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うつ病の原因がウイルス!!…なわけないだろ。。というところから、「心」に関して。思ったことをそのまま書いてみた。

ハイサイ。
曲がったことは大嫌い、五木田穣ごきたゆたかです。

昨日、Twitter(X)で、うつ病の原因が、ウイルス!!
というのを見かけました。

3年前にこんなのが出てたとは。。

  • 疲労がたまると、ヒトヘルペスウイルスが唾液中に増える

  • ウイルスによって作られるタンパク質が嗅球の細胞死を誘発して脳のストレス状態を強める

  • うつ症状のない人とうつ病患者の血液中にSITH−1遺伝子によるSITH−1タンパク質があるかどうかを示す抗体を調べると、うつ病患者の8割で抗体が確認

つまり、このウイルスがうつ病の原因だ!!と言っているわけですが、、


うつ病の原因がウイルスのわけがないだろう。。

ていうか、最初に「疲労がたまると」って言ってるやん(笑)
じゃあ、疲労が原因やないかい。

じゃあ、その疲労の原因は?
その前に肉体的疲労精神的疲労もあるよね。

疲労が溜まるほど、働いてしまう原因は?
思考に問題あり。思考するのは脳。つまり、脳のエラー。

うつ病の原因は脳のエラーの結果です。
脳のエラーは、思考の癖が原因です。

心が自由自在なら、鬱になんてならないよ。思考の癖が、心身を病み、うつ病と言われる症状を生む。(反応として、生理学的なエラーが起きて、脳に指令がうまくいかなくなる)

科学は信じすぎない方がいい

原因と結果を履き違えやすいのが、科学であり、医療です。

だから、治らないし、悪化させる。

ウイルスが原因だ!ワクチンだ!って、
ワクチン打たせたいだけじゃないの?

結果として、唾液中にそのウイルスが増えているんでしょう?
体内の生理学的反応として。

普段は血液などに潜伏してるんでしょう?

じゃあ、何かの原因があって、唾液中に増えてるだけやん。
原因じゃない。結果だよ。


先ほど、心が自由自在ならと書きましたが、

心が自由自在とは、心が支配されていないということ。
心が何かにとらわれていないということ。

それこそ、般若心経「すべては空(くう)だよ」が理解できれば、悩みというものが自分が生み出した妄想でしかないと気づける。

悩みは実在しない。実在しているように見えるけど、それはあなたの頭の中、頭の解釈だけが生み出しているので、解釈を変えれば消える。

すべては空である。動いている。変化している。放っておけば変わっていく。すべての環境は変わっていく。諸行無常である。諸法無我である。涅槃寂静である。

ブッダが悟ったとされる三法印が腑に落ちるだけで、悩みは消える。悟りとは、悩みがない状態である。悩みがない状態、静寂でキレイなものだよ。

心の天気との向き合い方

心の天気は、自分で生み出したもの。
心の曇りは、自分で晴らすことができる。

まず、心が曇ったら、心が雨を降らしたら、やむのを待てばいい。
晴れるのを待てばいい。やまない雨はないのだから。
いずれ晴れる時がくるのを待てばいい。落ち込まなくていい。

また、雨には雨の日の過ごし方がある。
晴れには晴れの日の過ごし方がある。

雨が降っていたら、無理に出かけようとしないもの。

心の雨が降ったのなら、静かに過ごせばいい。静かに過ごしていていい。

でも、見える世界が狭かったら、思考がとらわれてしまう。だからこそ、心の天気が悪い時は、外の天気が晴れた日に出掛けてみるといい。

太陽が、あなたの心の天気も晴らしてくれるでしょう。太陽が眩しすぎたら、日陰で過ごせばいい。自分に合ったタイミングで、自分に合った過ごし方をしよう。それでいい。それがいい。

天気に良いも悪いもない。

その先の視点もいえば、天気に良いも悪いもないんだよ。
良い天気かどうかは、その人の解釈による。

良い天気とは、実在しない。晴れ=良い天気とは限らない。
これは主観でしかない。
雨が降らない日が続いた後の雨は、恵みの雨であり、雨が良い天気となる。

すべて「空(くう)」である。
「空(そら)」は、「空(くう)」である。
だから、「空(そら)」という。

さらに言えば、宇宙と書いて、(そら)とも読む。

この宇宙は、諸行無常であり、諸法無我であり、涅槃寂静である。
揺れ動くものだけがそこに在る。

「事実」と「解釈」だけがそこにある。

すべて実在しない。しているようでしていない。
事実だけがそこにあり、解釈のみがそこにある。

事実は変わらない。解釈は変えられる。
自分の人生の解釈も自分で変えられる。

研究者ではなく、探究者であれ

話を戻すと、前述の「うつ病の原因がウイルスだ」という記事を見て、研究のための研究になっていて、もはや何の意味もないと私は思いました。

結果から原因を探るもの。それが、本来のあるべき姿ではないでしょうか。

たまたま特定のウイルスがたくさん検出されたからといって、それが原因とは限らない。前述しましたが、それは結果であって原因ではない。思考が短絡的で、深みがない。研究者というのは、その程度でしかないのですか?

ただ知っているだけの知識には何の意味もない。実践ありきの見識にこそ、意味がある。研究しかしてないから、どんどん思考が狭くなっているんじゃないの?頭でっかちなってますよ。もっと、色々視野を拡げた方がいい。

研究だけしてる科学者には、何の魅力もない。
「研究者」ではなく、「探究者」であるべき
だ。
真理を探究する探究者であるべきだ。

室内にこもっていたら、真実が見えるわけがない。もっと、外の世界に出た方がいい。もっと外の世界を知った方がいい。

事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きているんだ!

心の中心を、自分に置くこと

自分の人生を中心に生きること。
自分を人生の中心に置くこと。

ただ、それだけですよ。

自分の現場(人生)に関して、
他人にギャーギャー言われる筋合いはないし、
そんなものが正解であるはずがない。

他人の人生じゃない、自分の人生を生きるんだ。
流されちゃダメだ。舵を取るんだ。

逆らえない流れには逆らわず、流れに身を任せながら、
安全地帯に抜け出るんだ。

人生は航海だ。羅針盤が必要だ。
流され続けないための知識が必要だ。

中道を生きる。中庸である。中心にいる。

中心にいれば安定する。振り回されない。
周りが勝手に騒いでいるだけ。

それを悟ったのが、ブッダ。2500年も前に。それが、真理である。
悟って、なんぼ。

誰でも悟れるよ、仏になれるよと説いたのが空海。それを即身成仏と言う。

自由自在に生きる智慧。それが、般若心経

もう一度。「すべては空である」が腑に落ちれば、自由自在に生きれる
その教えが書いてあるのが、般若心経

般若心経の最初は、
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄」
から始まります。

観自在菩薩とは、観音様のことであり、観音様が、般若の智慧、心の智慧を語った、空を体得するための智慧を語ったのが、般若心経です。

観自在とは、何かにとらわれることなく、ありのままに、あるがままに、「自由自在」に「観る」ことできることを指します。

ほとんどの人が「見てる」だけで「観て」ないんだよね。
だから、本質がわからない。騙される。振り回される。

自分の人生を生きていく

自分の目で観て、自分の耳で聴いて、自分の心で感じて、自分の頭で考えて、自分の足で、自分の人生を歩んでいきましょう。

最後まで、お読みいただきありがとうございました。

それでは、また〜。

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