歩きますかと、邪念がなくなっていく感じ。

すごい人のドキュメントより、市井の人々のドキュメントがいいんですよね。有名なTV番組でいうと、「情熱大陸」とか「プロフェッショナル仕事の流儀」とか「セブンルール」みたいな上目のものはいまいち。「ザ・ノンフィクション」も違う。「家ついて行っていいですか?」が好き、みたいな。

なんでもないけど、それぞれドラマがある。でもみんな似たようなもんだよなが、好きなんです。

これはたぶん、焦らせないで、地に足つかせて、不惑のままで生きさせて、という自分の欲望のあらわれなんだろうって思う。これは自己防衛であり、精神安定剤なのかもしれないと思います。

上もみせないでほしい、焦るから。

下もみせないでほしい、自己嫌悪に陥るから。

ただ、いまここの自分に集中させてほしい、そうやって生きていきたいんだって心のあらわれ。上振れ下振れはするけど、基本線は一定でいさせてよって。

そーゆー欲望は昔からかわらないな。

弱いといえば弱いのかもしれない。

でも、そーゆー性格なんだわ。

ぜひ、興味がわいたら、「桐島部活やめるってよ」って群像劇、みてみてください。

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