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亡くなった母が夢に。人生の転機になった自分探しの旅。見つけたかったものは

何の取り柄もない私、人に自慢できることもなく、人より勝ってることもないと思っていた
警戒心が強く、なるべく人に知られず隠れて生きていたいくらいだった
自分なんていなくてもいいんじゃないか、誰にも気づかれずにいなくなりたいとさえ思っていた時もあった

自分の人生の意味、目的とは
この人生で私は何ができるんだろうか、自分にも何か才能や得意なことがあれば見つけたい
両親が亡くなってから、そんな風に思うようになった

病気の母と2人、私は生活のためにと朝から夜遅くまで、お昼と夜ごはんの支度のために一旦帰宅して、休みも取らずに毎日働いていた
その母が亡くなり頑張る目的がなくなり、何のために生きればいいんだろうと毎日泣いていた時、亡くなった母が夢に出てきた
夢の中で、笑顔で近づいてきて私を抱きしめてくれた
私は嬉しくてお母さんと呼んだ、でも母は消えてしまい、ハッと目が覚めて
私は母を呼び寝てる体を起こした状態で目が覚めた
本当に母が現れたんだと思った

それでもやる気が起こらずにダラダラしていたら、また夢に現れた
今度は怒った顔をして現れた

母が最期に私にくれた言葉
「後悔しない人生にしなさい」
母の人生は後悔ばかりだったんだって思った。申し訳ない気持ちと、やりたいことはやって、行きたいところにも行って、私は後悔しない人生にしなきゃいけないと思った

これではいけないと思い、してみたいと思っていた海外留学、自分探しの旅へ出ることにした
すぐさま準備を始めた
英語の勉強をして、その時の年齢は30代後半だったから、ワーホリは使えず学生ビザを取り会社を退職
荷物を処分して残りはストレージに預けて空港へ
今思えば行動力あるわ(笑)

その時の私は自分が嫌いで、日本も嫌いだった
今思えば、自分が人と違うように感じていて、自分のことがわからずにいて
日本が合わないと思ってたけど、生きづらかったからだった
自分の居場所が見つからなかったんだ
昨年になってわかったHSS型HSP
自分のことが書かれていた

ずっと留学先のカナダにいたいと思うようになっていたけど、留学中に体調が悪くなり、ビザも延長できず急遽帰国
病院に行ったらすぐに子宮筋腫が判明して手術した
日本に戻って、日本と日本人の素晴らしさを実感して、日本が好きになった
経験してみないとわからないこと、いっぱいあるなぁ本当に

カナダのバンクーバーもいい所だった。曇りや雨が多いお天気以外は
自由だし、ルールに縛られないし、仕事優先の日本と違って時間通りに終わって、バケーションは2週間~1ヵ月取ることもあって、人間らしい生活が出来るし

色々あったけど、留学中には自分探しの答えは見つからなかった
でも、日本に帰国してすぐネットを見ていて、これだ!!って
ついにやりたい事を見つけた

自分自身を活かせる分野だった
誰でも何かしらの才能を持ってる
私にとってそれは自然に持っていたもので、まさかこれが私自身を良い部分として活かせるものだとは思ってもいなかった

それは、私の鋭い感性・感覚だった
人のことや物事の背景など、がわかり過ぎるくらいわかってしまう
良い部分でもあるけど、普通に生活していたらストレスにもなる部分
いつも、何でみんなわからないのって思っていたんだけれど
今も思う時がある(笑)
人それぞれ感性も違うし仕方ないって昔々は思えなかったけど、だんだんそう思えるようにもなってきて

自分の得意を活かして頑張っている人が沢山いて
応援したり、仲間が出来たらいいなぁなんて思いつつ
私のことを発信していきたいなと思ってる

母が好きだった紫色のお花を画像に♡




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