アニメ「魔女の旅々」5話までのマーケティング的な観点からの所感
今秋のアニメは中々良作ぞろいで、見てる側も時間が足りなく感じるほどです。
さて、その中でも賛否両論のある作品の一つ、「魔女の旅々」について思うところがあるため、筆を執ることにしました。
物語をおさらいしますと、魔法が当たり前にある世界で、魔女と旅に憧れた少女イレイナが憧れのままに魔女になり、旅をはじめ、旅先の物語を紡いでいく話となっております。
各話毎の話をざっくりとまとめますと、以下の通りです。
一応本編を見ている、という前提でまとめますので、最小限であることはご了承ください。
1話 魔女見習いイレイナ
天才の魔女見習い、弟子入りで初めて挫折を覚えたから今後の旅は安泰だな!
2話 魔法使いの国
街で魔女の証明章を失くしてしまった。ついでに弟子にした魔女が犯人だったけど悩みを解決したから大丈夫だな。
3話 花のように可憐な彼女/瓶詰めの幸せ
花畑の花を街に届けてほしいと言われたから届けたら人間を花畑の養分にするためのフェロモンだった。
幸せを集める瓶を持った少年が食事に招待してくれたから着いてった。
一緒に暮らしてる奴隷の少女が不幸そうだからって少年が幸せの瓶で幸せを見せたら余計に絶望した。
4話 民なき国の王女
立ち寄った町に人がいないと思ったら一人だけ発見。
街にいる竜を討滅するのが目的らしいから穴掘りだけ手伝って、復讐を完遂できたらしい。
5話 王立セレステリア
師匠の故郷で師匠に会ったのでついでに師匠の教え子に魔法を教えました。
といった具合ですね。
見返してない上にうろ覚えなので、間違ってたらごめんなさい。
さて、この作品を表する言葉としてよく言われるのが、「劣化版キノの旅」です。
※キノの旅:旅人のキノが相棒でモトラド(モトラート・ドイツ語で二輪車の意味)のエルメスと旅をしながら、様々な国を巡るという短編、1話完結型のファンタジーである。(wikipediaより)
魔女の旅々も実際同じような一話完結型の旅先を描いたものではあります。
ただそれだけなら、特に問題ではないようですが、賛否の否が出てくる要因の一番の原因は恐らく、3,4話のせいです。
この2話はいわば救いのない話として描かれているものです。
ホラー然り、怖いもの見たさという言葉があるように、人はネガティブなものに強く反応するようにできています。
そのため、可愛い美少女の綺麗な旅路を期待していた人たちにとって、散々な結果となったのではないでしょうか。
ここまで書いておいてなんですが、私は創作における正解、正道はないし、自由であることが創作の最大の命題だと考えています。
そのため、魔女の旅々がネガティブな物語をいくら書こうが問題ではないし、創作物を世に出すだけでも尊いことです。
しかし、これが商売、マーケティングになると話は別です。
商売の原則は消費者が欲しいと思うものを売ることに他ならないわけです。
そういった面で、魔女の旅々を見るとこれはこの2,3話はマーケティングという観点では適切でないと考えられます。
では、改めてどういうわけかを説明しましょう。
まず第一話、これはマーケティング戦略的に言うところの「第一印象」に当たります。
人が人を見るとき、開始3秒で判断するように、アニメでは1話でその作品がどういう作品なのかを判断されます。
(余談ですが、作家という人種には出会い頭のコミュニケーション能力に欠ける人、いわゆる内向型が多いため、アニメ一話でもそういったマーケティングが下手な場合もあるので、個人的には1話切りは推奨してないです。この話の掘り下げはまた別の機会に書こう)
1話は少女イレイナが魔女イレイナに成長する話です。
ここで主人公に対する印象、親近感を残し、次の話に繋げるように作られています。
さて、続く2話は一時的に主人公が弟子を取る話なのでこれもまた主人公の話です。次に行きましょう。
そして3話、これが問題です。実は、これには主人公の必要性がみじんもないのです。4話も同じく。
立場としては傍観者ですから、救う、救わないはさして重要ではないのです。主人公がいてもいなくても、結末は変わらなかった物語たちがこの話です。
1話で読者が期待したものは「旅を通した主人公の物語」です。
そのための1話の主人公の掘り下げです。
そんな中で、全く関係ないうえに、ネガティブな内容を見せられたと思った人たちが否の意見を出し続けてしまう、という結果になったのでしょう。
ついでにポジティブな言葉よりネガティブな言葉の方が語彙力あるのもそれに拍車をかける…というのはまた別の話ですね。
あくまでマーケティングの話として言うのであれば、この話はもうちょっと匂わせた(幸せな話ばかりじゃないよとか噂程度でうんたらといった伏線を張るとか)うえで、後半にポロ出し位が適切ではあったのではないでしょうか?(まぁアニメの尺的な問題で、余計な話を入れる隙間なんてそうそうありませんが…)
そして、このネガティブな話に対する読者の耐性を下げている原因がもう一つあると私は愚考します。
それは、作中に度々出てくる「魔女は強くてかっこいい」という印象を受ける言葉です。
というのも、この世界における魔女の立場というのは「どの街でも優遇されて、強くて毒耐性まである」という現実ではまずありえない性能を有しているからです。
他ではこの作品を劣化キノの旅と称されていますが、私の考えでは「なろう系キノの旅」であると言えます。
※なろう系:主人公が異世界に転移、転生などして最強の地位を簡単お手軽に獲得できる創作物全般を指すミーム的表現
転生モノではないですが、主人公が絶対安全安心最強生物の存在であることを作品の節々に匂わせる発言をしているわけです。
そんな中で、救える命を無視したり放置したりすることに怒りを感じる人がいるのもあるいは仕方のない話かもしれません。(ノブレス・オブリージュがない主人公に果たして魅力があるのか?)
いや、かつての主人公像はたとえ力が足りなくても世の理不尽に立ち向かうかっこいい存在として描かれていました。
実際そういう英雄譚が昔から好まれているのも事実です。
ある種、そういった英雄譚とは逆行した物語の一つの回答がこの作品なのかもしれません。
何度も言うようですが、創作には正解がなく、書き手が正解だと思うのが正解であるのが創作の良いところです。
それが創作の楽しさであり、受け入れ難さでもあると考えています。
もう世に出た以上、既に発生している議論が消えることはないですが、その議論が少しでも生産性に繋がることを私は望んでいます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?