夜、街灯の光

最近、夜になると気持ちが落ち着かないことが多くて、そんなときはあてどなく散歩に出る。心の状態の悪さに比例して、歩く距離は長くなる。

白い街灯が、夜の暗がりをぽつんと照らす光景にどうしても、春の夜、終電もない時間に歩いた、東京の街の景色を思い出してしまう。まだ、世の中が簡単に形を変えてしまう前の出来事。何度も何度も再生したその記憶は、擦り切れたビデオテープにノイズが混じるように、美化されて、もはや概念でしかなくて、ホンモノは一つもなくなってしまっているかもしれない。いつかちゃんと、自分の言葉で、その記憶を語れる日が来ればいいなと思う。


記憶というと、「自分の一番最初の記憶」はいったいどこだろう?と考える。「物心がついた」瞬間とはいつだったのだろう。自分の記憶があると認識したのはどんな感覚だったのだろう。それは、酩酊して記憶を失った後、はっと今この瞬間まで記憶がなかったことに気づく、あの感覚に似ていたのだろうか。

自分が覚えている一番最初の記憶は、恐らく一歳くらいの頃のこと。まだ言葉も話せないような自分が、親戚の家で、従妹の尻に噛みついた出来事。従妹は泣きながら、親たちに自分が噛みついてきたことを報告し、自分はケロッとしている。そんな記憶。

ただし、記憶というのは常に形を変えて捏造されていくもので。特に幼いころの記憶は、自分では覚えているつもりでも、親や兄弟からの伝聞によって、形作られたものを「記憶」だと思っていることが多い、ということは自分でも知っている。

その次の記憶は何だろうと考えると、幼稚園に入る前、二歳か三歳くらいの頃。今はもう亡くなった祖母に預けられ、立正佼成会の支部に連れていかれた記憶がぼんやりと残っているくらいなので、あまりにもはっきりと覚えている尻かじりの記憶は、後から作られたものなんだろう。ただし、その出来事を覚えている親族はいないので、捏造されたものだとしても、ベースとしてわずかに記憶があったのかもしれない(と信じている)。


もう一つ記憶で思い出す出来事は、小学校二年生の頃、記憶喪失に近い状態になった時のこと。友達と連れ立って、坂道をキックスケーターで下っていた自分は、石につまずいて、肘をついた後に軽く頭を打った。その時は特に何事もなく、その後すぐに、帰りが遅いのを心配した祖母に迎えにきてもらったことまでは覚えている…というか記憶があるのだが、その後の記憶は一気に次の日の朝まで飛ぶ。ずっお寝ていたわけではない。その間ずっと自分はいつも通りに行動していたのだが、全く記憶がない。

今でもよく覚えているのは、翌日起きてすぐ、見慣れない食玩がテレビの上にあるのを見て、「これお父さんが作ってくれたの?ありがとう!」と言った瞬間に父親に大笑いされたことだ。なんでも前日に全く同じセリフを言っていたらしい。

後から聞いた話。頭を打った日、帰宅した自分は少し様子がおかしく、心配した両親は病院に連れて行ったそうだ。ただ検査しても特に異常はない。自分の家では子供の頃、病院に行った日には好きなお菓子を買ってもらえるという風習があったので、その日も帰りにコンビニでお菓子を選んでいた。欲張った自分はいくつもお菓子を買ってもらおうとするが、そんなに多くは買えない、戻して来いと言われる。自分は戻そうとするのだが、お菓子を持ってきた棚の位置が分からない。目の前に目的の棚があるのに。(当時の自分の名誉のために言うが、平常時、そこまでぼんやりした子供ではなかった)

結局、組み立て式の食玩を一つ買ってもらい、自分で作った。完成した後、何かを探しに自分の部屋に行って戻ってきた際、食玩を見て言ったのが例のセリフだったらしい。つまり、頭を打ったその日、短期記憶が全く維持されない状態になっていた。

幸いにも翌日からは自分に「自分の記憶がある」という意識があったし、それからずっと、特に問題なく生活していた。ただあれから数日経っても、何年経っても、あの日頭を打った後の記憶が戻ってくることはなかった。十年以上経ったある日ふと、頭を打った後、家に帰るまでの道の記憶までは思い出せるようになった瞬間があったので、記憶というものは不思議だなと思う。


余談だが、今日の話に二度出てきた祖母とは、小さい頃からずっと同じ家で暮らしていた。幼稚園に入る前は、共働きの両親の代わりに祖母に面倒を見てもらい、自分を「おばあちゃん子」だと思っていたし、祖母の事はずっと好きだった。だから大学一年の冬、祖母が亡くなったと連絡を受けた日のことは、日付も、それが何曜日だったかまで覚えている。

祖母のこととなると、本当に色々なことを、もう手遅れになってしまったことを考える。一人暮らしのために家を出て、会う機会が少なくなってしまったこと。成長してからはなんだか他人行儀で、本音で話をしなかったような気がすること。自分は内孫だったので、祖母には特にかわいがってもらっていた。だから、自分もその愛情には応えたかったし、幼少の頃、ひどい言葉を言ってしまったような記憶もあるけれど、祖母が最後に思い浮かべた自分はどんな姿だっただろう、祖母に見せたい自分の姿だっただろうか、と今でも考えると少し涙が出る。

頭を打った日、迎えに来てくれた祖母の姿だって、大事な思い出の一つ。その懐かしい声さえも、段々と何か似た別のものに置き換わって、薄れていく。忘れたくない、いつまでも変わらず大事にしたいと思う昔の記憶と、形が変わり、消化されていくようにと願う記憶のことを、今夜は考えている。

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