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【書評】「文章を書いて、生きていきたい」/江角悠子

本書は筆者の江角悠子氏が、ライターとして歩んできた17年(当時)で得た知識や経験をもとに、「文章を書いて生きていきたい」と思う人へ送るメッセージの数々である。

書くことが好きな人、書くことを始めたい人、すでに書いている人。
そうした人々の抱く、
「何を書いていいのか分からない。」
「書きたいのに書けない。」
「書いても意味があるのだろうか。」
といった悩みの一つ一つに触れ、それら一つ一つに丁寧に寄り添う、励ましのメッセージが編まれている。

例えば、「書きたいけど、文章を公開するのが怖い。」という悩み。
その背景には、文章を書き、発信するとその文章のつたなさが明るみになってしまう。という恐怖が潜んでいる。
そんな悩みに筆者は、それでも白紙よりは力があり、くだらないものでもつくる勇気が大切だと訴える。
そして、生み出した文章を誰が見ていなかったとしても、「なにかを感じ取ってくれる人がこの世に一人くらいいればいいなぁという気持ちで書いている」と綴り、書くことのハードルを下げ、書き続けることを後押ししてくれるのだ。


中でも、筆者は「書きたいのに書けない」といった悩みへの大きな理由として、「五感にフタをしていること」を挙げている。
私はこの「フタの開放」が本書の大きなテーマではないかと感じた。

五感にフタをすることはつまり、
「自分の本心を感じないようにすること」
だという。
五感で感じたままに生きていると生きづらくなってくるので、人は大きくなるにつれ、本能にフタをするようになる。
そのため、自分の心の声に気づかないふりをしていくのだ。

そしてそのフタを開放するに重要なこととして、まず自分の心を見つめることを挙げている。
江角氏にとって、書く時間は、肩書や役割ではない、

「自分に立ち返る時間」
「自分が自分と対話する時間」

書くことをとおして自分と対話し、立ち返る。
そうして自分の心を見つめることが大切なのだと。

また、作家寒竹泉美氏の
「感情に不正解はない」
という言葉を紹介し、感情は他人が絶対に口出しできない領域で、間違いなどないものであると綴っている。


これを読んで思い浮かべたことがある。
私は学生時代、感じたことをそのまま発することができない世界に住んでいた。
ある事象に対し、「こう感じた」というと、「そのように感じるのは、あなたのアンテナが未熟だから」と言われるような環境だった。
それで、自分がだめなんだと責め続け、努力し続けた。
私はどうにか周りと同じように感じられるようと必死だったし、自分もみんなと同じようにそう感じていると思い込んでいた。
自分はそうじゃないということに、自分すら気づいていなかった。
しかし、そうやって過ごすうちに、本当の自分はどう感じ、どう考えているのか、分からなくなってしまった。


しかし本来、自分が感じたこと、考えたこと、抱いた感情は間違っていないはずだ。
私が支えにしている歌の歌詞に「心は誰も縛れはしない」というものがある。
自分の感じたことというのは誰がジャッジすることもできないもののはずだ。

もっともっと幼い頃、私が感じたことを発することができなかった環境に身を投じるよりずっと前。
私は自由だった。
文章を書くことが大好きで、ありのまま、綴り続けていた。
しかし、大人になるにつれ、いつしか文章も、書けなくなってしまった。

「書くたびに自分らしくなる」
筆者が引用する寒竹氏の言葉である。

そうだ。私も感情を取り戻したい。
あの頃に戻りたい。
ただ大好きで書いていた、自分。
そんな自分のことも大好きだった、天真爛漫な自分。
自分の感情は、否定しない。
これからも自分を取り戻すために、書く!


本書は、書くことをとことん見つめ、自分を向き合わせてくれる一書である。
書くためのマインドを伝え、書くことを応援するメッセージの数々は、文章を書いて生きていきたいと願うすべての人の背中を必ず押してくれるだろう。


江角悠子さん著  「文章を書いて、生きていきたい」


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