エッセイ/美しさと、摂食障害3


逆に考えると、これだけ骨格がしっかりしているのだから例えば45kgだとして、ほとんど脂肪がないことになる。骨の重みしかないのだ。

多分30キロ台になっても、友人と並んでどちらが大きいかで言えば私に違いなかった。

そんなことを思いながら数年は体型は安定していたものの、職場のストレスと(またもや)交際相手のダメンズが理由で精神的にストレスが溜まるようになっていった。

そこそこストレス耐性があるように見られ、実際にあると言えばあるのだが、なかなか私の悩みが周囲に真剣に受け取られず、悩むようになった。

どこにも居場所がなく、お金にも困る生活をするようになった。

毎日死にたいと思うようになり、逃げ場がなく塞ぎ込むようになり誰かに助けてほしいと思いながら毎日を過ごしていた。

ふと、連休明け私がげっそりしてたら誰か助けてくれるかなとそんな考えがよぎり数日絶食した。
体重は落ちたが残念ながら誰にも気づかれず、もう少し痩せるか〜なんて思いながら、私は下剤に手を伸ばしてしまった。

本当に軽い気持ちだった。
ここから取り返しのつかないことになる。

始めは容量を守っていたものの次第にプラス1錠、2錠、、と増えていきここには書けないような量を飲むようになっていった。
効果が出る時間を逆算し勤務時間中に人目を気にしながらザラザラと錠剤を飲み、朝まで腹痛と闘いながら過ごし、時には予想しない残業のせいで帰りの電車で効果が現れ冷や汗をかきながら駅のトイレに駆け込み1時間近く出て来られず、ようやく電車に乗ったものの二駅で下車、なんてことを繰り返した。

休日はチャンスとさえ思えて、朝に飲んで昼に飲んで夜眠る前にまた飲んだ。
外出しててもショッピングモールならそこら中にトイレがあるからと考え映画を観て終わる頃に効くようにしようと計算しながら外出先ですら飲むようになり、完全に依存していた。

たまに友達と食事に出掛けてもそろそろ解散しないと下剤飲めない…と時間を気にするようになり、時には友達がトイレに席を立った隙に用意していた下剤を飲むまでになっていた。

大惨事にならなくて本当に良かった。

当時の恋人は必ず私と食事を摂りたがったが、抗議の意味を込めて一緒には食事をしない生活を徹底し、当然夜は抜き。
仕事の休憩中は気づけば昔のようにカロリーに固執するようになっていき一日300カロリー程度しか摂らないようになっていた。

気付けば安定していた体重も10キロ近く落ち、またもや私はガリガリに逆戻りしていた。

心配されたい、イライラするという浅はかで自分への八つ当たりで始めた行為だったのに歯止めが効かず、痩せることが目的になっていた。
太っているから、可愛くないから人生がうまくいかないんだと思うようになっていた。

思い返せば、ストレスで食べられないなどストレスから始まるものの自己表現が苦手な私は自分をこうして追い込みがちで、幼少期の記憶から何かうまくいかないと容姿のせいだと思い込む節がある。

もちろん、そんな環境を作り出した周囲にも言いたいことはあるが自分自身が何より情けない。
変わらないといけないのは私の考え方や性格、当然私に非がある点もあったのでそこの改善、容姿なんかとは違ったところを見直さないといけないのに。

容姿でジャッジされてはいけない。
どんな容姿も素晴らしいし、美しい。


心からそう思っている筈なのに、誰より容姿に固執して容姿で人間をジャッジしているのは、私なのだ。

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