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1つは2つで、2つは1つ。

本日は、月1写経の日でした。
昨年の2月から、毎月こちらの神宮寺さんに通わせていただいております。

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いつも、住職さんのお話を聴いて、
一緒に般若心経を読経して、写経をするという流れです。

色々沖縄の仏教のことや、琉球八社の成り立ちとか、
細かい話が色々聴けて、質問もできてとても良い時間になっています。

東寺真言宗と高野山真言宗

ちなみに、真言宗には二大宗派として、
京都の東寺真言宗と、高野山の高野山真言宗があります。

神宮寺さんは、東寺真言宗であり、
五木田がここ数年学んでいるのは高野山真言宗です。

ちなみに、真言宗智山派の成田山新勝寺が運営する成田高校出身です。
かといって、仏教・お寺とは全く関係ない一般クラスでしたが。

東寺は、空海が唐から帰ってきて最初に与えられたお寺です。

その後、修行をするには京の都は俗すぎるということで、
修行の場として当時の嵯峨天皇から高野山を譲り受け、
開拓したの高野山
です。

東寺は、都ですから、真言宗の布教の場として、
高野山は修行の場としての役割がある。

この2つは両方なくてはならないものでどっちが上とか下もありません。

1つは2つで、2つは1つ。

真言宗の最も重要な教えの1つに、
「而二不二」という言葉があります。

「ににふに」と読みますが、
「1つは2つで、2つは1つ」という意味です。

「而二」とは「1つのものを2つの面から見る」ということで、
「不二」とは「2つの面があっても、その本質は『1』である」
という意味です。

例えば、紙。
紙には「表と裏」があります。
表と裏があって、1枚の紙である。

これが「不二」にあたります。

つまり、紙には表と裏という二つの面があり、
その両方があるからこそ、紙が存在している
というわけです。

ま、当たり前のことを言っているだけなんですけど。

表と裏のような切っても切れない関係が「而二不二」です。

男と女、太陽と月、昼と夜、心と体、、のような二元論。

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でも、どっちが良いとか悪いとかでなく、どっちも同等に重要。
そして、両方があるから、1つであるという世界観です。

この世の世界は「而二不二」となっている。

この世の中に、表だけ、裏だけの世界はなく、必ず両面があります。
悪と正義、光と闇も一緒。どちらかだけには絶対ならない。

だから、悪の一掃は終わったと思っても、
光の側からまた悪が出てきたりする。

どちらも必要だから絶対に無くなりません。

「悪いこと」というものが存在するから「良いこと」がわかる。

男がいるから、女がわかる。
昼があるから夜がわかる。
あなたがいるからわたしがわかる。

この世の世界は「而二不二」となっている。

金剛界と胎蔵界

真言宗には、金剛界と胎蔵界という2つの世界があるとしています。

金剛界は「智慧」の世界、
胎蔵界は「慈悲」の世界を説きます。

真言宗のお寺には、金剛界の世界を描いた「曼荼羅」と、
胎蔵界の世界を描いた「曼荼羅」が本尊の横に掛けられています。

この2つがこの世の真理を説くというものです。

これらは、元々は全く別の教えであったものを1つにまとめたのが、
弘法大師空海の師とされる恵果和尚
その教えを引き継ぎ、発展させたのが空海です。

智慧と慈悲=論理と感情。

「智慧」と「慈悲」という言葉を分かりやすく変換するなら、
「論理」と「感情」でしょうか。

論理的だけでは、ロジハラと言われてしまうように(笑)、
人の心には響きません。逆に、感情だけでは説得力がない。

論理+感情=納得です。

誰かを助けたいと思った時(感情)、
助けたいと思う気持ち(慈悲)があっても、
助ける方法(論理、智慧)を知らなければ助けることはできません。

また、助ける方法を知っていても、
助けたいと思う気持ちがなければ、助けることはないでしょう。

これ、わたしが昔から言っていることでありますが、
専門性だけでなく、人間性が大事だと言ってるのと一緒です。

凄い知識や技術を持っている医師がいても、
人間性が低ければ、徳がなければ、お願いしたいと思わないもの。

逆に、どんなに人間性が良くても、徳が高くても、
医師としての知識や技術がなければお願いしたいとは思いません。

だから、両方必要なんです。

真言宗、仏教の世界観で伝えているのも一緒なんです。

「智慧」と「慈悲」の両方が大事だよと。
両方は2つで1つだよと。どちらかだけでは足らないのです。

だから、専門性も人間性も磨き続けるべく、
精進し続けるという心が大事だと思います。

わたしたちは、生かされている。

自分さえ良ければという「利己心」は、「慈悲」の心がありません。

「利他」の心があるから、商売はうまくいくし、
それが世のため人のためになります。

わたしたちは、生きているのではなく、生かされている。
誰かに必要とされている。誰かの役に立っている。
わたしたちは、助け合って生きている。

人は一人では生きていけません。
あらゆる生命をいただいているから、今日も生きています。
生きたくても生きられない人がいても、わたしは今日も生きています。

自分の心臓は自分ではとめられません。
自分の意志で生きているのではなく、
もっと大きな力によって生かされています。

そう思えれば、感謝の気持ちが湧き、
利他の心が自ずと生まれてくるでしょうし、精進するだろうし、
より必要とされる人間になるでしょう。

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ちなみに、この写真ののぼりは、2つ合わせて東寺真言宗の神紋です。

右のは神社でよく見る三つ巴のやつですよね。
本来、神仏は一緒なんです。2つで1つ。

明治で神仏分離されましたが、本来一緒なんです。

いちいち分けたがるのが西洋思考だし、
分けた結果、本日からどんどんズレていくのが、
西洋思考であり、専門性思考ですね。

さらにちなみに、表には出てきませんが、
空海は景教(キリスト教)も学び、
仏教の教え「智慧」と「慈悲」に「愛」を加えました。

この3つで完成させたと言ってもいいかもしれません。
分けるのではなく足していった、まとめていったのが空海です。

不足を補い合うのが東洋思考であり、
すべては1つというのが東洋思考です。

あまり固執しない方がいいと思う。

「どっちがいい」ではなくて、
「どっちもいい」がいい。

いや「どっちでもいい」かな。

すべてにおいて、両面があり、
その両面があるからこそ、1つなので。

仏教にも入りすぎず。
神道にも入りすぎず。
キリスト教にも入りすぎず。

一歩引いた視点で、多角的に学び続けていると
客観視できてちょうど良いと思っています。

ま、それを中途半端と言う人もいるでしょうが、

1つで100点取るより、50点を2つの方が視野が広いですし、
50点を3つなら、150点で、圧倒的に視野が広くなります。

でも、30点を5つだと同じ150点でも、そこに深みはない。
赤点ギリギリが5教科あるよりは、
2教科で80点、合計160点取れた方がいい。

つまり、何が言いたいかと言うと、

何が良いとか悪いとかないし、
自分は自分の価値観で生きればいいと思うし、
それを誰かに押しつけるのはちょっと違うと思う。

だから、勧誘してくる宗教はダメですね。
自分から学びたいと思って学べばいいし、
その学びをサポートしてあげるのが、指導者だと思う。

絶対的な答えなんてないですし、
それぞれがそれぞれの答えを探していけばいいんじゃないでしょうか。

そんなことを思った今日でした。

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