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『草鞋(わらじ)作りリトリート』② 本来の自分自身を取り戻す


清々しい朝。藁の袴(わらのはかま)落とし作業中


草鞋作りワークショップの朝。
青空の下、お天道様の光を浴びながらみんなでお喋りしつつ手を動かす。途中近所の農家のお爺さんが立ち寄り、しばし彼のお話に耳を傾ける。ほのぼのとした時間が流れる。

草鞋の素材となる藁(わら)の袴(はかま)と呼ばれる薄皮のようなものを丁寧に落とすことから始め、次に藁を水に浸したものを木槌で叩いて平に柔らかくする。

藁の準備が出来たら室内に戻り、先ずは縄ない(藁をより合わせ縄を作る)に取り掛かる。大石賢斉(おおいしまさなり)先生の指導は丁寧でとてもわかりやすい。先生の縄ないをする所作は美しく、思わず魅入ってしまう。サッサッと藁がより合う音はとても心地良いものだ。

さあ、いよいよ自分の足の型に合わせた草鞋を編んでいくのだが、昔の人たちの知恵はすごいなあとつくづく思う。草鞋作りは若い男性の冬仕事だったそうで、確かに丈夫な草鞋を編むには思った以上に力を込める。次第に難易度が高くなるにつれ、私はおしゃべりする余裕もなくなり黙々と編み続ける。いわゆるマインドフルネス状態か? 

大石先生はリズム良く手を動かしながら言う。

「藁を編んでいてどこか懐かしい感じがするでしょ。やってみると意外に自然に手が動く。きっと遠い昔、先人達がこうして編んでいたことを我々の遺伝子に感覚として記憶してるんだと思うんですよ。」

力を込めて編み込む

途中何度も先生に手伝ってもらいながら、なんとか私の片方の草鞋が完成した。それにしても自分の手で編んだ草鞋は愛らしいもの。早速履いてみると足裏に柔らかく温かい。チクチクしそうな見た目と違って履いた感触は心地良いものだった。

マンさん作の草鞋


一日中藁の香ばしくてほんのり甘い香りに包まれ、私はとても懐かしい気持ちで胸いっぱいになった。幼い頃の遊び場だった田んぼの匂い。そう、秋の稲刈り後の匂いだ。

元々栃木の田舎出身の私。都会に憧れ都会に住み、人生の半分以上もの間自然から離れた生活をしてきた。長い間自然欠乏症だったと思う。
そんな私は今回藁を手に取り編むことで全身がふわっと緩んだのを感じた。それは先月、マンさん率いる『ヤマハダシ』(裸足で山登り)に初挑戦したときに足裏から全身に渡って感じた解放感と同じだ。手に取る藁も足裏で触れる大地も、静かに優しく私を受け入れてくれる。私はその懐にただ委ねるだけ。

今回集まった参加者のみなさんも個性豊かな素敵な方ばかり。みんなで同じ鍋を囲み同じ釜の飯を食べながら和気あいあいと過ごすなかで、私は本来の自分がどう在りたいかを思い出した。

私は友人や家族、これからご縁をいただく人たちが自由気ままに集まれる居場所を作りたい。「ただいま」っていつでも帰ってこれるような風通しの良い居場所を。もちろんこれから導かれるだろうどこか自然豊かな土地で。
人と人のご縁と繋がりによって紡ぎ出されるもの、それ自体が唯一無二のART(アート)だと思う。私はそれを側で笑顔で見届けたいな。

雪を被った神々しい山々。清らかな水の流れ。青く広い空。澄んだ空気。豊かな自然に囲まれた大地富山で過ごすリトリート。短い時間だったけれど、心もからだもほぐれ、もやもやしていた気も晴れて、本来の自分らしさを取り戻すきっかけになった。今回のリトリートに参加出来て本当に良かった。

大石先生、マンさん、参加者のみなさん、充実した楽しい時間を本当に有り難う御座いました。心より感謝を込めて。

ARTそのもの!


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