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自分を変えるためのたった一つのこと

 時々私は、自分にも厳しく、他人にも厳しい面があると実感することがある。今日書く内容は、人によっては厳しく映るかもしれない。それと同時に自分自身への応援歌でもある。

 曲がったことが嫌いで、少々頑固なところがたまに傷なのだが、どうにもこうにも何かをやりとげるには、そんな性質も必要だと思うのだ。

 日常の人とのコミュニケーションの中で、ときおり聞く「~~が苦手なんだよね。」ということでさえも、重く受け止めてしまうことがある。

 そんなに、苦手ならやめてしまえとも思うし、あきらめてそこで止まっていればいいと思う。

 一方で、苦手でもやりとげてほしいとも思う。何故なら、やりとげた先には、今の自分とは違う自分が待ち構えていて、違う景色が見えるからだ。

 そんな誰かのきまぐれな、そしてささいなつぶやきさえ、心の中心に深く刺さることがよくあるのである。

 今あなたが、もしくはわたしがいる場所は他の誰かが行きたくても、行きつけなかった場所かもしれない。涙をのんであきらめた人がいるかもしれない。

 わたしが今いる場所で働きたかった人は、山ほどいる。第三次試験まで残ったのは、たったの13名だ。

 1ダースほどの人数しか選ばれなかったところで働くことができている自分は、それだけの責任を負うべきであり、それに見合う真剣さを携えて臨まなければならないと思う。

 人はよく「変わりたい」と言うが、そういう人に限って何も行動をしていない。

 大人になってから始めたことでも、上手になることだってある。
私には、およそ10年間続けてきたことがある。

 最初はできなかった。

 できなくても、繰り返し練習し、積み重ねることで着実にできるようになっていった。眠い目をこすりながら、ボロボロになりながらも自分なりに続けてきたことである。

 できないことができる過程は、どんなに年を重ねても爽快さを伴うものである。

 まるで夏の終わりの秋風に包まれているような気分である。切なさの中にも見出せるやさしさのようなのだ。

 人は、そんな私に、少し立ち止まるようにアドバイスをくれたり、そんなに頑張らなくていいんじゃないと言ったりすることもある。

 もちろん時として小休止は必要だと思うが、何かやるためには犠牲を払うしかないのだ。

 自分を変えるためのたった一つのことは

「やるか」
「やらないのか」

これをしっかりと決めることなのだ。

 成し遂げた先には、よりよい自分といった歯切れのよい言葉だけでなく、確実に変わった自分がいるはずなのだから。

 今日もみなさん1日お疲れさまでした。そしてそんな1日の終わりに最後までお読みいただきありがとうございました。


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