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川上未映子「黄色い家」

毎日の通勤電車の中で立ったまま、

この分厚い本を夢中で読みました。美しい装丁が気に入って、時々カバーを外して見たりして大事にしていたのに、終盤に近付くにつれだんだん背表紙がヨレてしまい、それとともに主人公花を取り巻く女性たちの運命もだんだん過酷さを増し、心配とつらさで胸がキューっとなりました。

シンディ・ローパーと「夏物語」

川上未映子の本を読んだのは「夏物語」に続いて2冊目です。彼女がTwitterでシンディ・ローパーとの交流の話をつぶやいているのを読み、いかにシンディ・ローパーが好きなのか、シンディに救われたのかが伝わってくる短いツイートの連打に胸が熱くなった。と言うわけで、シンディも読んだという「夏物語」を手に取りました。

心に爪痕が残る小説

「黄色い家」も同様に、読むうちに心にいくつもの爪痕を残される小説でした。川上未映子の文章はとても力強くて、そして小説の終わりはどこか温かい。登場人物たちは大変な苦労やつらい目に遭うのだけれど、最後は登場人物も読み手の気持ちも裏切らないだろうな、という信頼感や安心感がある。実際、最後のシーンのおかげで救われました。

例えば、主人公花の生活が極限状態になって罪の道へ行きそうになる時に「善か悪か」と悩むのに対し、花が慕っている年上の黄美子さんはそういう人生の問題に悩むことを放棄したのか?わからない人なのか?のように描かれており、
「善か悪かと誰が聞くの?自分で自分に聞かなければ誰も聞かない」
と答えるところ。

こういうところが胸に爪痕を残す…人にそう言われたことはないけれど、自分が大事に考えることを相手は捨てている、その突き放される感はなんとなく見覚えがある感情だ。それでもやっぱり花自身はその悩みを捨てきれないのだが、やがて…

90年代中頃から、

その頃からこの国は精神的にも貧困になった。花のような「善でありたい人」「他者への想像力がある人」が社会の心の貧しい部分を補っていているのに、自分では堕ちていくことに抗えない人たち。その不条理に対する怒りとその人たちへ寄り添う気持ち。

途中でつらくても読むことを止めずに完走できるのは、川上未映子の文章の強さ確かさと思いの温かさがあるからでは?

読み終えてから私の周りにもいる花や黄美子さんのことを思いました。実は、黄美子さんのことをシンディ・ローパーと重ねて読んでいましたww

小説や映画への信頼感

ところで川上未映子さんって、ビジュアル的にも私が大好きなペ・ドゥナによく似ていてかっこいいです。

「黄色い家」を読んで、内容や設定は全く違いますが映画「私の少女」を思いだしました。極限状態に追い詰められた女性と女の子が同居し大きな事件があって離れていきますが、最後は寄り添っていく予感を残す。

こちらも、チョン・ジュリ監督とぺ・ドゥナのどうしても伝えたいという強さと他者に対する優しさが映画の信頼感になっている。

私はきっと、つらくても最後は人の心を信じているというような揺るぎない強い信頼みたいなものを映画や小説に求めているんだろうな。人の強さや優しさを根本的に信じている人や映画や小説が好きなんだと思う。
きっと誰もが。


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