7万円で得たもの

去る7月16日、キーボードを購入した。
中古で7万円だった。

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ことの発端はその1週間前の7月9日。
その日、私は友人である"は〜ん"(仮名)の新築一戸建ての自宅にあるプライベートスタジオへ遊びに来ていた。
は〜んはかつて勢力的にバンド活動や恋愛活動をしていたが、今は独身に専念している同い年の男性である。
彼のスタジオに行くのはその日が初めてで、ビンテージのドラムセットやギターアンプの他に、壊れて音の出ないビンテージのローズピアノも置かれていた。楽器に詳しくない人はピンと来ないかもしれないが、これは独身に専念した者にしか成し得ない貴族買いである。
その壊れたローズピアノの鍵盤を人差し指で押しながら、私はは〜んに「実は最近ピアノ練習してて、きらきら星がギリ弾けるようになったんだよね」と伝えた。

一般的にきらきら星が弾けるようになって人から褒められるのは10歳頃までだが、これはアラフォー男がきらきら星でギリという微妙な情報を得ては〜んがどの様な反応を示すかを試したのだ。
意識の高い他府県民であれば「へぇ〜すごいじゃん」とか「いくつになっても新しいことに挑戦するのって素敵だよね」とか言うかもしれないが、ここはボケとツッコミの街、大阪である。「いや、40手前がきらきら星でギリなんかい」や「どこに向かう気やねん」などといった返しが来るのではないかと予測した。

しかし、は〜んの反応は違っていた。

「お〜、実は10月2日に奥田民生のコピーバンドでライブが決まってるんですがね、ちょうど今鍵盤弾いてくれる人探してたんですわ」

これはツッコミではなく、無茶振りを使った「かぶせ」である。
しかしその時、私の脳裏には以前勤めていたブラック企業(複数社)の上司達の声がよぎっていた。

「”できない”だけは絶対に言うなよ」(大手SIer・課長)

「“できない”と思ったら思考が止まる、思考を止めるな」(Web系ベンチャー・社長)

「できるかできないかじゃない、やるんだよ」(中堅SIer・主任)

「嫁とラブホ入ろうとしたら嫁のお父さんが風俗嬢と手繋いで出てきてな」(大手メーカー・課長)

思い出の中の上司達の言葉に背中を押され、私はコピーバンドへの参加を快諾した。あと、最後のはホワイト企業の上司だった。

は〜んのバンドは既に10月2日のコピーバンドイベントに出演することが決定していたが、この時点で私はネット通販で買ったMIDIキーボード(※)しか持っていなかった。これではライブに出れないと思い、翌週末に楽器屋に行き、ライブで使用できる本格的なキーボードを購入した。
※MIDIキーボードがどういうキーボードなのかは各自でググってください

私は早速は〜んに「キーボード買いました、中古で7万円でした」とLINEした。これには「もう後戻りできないからな」と言う意味が込められていた。

ちなみにこの時点でまだやる曲の譜面すら見ておらず、普通に考えてきらきら星でギリの初心者が2ヶ月半でライブに出るのは無理ではないかと思われたが、1日1時間練習して、出来るところまでやろうと思った。

しかしその後、仕事が信じられないほど忙しくなり、もはや何も信じられなくなり、クロールの息継ぎの時の顔ぐらい必死で生きるしかなくなった私は平日の練習は全て断念し、土曜日にまとめて7時間練習することにした。

さらに信じられないことに、コピーバンドの練習はメンバーの都合で日曜の朝6時からが基本だった。平日は23時近くまで残業し、土曜日に7時間キーボードを個人練習し、日曜は朝6時からコピーバンドの練習をし、その合間を縫ってその他の各種イベントを消化していったが、どうにも身体が耐えられなくなってきていた。

私は肉体を持つ以上は一定の睡眠をとらねばならず、このペースで活動していると限界が近いことを悟った。なので肉体を捨て、概念になることにした。

こうして概念となった私には限界など存在せず、今でもこうしてサイバー空間で無限の活動をすることができている。その時、フィジカル空間に置いてきた肉体には別の魂が宿り、新たな私(極薄亭ゴム太郎)として活動している。

このように、私の肉体の中身が入れ替わったとき、分かりやすいようにアカウント名を0.02代目極薄亭ゴム太郎⇨0.03代目極薄亭ゴム太郎のようにカウントアップするようにしている。今の私(フィジカル)が何代目であるかは、この数字で判断して欲しい。そんなこんなで色々あったものの、最終的に私(フィジカル)が初めてキーボードで参加した奥田民生コピーバンドのライブは無事大成功を収め、ハッピーエンドの大団円となったわけだが、私(サイバー)としては7万円で概念となり肉体から解き放たれることができたと考えるとかなりコスパが良かったと思う。

私はこれからもこの経験を糧に、奥田民生さながらに、サイバー空間を自由気ままにさすらおうと思っている。

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