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[エッセイ]夜食

夜食は好きですか?

夜食という言葉の響きがいい。
響きだけにとどまらず、夜食という行為に及ぶこと自体が、いけないことをしている感じがして、どこか惹かれる自分がいる。

ではなぜ、どこかいけないと感じるのか。

それは、一日三食(時々おやつ)という、誰かが作った暗黙のルールが存在するからだろう。
そのルールには、おそらく夜食は入っていない。

僕が夜食をとる時間は、風呂を済ませ、歯を磨き終えるまでの間、そもそも食すことが想定されていない時間だ。

その本来ありえない時間に、食事をするということが、世の中に、なんとなくいけない、というイメージを植え付けており、実際良くないのかもしれない。
だが、そのイメージが背徳感を生み出し、それがまた、夜食に対する熱い羨望を増幅させている。

僕も夜食に魅了されている人間のひとりだ。

僕は妻から燃費が悪いと言われる。
その理由は、一回に食べる量が少なく、その上すぐに腹が空くからだ。
無理に一回の量を増やすと、高い確率で腹を下す。
なので、一日三食の他に、食べる機会が必要があり、それが夜食だ。

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ところで、最高に幸福度が上がる夜食とはなんだろうか。

今ぱっと頭に浮かんだのはお茶漬けである。

お茶漬けの素をさっとかけて口にかきこむのもいいし、正月なんかは、実家で余ったぶりの刺身なんかを持ち帰り、ご飯に載せて、あり合わせでつくった出汁をかけて食べるのも絶品だ。
シソとごまがあれば尚贅沢。

次に思いつくのはスナック類。
今は様々な種類のスナック菓子がお店に置いてあるものだから、飽きることを知らない。

妻が買ってきてくれるのは大体ポテトチップス系が多いが、僕が買い物についていくときはカラムーチョを入れてしまう。
酒呑みではないがこういう辛いのには目がない。
ひとくち食べると口の中がひりひりしだすので、それを打ち消すためにもうひとくち。それの繰り返しで、なかなかの量がすぐ無くなってしまう。
口の中はヒーヒー言うが、満足感が高い。

幸福度と比例して背徳度も高いものは、カップ麺だ。
これも辛い系のものを選んでしまう。
夜食にこれを食すと、目に見えて健康に害を及ぼしそうなので、春雨的なカップ麺を選ぶこともある。
ただ春雨系だと脳がまだ足りないと言ってくるので、さらに食べることにならないように注意が必要だ。

その他には、夕飯の残りに、少しアレンジを加えて食べたりなんかもする。
アレンジをすると妻に申し訳ない気持ちがあるので、娘の寝かしつけをしてくれている間にこっそり行う。

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そんなこんなで、夜食ライフを謳歌してきた人生だったが、最近は夜食をセーブしようという試みをしている。

というのも、齢70近くになる父が、いくつかの健康数値が悪く、自由な食事というのがままならなくなった。

自分に直接影響するわけではないが、食にこだわりのある方ではない父ですら、選択肢のない食事を強いられるその姿は悲しいものがある。

最近は頑張って制限をかけてるおかげでだいぶいい方向には進んでいるが、その姿を見て自分自身の食生活を見直さないわけにはいかない。

前述の通り、1食にたべる量が少ないので、夜食という行為自体はやめられないが、内容は変えることができる。
そこで、今までは食べたいものを夜食に食べてきたが、最近はナッツの詰め合わせを買ってきて、腹が空けば何粒か食べるようにしている。
これは入れ知恵ではなく、ナッツを少量、というのはなんだか健康に悪くない気がしただけだ。
だから本当に良いかどうかはわからない。
前述の夜食内容よりはたぶんいいだろう。

ただ、いざ食べてみると、有塩のナッツ類でもなんか物足りない。

なんとかこれらを自分の満足いくものに変化を遂げさせられないかと、キッチンの調味料を引っ張り出す。

結果、オリーブオイルに岩塩を混ぜた特製ソースにナッツをつけて食べることで、味覚が満たされるということがわかった。

塩分の摂りすぎは当然良くないので、本当に少量だけ。
もしかしたら少量でもダメかもしれない。

ナッツは大袋を買っとけば結構もつので、頻繁に買う必要もなくる。
家計もハッピーだ。

ただ、夜食の魅力のひとつである背徳感は少し薄れた気がして、なんだか物足りてない自分もいる。
まあ、年齢もそこそこになってきたし、何はともあれ健康が第一だ。

そんなことを思い、キーボードを叩いていると、お菓子ボックスから頭を出している、娘のベビースターラーメンと目が合った。

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