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『絶唱』(原作:大江賢次 主演:舟木一夫 和泉雅子 1966年9月17日公開)個人の感想です


『絶唱』

『絶唱』、観終わって、そこから絶唱について調べ始めた。いつものことであるが、私は、予備知識なしで映画を観ることにしている。このタイトルがなんとも絶妙というか、本来の意味以外に漢字から受け取る印象も含めて、この物語を語っている。絶唱とは、 非常にすぐれた詩や歌、 感情をこめ、夢中になって歌うこと、と書かれている、確かにこの映画は、この二つの意味を持つ内容となっている。一方でこの意味を知らないと、漢字が持つイメージとして『唱が絶える』と言う風にも解釈出来る。そういう観点では、作者はこの映画には、両方の意味持たせているのではないか、とさえ思わせるところが絶妙だと思った。

この映画は、ひと言でいうと悲劇が悲劇を生み最後まで悲劇で終わる内容であった。戦時下にあったであろう、出自に格差がある恋愛、逃避行による貧しい暮らし、出征による別れ、結核(吐血していたので結核と推測)、そして死、すべてが盛り込まれている。

『絶唱』は、調べれみると映画化が3回、ドラマ化が5回と多いことが分かって、この作品がいかに評価が高いかを知ることが出来る。ちなみに、作者は、鳥取県出身で、ロケ地も鳥取砂丘が使われている、私事ではあるが、昨年、鳥取県の三朝町にふるさと納税を行い、三朝米の返礼品をいただいた。三朝米は天日干しだと聞いたことがあり、もちもちしているとこのことで、ぜひとも食してみてかったのだが、本当にもちもちしていて、私の中ではお米のトップオブトップスであるのは違いない。皆さまもぜひお試しを。

さて、ストーリーであるが、多くの人が観たことがあると思うので、私がここで語るほどのことでもないが、私の感想に繋がらないので簡単に書いておくことにする。主役は、山の地主の息子・園田順吉(舟木一夫)、貧しい山番の娘・小雪(和泉雅子)、小雪は、園田家に女中として働いていた、そこで順吉に見初められる。当然順吉の父親、薗田惣兵衛(志村喬)はその恋愛に猛反対し、別に良家の娘美保子と結婚するように仕向ける、また美保子も順吉との結婚を望んでいた。

しかし、順吉は半ば強引に小雪を誘い出し、駆け落ちをしてしまう。場所は、宍道湖近くの町(鳥取砂丘が出てくるのでここのロケ地は鳥取)で、そこでふたりは暮らし始める。順吉は材木関係の肉体労働に携わる。ささやかながら幸せな暮らしをしていたが、順吉に赤紙が届き出征してしまう。出征後ふたりは毎日同じ時間『木挽き唄』を歌う約束する。
しかし、やり取りしていた手紙も途絶え、看護師の補助として働いていた小雪は吐血し、床に臥すことになる。

小雪の両親がお見舞いに駆け付けた際に、小雪には、順吉の足音が聞こえ、順吉が戻ってくるといい、戻ってきた直後、小雪は息を引き取る。その後、順吉は、息を引き取った小雪と共に結婚式を挙げ、お葬式を行い、最後に、順吉は小雪を抱き、ふたりの想いでの山の上の桜の木の下に行き、そこでこの映画は終わる。

悲劇の映画で、悲しい物語の中に、この時代ならではの気になるシーンがいくつか出てきたので悲劇との関係は薄いが、私の視点で考察をしたい。

ひとつめは、順吉が友人たちに小雪への想いを語るシーンがあるが、それは、読書会でのことであった。(順吉は読書会に参加していた)私は読書会なるものには縁がなく、調べてみたところ古くからあり、ググると今や、サークルのような感じで出会いの場となっているようであるが、戦時下の読書会については、研究レポート普通に出てくる。『1930 年代前半に石川県で実施された読書指導が国民読書運動 として成立』と書かれており、大変興味深い。レポートには、この活動の目的は、『思想善導や国家の増産といった戦時中における当面の目的よりも、自己教育力を育み、教養を高めるという恒久的な目的が先立つという認識を示しており』となっているため、国家の考え方で人を煽動するものではなかったということが分かった。若者は、戦時下でもこのような読書会によって教養を高めていたのだ。(素晴らしいですね)

一方で、順吉の知人が、順吉の父・惣兵衛に二人のことを認めるように懇願に行ったシーンでは、知人の前衛的な意見に対し惣兵衛は、それを認めず、それらの意見に対し「思想か!」とあたかも順吉の行動が新たな思想に侵されているのではないかという風に解釈したように言葉を発した。古い価値観の考えと、読書会で教養を得ることによって、新たな価値観を得ていく時代の変化を表現しているのではないかと思った。

話は変わるが、順吉と小雪が駆け落ちした先に読書会の友人が集まり、楽しく会話をしている際、外では、出征者を見送るための行進が行われているシーンが出てくる。行進を眺め終わって、読書会の男性がお茶を飲もうとした際に、急須にお茶がなく、男性がお茶を準備しようとしていたろころ、女性が「私がやります、あなたはいずれご奉公に行くのですから」と言うシーンがある。この時代は、男性はお国のために、女性はその男性を支えるという形であったことは容易に想像はつく。なので戦後は、お国のためではなく、男は、家族のために働くようになって、女性は家庭のために働くという形にスムーズに移行されたのであろうと思った。この流れを断ち切る行動を女性や、社会が何年もかけて行ってきたのであろうが、結果としては、未婚率が上昇し、男性も女性も自分のために生きるというような社会になってきて、社会が保てなくなってきたことについて、今一度、戦時下まで戻る必要はないと思うが、新しい、役割や価値観が必要になっているのではないかと感じた。

この映画は、ひとつひとつを掘り下げればどこまでも掘り下げられる映画なのではないかと思うが、古い映画なので、それも観る人次第であろう。上に書いたか考察以外にもいろいろと気づき、考えるポイント(例えば、木挽き歌を歌っているが、それは吉野の木挽き歌で吉野の木挽き歌を調べてこの映画を観ると理由が分かる)はあるものの、ここで終わりとしたい。(浅丘ルリ子版も見てみよう)

では、また。


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