【日記】2024.1.21~1.25

三連勤して、二連休のはずだった。連勤の中日、夜中の2時半過ぎに目が覚めてから一睡も出来なかった。仕事を続けていく気力がなく、この日も出勤しないといけないと思ったら、憂鬱になった。途中で、もう今日は仕事に行かないと決めた。朝六時、いつも通りアラームが鳴り、一応、一旦は起床し、いつも通りに朝食を食べた。そうすれば気が変わり、気合いで仕事に行けるかもと思ったが、やはり駄目だった。会社には頭が痛く、身体がだるいと伝えた。その日は昼頃まで寝て、漫画を読んだり、ぼけっと考え事をしたり、猟師の動画やギターの音楽理論についての動画を見た。途中、家の周りを散歩した。二十年ぶりくらいに歩いた道もあった。自宅への帰り道、住宅街のなかにある、一店の和食屋を通った。店前に、自分と同じくらいの年齢の女性が一人、折り畳み椅子に座っていて、彼女の周囲で、男の子と女の子が遊んでいた。女の子が母親を呼んでいた。この和食屋には、小学校の同級生がいる。ほんの一、二秒、ちらりと顔を見ただけなので、定かではないが、きっと彼女だろう。髪は短く、やんちゃで男のような子だった。彼女も立派な親になったのだ。
翌日、上司に必ず辞意を伝えようと思った。三連勤の最終日、どうやら新しい業務が始まるらしく、その説明を上司から受けた。正直、また仕事が増えるのかとうんざりした。あたしより後から入社した連中は、もう覚えられないだとか、体調不良だとか言って、仕事はあたしに回ってくるだろう。それを考えると、さらにうんざりした。仕事終わり、上司に辞意を伝えた。なにか不満があるか、と問われた。いろいろたくさんあるが、それらを伝えるのが面倒で、ただ、六月の終りか七月の始めに、住み込みで農業をするのだ、と伝えた。本当はそんな予定はないのだが。五月いっぱいで仕事を辞めることになった。
二〇一九年の五月に入社したので、丸五年勤めることになる。帰りの車のなかで、ようやく辞められるという安堵と、若干の申し訳なさと、五年も勤めていたので、寂しさのようなものがあったが、これで、よかったのだ。
連休初日は、出勤日より十五分程遅く起床し、親戚のおじちゃんが床屋をやっているので、髪を切りに行った。寒さで腹の具合が悪いと言ったら、下半身が薄着だからだ、と言われた。靴下はちゃんと踝を覆うもの、下着も股引きみたいなヒートテックを履けと言われた。身体を暖めることの重要性を髪の切りはじめから終わりまでずっと説かれた。窓の外では、雪がちらついていて、すぐ止んだ。一時間半弱で切り終わり、従兄弟がサイフォンで淹れてくれた珈琲を一杯、もらった。七つ程年下の従兄弟は、たぶんかれこれ一年以上は仕事をしていなく自宅にいるが、彼の淹れる珈琲がうまい。おじちゃんが床屋を閉めたら、店を改装して、珈琲屋でもやったらいいと思う。珈琲を飲み終えてお暇をし、近くのイオンのフードコートで昼食をとり、また移動し、カラオケへ行った。最近、歌が下手になった気がする。帰って、音楽理論の動画を見たり、ぼけっとしたりして、夕方からギター教室へ行き、一日を終えた。
二日目は、久しぶりに掛川の田舎の方にある、喫茶店へ行って、音楽を聞いたり、ネットで本を探したり、三月に瀬戸内沿いに旅行に行こうかと考えているが、その計画を練ったりした。平日だからからか、客はあたししかいなかった。そのあと、近くの本屋で探し物をして、帰宅し、カップ焼きそばを食べてから映画を一本見た。中学生教師が原爆を作る映画だった。二時間半と長めだったが、面白くて気が付いたら終わっていた。見終わって、三十分程寝て、夕飯の食材を買いに行った。この日はカレーを作ったが、何度作っても、カレーは納得のいくものを作ることが出来ない。研究が、足りない。

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