エッセイ/美しさと、摂食障害5(ラスト)


様々な時期を乗り越え今、私はおおよそ標準な体型であると思う。
いじめられていたような太っちょなあの頃の私ほどではないし、
大丈夫?と人から心配されるほどガリガリでペラペラだった私でもない。

まあ、このくらいでもいいかなと以前より思う頻度が増えた。
もう昔ほど精神的にも、美的感覚も追い詰められることは減ったし、受け入れることができてきた。


しかし、この摂食障害の恐ろしさというのは完治するということはないのだろうなと漠然と感じるところだ。
何かのきっかけで私は昔のようになるだろうし、隠さず言えば以前ほど回数を重ねないだけであって、今でも下剤は手放せない。そして飲むたびに量は増えている。

今でもパートナーの目を盗み夜中にコソコソと下剤を飲み休日は寝不足になり、昼まで寝ることもある。

以前より自分に満足できる時間が増えただけで、時折なんて自分は醜いんだ太っているんだ、昔のように細くなりたい。こんなに太ってしまったと逃げ出したくなることがある。

人生で、細いと称された時期の方が短いというのに、どこか私の頭の中では痩せていた自分が基準であり当然の姿になっている。

パートナーとうまくいかなければ、どうせ私が太っているからでしょう、可愛くないからでしょうと心の中で泣き、おそらくパートナーの思う・改善してほしい問題の本質には自ら向き合うことができず、私はいつまでも人として未熟なままだ。

幼き頃、授業で習った依存症(もっと違法なあれこれ)に対し、私は大丈夫と思っていた。
(もちろん私の名誉のために言うとそういったものは一切やっていないし、身近にそんな友人もいないが)
そんな自分がこんなことになり、何かから抜け出せない心の弱い人間だとは思わなかった。

人のせいにするわけではないが、きっかけはいつも他人だった。
言葉がこんなにも1人の人生に影響するものだとは思わなかった。
傷つけたり、傷ついたり、そういったことはあってもこんなにも身体や一生を狂わす力があるなんて、思ってなかった。

自分がこうなるのと同時に、自分の発した何気ない一言が他人の人生を壊したのではないかととてつもない恐怖に感じることが増えた。

今日のあの言葉、大丈夫だったかな。
私のあの一言は余計な一言だったかもしれない。

他人と食事をするのが怖くなるだけでなく、こうして他人との関係は希薄になり、自分1人の時間が増えた。

もちろん、他人を傷つけることはよくないが、こういったコミュニケーションを重ねて人との関係は構築されていくと思う。傷つけ傷つき反省し、また人の喜ぶ言葉や笑顔になってもらう一言や態度を学ぶのだ。

私はそれも自ら手放し、今、いい歳にもなって人とのコミュニケーションの取り方がわからない。
深い関係になるのが怖い。なりたくない。

どこに行っても誰とも関係を構築することができず、その結果対人に苦手意識を持つようになり社会人としての振る舞いや電話対応だったりそういったことがとんでもなく嫌いだ。

取引先の人と挨拶して、名刺交換しておこうかと上司に言われるだけで辞めたくなる。
なぜかって美しくないと人と接したくないからで、コミュニケーションの取り方がわからないからだ。私が痩せた時にしてくださいと心の中で叫んでしまう。

もう接客販売だとか営業職には挑戦できないだろうなと思う。


休日の前は前述した通り下剤を飲むから友人と積極的に出かけることもない。
旅行だって行きたくない。きっと美味しいものをたくさん食べるだろうし、私は行けば持ち前の食欲を発揮し当然太るだろう。
大前提として泊まったら食べた後の調整として下剤を飲めない。



ここまで読んでいただき、どう思っただろうか。
拒食症になりたい、下剤って痩せるらしいね〜と言う若い(主に)女性たち。

本当に、こんな風になりたいですか?
痩せたら辞めればいいや、そう思いますか?辞められますか?

痩せるまでの過程として、友人関係や自分の時間を失っても、それでも不健康な細さは必要ですか?

摂食障害と病名があるくらいだから不健康な認識は誰にでもあるでしょう。
しかし、身体に影響を及ぼすこと以外にも、こうして大切なものが失われます。

ダイエットは、運動や栄養の勉強など努力で成功させることができますが、時間や友人、パートナーや家族は努力や自分の意思では手に入らずまた取り戻すこともできません。

そして、最初に書いたようにガリガリな身体、肥満の身体、そうして目に見える状態だけが摂食障害を表すのではありません。

病状としてはそういった身体を指すのかもしれませんが、付随してこういったことが起きます。

ああは書きましたが、私もいつか元通りになりたい。
何も気にせず健康な身体で、下剤のない生活に。

根性論の気持ちではなく、精神面から来る病気という意味で、あとはもう私の気持ちの問題だと感じます。
わたしには自分と向き合い、ボディポジティブであり、自分を受け入れ他人からの批判や言葉を跳ね除ける強い気持ちが必要です。

今の私には何をどう努力すればそうなれるのかまだわかりませんが、日々の小さい幸せを素直に幸せだと感じ、周囲に感謝して生きていこうと思います。

私の友人は、きっと私を容姿で友人として大切にしてくれたわけじゃないはずです。
私自身にきっと人間として何か価値があるから、大切にしてきてくれたはずです。

パートナーもそう。

恋愛において容姿が重大な要素であろうことは理解していますが、生活を共にし、一緒に生きていこうという決断にまで至ったのは、決して容姿だけで決断できることではなかった筈です。
何より、一緒にいる中で痩せ細っていた時も、そうなる前も、今の私も、全ての時期があります。

どうか、今私のように闘っている人、私のようになりそうな人、そしてそうでもない人へ励ましや理解に繋がる話として届きますように。

そしてきっかけは誰にも相談できない自分の思いをどこかに吐露したい、ここまでの経緯や人生を振り返り一つ自分に向き合う方法としたい、とこれを書きましたが、読んでくださった方、ありがとうございました。

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