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エッセイ:アウトプットが大事というけれど【インプット大全・アウトプット大全】

2年ほど前、バイト先の飲み会で先輩や社長が「アウトプットしろよー、インプットしただけじゃ何にもならないぞー」といった趣旨のことを話していて、よく聞く話だ〜と話半分に聞いていた。しかし冷静になって思い返すとたしかに自分の足りていないところだなと、酔ったまま書店へ行き購入したのが『インプット大全・アウトプット大全』だった。



ざっくりとした要約をする。
アウトプットをするためにはまずインプットが必要だ。しかし、インプット過多になってはいけない。インプットのみでは記憶に定着しないからだ。記憶の定着のためにはアウトプットをしよう。インプットとアウトプットは相互関係で成り立っており、どちらも疎かにしてはいけない。

主な内容は上記の通りだ。これに加えて実践例(本を読む、映画を見る、ブログを書く、SNSに毎日投稿する、色々な人に同じ話をしてみるetc…)が書かれている。

インプット大全、アウトプット大全を読んでいて気づいたことは2冊とも内容が似通っているということだ。ここでいう似通っているは構成やレイアウトということではなく、内容のことだ。それもそのはず、両本とも一貫して
<記憶の定着>を目的にしているからだ。
質の良いインプット(記憶の定着)のためにアウトプット(ブログを書く、会話をする)をしなさいという指南書なのだ。

インプット(記憶の定着)と表現したようにインプットと記憶の定着はイコールをつけることができる。『アウトプット大全』で書かれている「アウトプット」は「インプット」のための「アウトプット」といえる。つまり『アウトプット大全』の「アウトプット」は「インプット」に包含されているといえる。

『アウトプット大全』、『インプット大全』と名前がついているが実際は2冊合わせてインプット大全なのでは?と私は感じた。

恐らく大半の人は『アウトプット大全』でいうところの「アウトプット」(インプットのためのアウトプット)の意味で「アウトプット」という言葉を使っているのではないだろうか。間違いと指摘しているわけではない。言葉の意味では正しい。ただこの意味での「アウトプット」は繰り返し言われるほど重要なのだろうか?

「アウトプット」という言葉にはもうひとつ意味がある。それは「想像力を伴ったアウトプット」だ。小説家や学者が膨大なインプットから生み出されたアウトプットをイメージして欲しい。エジソンの1%の部分だ。私はこちらの「アウトプット」こそ大事で目標として目指すべきものであると考えている。

「想像力を伴ったアウトプット」を認知していないと目標に立てることすら出来ない。
「インプット」した内容の再生産を「アウトプット」と認識しているだけでは成長することは難しいだろう。
「アウトプットしろよー、インプットしただけじゃ何にもならないぞー」と言っていた彼らは「想像力を伴ったアウトプット」を認知していただろうか。

私は将来の「想像力を伴ったアウトプット」に向けて牙を研いでいる最中だ。

※このエッセイはインプットのために書き始めた。質の良いインプットをするためのアウトプットだ。
これだけ書いたが私は『アウトプット大全』でいうところの「アウトプット」も全然足りていないと自覚している。今年こそは文書を多く書いていきたい。

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