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【第36位 マンホール】人生で初めて遊んだコンピュータゲーム

こんにちは。ハルリです。
今回は、第36位「マンホール」を紹介します。

今回はテレビゲームではなく、携帯型ゲーム機のお話。
それもDSやゲームボーイのはるか昔に発売された、ゲーム&ウオッチの作品です。

このゲームは私が初めて遊んだコンピュータゲームとして、思い出深い作品です。

若い方は、ゲーム&ウオッチと聞いても「なんのこっちゃ?」だと思うので、まずは、ゲーム&ウオッチからお話します。

今回も、ぜひ、最後までお付き合いください。


ゲーム&ウオッチとは

ゲーム&ウオッチとは、1980年4月に任天堂から発売された携帯型の液晶ゲーム機の名称です。

文字で書くと「ゲーム&ウオッチ」なんですが、一般的には「ゲームウオッチ」と呼ばれており、”アンド”は発音されません。

後の携帯ゲーム機と言えば、ゲームボーイやDSが有名です。
これらは一つのハードに対して、遊びたいソフトごとにカートリッジを交換して遊びますが、ゲーム&ウオッチは本体に一つのソフトが組み込まれており、カートリッジのような形式ではありません。1ハード1ソフト方式となっていました。

最初に発売されたゲームは「ボール」

ボール

シンプルで単純なゲームながら、手に取った人たちは熱中しました。
今も昔も手軽に遊べるゲームの需要はやはりありますね。

そしてこのゲームウオッチは爆発的な大ヒットとなります。販売総数は国内だけで1,287万個。全世界で4,340万個の販売を記録しました。

子供が欲しい憧れの商品となりましたが、価格は5800円。
当時小学校低学年の私のお小遣いでは手が届きません。

しかし小学生でも、一年に一度お金持ちになる季節がありますよね。
そう、お正月です。お年玉です。

ついに買った!ゲーム&ウオッチ

1981年のお正月はまだ小学2年生なので、総額でも大してお年玉をもらっていないような気がするんですが、それでもおそらく5,800円は集まっていたんでしょう。

ついにゲーム&ウオッチを買っちゃいます!
購入したゲームは1月に発売されたばかりの「マンホール」です。

結局、私が購入したゲーム&ウオッチは「マンホール」だけでしたが、このゲーム、相当遊びつくしましたね~。
友達と遊ぶ時は相変わらず、外での遊びばかりでしたが、夜など一人の時は、しばらくマンホール三昧(笑)だった記憶があります。

ここでゲームを紹介します。

上段は左端から右端へ、下段は右端から左端へ、それぞれ歩行者が歩いていきます。
その途中上下の穴が4か所あり、歩行者がその穴に落ちないよう、主人公を操作して穴を防ぎます。

操作方法は左上、左下、右上、右下にそれぞれ対応した4つのボタンを押すことで主人公は一瞬に移動。

最初は画面上に現れる歩行者は1~2名で楽勝ですが、ゲームが進むにつれ、同時に出現する歩行者の数が増え、特に上級者向けのGAME Bでは歩行者のスピードがえげつなく早く、超ゲキムズだった記憶があります。

ただし、このスピードがめちゃめちゃ速い状態で、大量の歩行者を穴に落とさず、無事に導けた時の快感は最高でした。

最高得点は999点で、3回ミスをするとゲームオーバーになるのですが、200点、500点に達するとミスが帳消しになり、改めて3回ミスをするまでゲームを続けることができます。

このあたりのゲームバランスは絶妙でしたね。
いつも480点ぐらいになると、歩行者のスピードが上がってミスの可能性が高まる緊張感と、あと少しでミスが帳消しになる緊迫感が重なり合って、なんとも言えないドキドキ感を毎回味わってたのを思い出します。

単純でしたが、ほんと面白く楽しく遊ばせていただいたゲームです。

さいごに~偶然が生み出した奇跡のお話~

さいごに、ゲーム&ウオッチが生まれるに至った有名な奇跡のお話をして、記事を締めたいと思います。

ゲーム&ウオッチを開発したのは、横井軍平さんという任天堂の社員の方です。ゲームをある程度詳しい方であれば、ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、とても偉大な方で著書もいくつか出版されています。

任天堂で有名な方と言えば、マリオ、ゼルダの生みの親である宮本茂さんの名前があがるかと思いますが、その宮本さんと並ぶといってもいいくらい、任天堂を世界的な企業へ導いた偉大なゲームクリエイターです。

しかし、このゲーム&ウオッチは本当に偶然から生まれたものでした。

当時の山内社長の専属運転手が風邪で休みとなり、その代理としてたまたま横井さんが社長車の運転をする日がありました。

横井さんは運転中、雑談しながらもせっかくの機会なので、ゲーム&ウオッチのアイデアを社長に話をしたとのこと。

社長もそこまで真剣には話を聞かなかったとのことらしいですが、その日たまたま会合で山内社長とシャープの社長が話す機会があり、当時シャープが電卓の需要の頭打ちで、液晶生産用の新工場の稼働をどうにかしないと頭を悩ませいていたちょうどその時に、ゲーム&ウオッチの構想を話題にしたところ意気投合。あっという間に開発がスタートしたとのことでした。

今でこそ任天堂は超優良企業ですが、当時はまだまだ借金もある状態でした。しかし、ゲーム&ウオッチの大ヒットで一気に黒字となり財務状況も改善。その資金でファミコンの開発が始まり、現在のSwitchの大ヒットにつながっています。

たまたま専属運転手が風邪になり
たまたま横井さんが代理運転手に選ばれ
たまたま社長にゲーム&ウオッチ構想を話す機会が生まれ
たまたまその日の会合にシャープの社長が出席していた

この話を聞くと、ホント人生なんて、何がきっかけで動き出すか分からないものだなあと思ったりします。

若い世代の方は、やっぱり「なんのこっちゃ?」かもしれませんが、私と同年代のゲーム好きな方は、好きなゲーム&ウオッチがひとつぐらいあるのではないでしょうか。

最後までご覧いただきありがとうございました。

今回は古すぎましたかね(笑)
次回は一気に時代を進め、Switichのゲームを紹介します。

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