見出し画像

理解が愛と比例しなくとも

 今日のタイトルは、三浦しをんさんの「愛なき世界」からのワンフレーズから頂きました。今日は、この本を再読したので紹介をしながら、自分の人生と重ねて感じたことや気持ちを新たにしたことを書いていきたいと思います。

 この本の2人の主人公は、植物学を極める理系女子大学院生と、食堂でアルバイトとして働く青年です。彼らの心の交流や葛藤が植物学との出合いや実験を通して、語られていきます。

 400ページを超える作品ですが、途中でページを捲る手を止めることなく読むことができました。再読しているからとも言えるのかもしれませんが、ひとえに作者である三浦さんの言葉への向き合い方や、言葉を通して伝えたいことそのものに愛が溢れているからだと感じました。
 例えば、作中「深淵」をあえて、「深い淵」と表現することで、深い淵に佇み、途方にくれる様子がより伝わるように感じますし、「指弾」という言葉選びをすることで、何かを非難することを、自分事として読み手が捉えられるようにしているのだと思うのです。
 改めて作家は、一つ一つの言葉に命を吹き込んでいる人々であると言わざるを得ません。そしてその命の息吹を全身で感じた時、言葉の一つ一つが私の心や体を満たしてくれるのだと思います。

 最近読んだ齋藤孝さんの作中に、本にはその作品を書いた人の魂が宿るといったようなことが書かれていました。本当にその通りであると実感しました。

 「愛なき世界」の作品と、今日のタイトルの話に戻りますが、作中「理解は愛と比例しない」という表現が出てきます。再読したからこそこの言葉の意味をじっくりと味わうことができました。


 愛は理解が進めば深まるものだと感じがちですが、理解が愛と比例しなくとも、そこには存在する愛は、永遠のものであって、たとえ目に見えなくとも脈々と地下の水脈のように存在するものであると感じます。

 私にとっての「愛」は、一つは読書への愛です。作者との往復書簡を通して、吹き込まれた命の言葉を、一つ一つ味わいながら自分の心の栄養としていくこと、それそのものが愛の一つだと思うのです。

 最後までお読み頂きありがとうございました。2月も終盤ですね。来月は、2月に読んだ本のまとめもしていきたいと思っています。

サポートありがとうございます。感謝です。