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更地にしたかった

風呂に入ろうとしてシャツを脱いだ時に初めて、今日一日、ヒートテックを裏返しに着ていたことに気づいた。人生、だいたいそんな感じ。
もうすぐヒートテックを着るような季節でもなくなる。今年は暑いらしい。暑い夏は好きだが、暑い春には価値を感じない。

小さな白い茶碗を割った。
シンクと冷蔵庫の間の謎の隙間に、何かが吸い込まれていったかと思うと、嫌な音がした。彼(あるいは彼女)は大学時代、一人暮らしを始めた頃から使っていた食器の一つだが、ちょっと小さいので、最近は専ら汁物にしか使っていなかった。あの頃使っていた食器も徐々に減ってきて、もしかしたら最後の一つだったかもしれない。過去との連続性が失われてしまったような、そんな感覚を認めたくなくて、なんとなく破片はまだ片付けていない。

生活は苦しい。
偶に、自分はこの暗がりの中にちゃぷちゃぷと足を浸して遊んでいるのか、それとも本当に暗がりの中に沈んで苦しんでいるのか、自分でもよく分からなくなる。恐らく、他人が思うよりもパツパツで生きている。自分自身の認識の中では。

自分に創作ができたのなら、きっと東京を焼き尽くしただろう。なんとなく、そんな実感がある。
どうやっても記憶を消せないのなら、自分の記憶を形作るもの全てを消して仕舞えば良い。虚構の更地に立った時、やっと、自分はどこかへ行けるような気がする。
Ghostwire: Tokyoの人のいなくなった東京の景色は、自分にとって虚構の更地だったのかもしれない。けれどそこは真の更地ではなく、ただ街だけは存在していて、何の変哲もない街角にいつかの夜の道の景色を重ね、憧憬を深めていたこともまた事実だった。
シン・ゴジラの中で、ゴジラが見慣れた街を焼き払った時、恍惚のような満足感のような感情が自分の中に生まれたことを憶えている。けど調べたら、シン・ゴジラの公開は2016年で、あの春よりもはるかに前だった。おかしいな。4年前の春以来、自分の中で時系列が錯綜している。

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