見出し画像

映画『オッペンハイマー』そこに描かれていない日本を探す

やっとこの映画を見た。直後に出てきた感想は、怒りに近いものだった。どうして私達日本人はアメリカにこんなにむごいことをされても、その後アメリカと友好関係を結ぶようになったのか。戦争が終わってからアメリカがどう日本人をマインドコントロールし、またどう日本人がマインドコントロールされてきたのか、映画には描かれていない部分について考えてしまった。

私は岡田斗司夫さんのファンで、どの動画だったか忘れてしまったが、アメリカが第二次大戦中の日本をどう見ていたかについて話している動画があった。それは、「アメリカは、日本のことを心底得たいのしれない恐ろしい民族だと思っていた。なぜならもう太平洋戦争の二年目ぐらいで太平洋の島々で日本の敗戦はもう誰が見ても明らかな状態になっているのに、日本軍はあきらめない。もう自分たちの弾薬は尽きている状態なのに、それでもまだ命を惜しむこともなく、我々に体当たりで向かってくる。こんな西洋の思考回路では理解できな民族と戦争して、なんとか本土決戦まで持ち込んだとしても、日本は簡単に降伏しないだろう」という内容だった。映画では国務長官スティムソンがさらりと「これは機密情報筋からなのだが」とこの説について述べ、日本に原爆を落とすという合意のもとに、世界初の核実験の日程が決まっていく。動画で何気なく聞いていた説に、この映画が信憑性を加えてくれたことに少しぞっとした。

「原爆の恐ろしさを伝える映像がもっとあってもよかったのでは」という意見があるが、私は原爆の恐ろしさよりも、人間がつくる組織の恐ろしさをひしひしと感じた。オッペンハイマーという天才でも、人間がある方向性をもった組織の中に組み込まれてしまったら、もう蜘蛛の巣に張り付けられてもがくしかないのだ。

まだ映画を見ていない人に伝えておきたいのは、クリストファー・ノーラン監督は決して原爆投下が戦争を終わらせる要因になったという論を指示するためにこの映画を作った訳ではないということだ。人類は科学の進歩とともに歩んでいるけれど、その科学技術をどう使うか。それについて常に私達は考えなくてはいけないのだ。そして、その技術が何であろうが、人を不幸にする目的で使われてはならない。ましてや人の命を奪う目的で使われてはならないのだ。絶対に。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?