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なぜ学ぶのか、私は何に向かうのか。

 就職してからも、自慢ではないが勉強をしなかった日はなかった。

 自分の心臓の、腹の奥底から湧き上がるマグマのような何かが私を突き動かしていた。

 それは、知的好奇心とできるようになりたいという純粋な気持ちである。

 今もその動力源は変わらず、懸命に学び続けている。

 しかし学び続けている中で、学習対象の知的理解以外にわかったことがある。

 それは、たとえ学んだことが跡形もなく消し飛んだとしても、その後には

自分の心の広がりだけは残るのである。

 私はきっと、この心の広がりを常に追い求めているのだと思う。

 脳は心である。そして心は脳である。鍛えれば鍛えるほど、しなやかにそして目に見えない広がりを作っていくのだと思う。

 ろくろを回したことはありますか。

 私は、人生で2回だけ経験したことがあるが、一点に力を入れすぎると上手くいかないものだった。しかし一点に力を入れつつも、指先から外へ向かって広げるイメージを持つと、上手にできたのを覚えている。

 出来上がった器を見るたびに、このろくろ回しと学びの過程は似通っていると感じる。

 思考を止められない、その自分の生きづらさにぶち当たるたびに、私はここで書くこと(表出する)で上手く昇華しようとしている。

 アウトプットすることでこの心の、いや脳の広がりを視覚化して振り返られるようにしているとも言える。

 noteを再開して半年が経った。私はこの場所に助けられていると思う。

 なぜ学ぶのか、それは自分が生み出した心の広がりを感じるためでもあるが、どこまでも広がっていく恐怖を間近で感じることを、良しとすることでもある。

 学ぶことで浮き彫りになる見えない何かとの対峙でもある。それでも学びたい、それでも知りたいのである。

 深海に住む魚に会いに行くような、トンネルの向こうの花畑を想像するような輝きを期待して。

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