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レイコの自分⇔自分 お悩み相談室   1971年7歳「お父さんの社員旅行で、ギャン泣きしてしまいました」 

父親は、高度経済成長期の典型的とも言えるサラリーマンでした。集団で行く社員旅行が一般的だった時代で、家族を連れていくことも珍しくなかったようです。
週休二日制が始まる遥か前でもあり、平日は夜遅くまで残業と飲み会、日曜は疲れて寝ているか、ゴルフに行くかで、父親とどこかに出かけたという記憶は、年に一度あったかどうかでした。
小学生のわたしを社員旅行に連れて行ったのは、そんな日々の罪滅ぼし的な意味もあったのかもしれません。
その数少ない父親との接点の中で、事件は起こります。

 
今のレイコ(以降「レ」):あの時の気持ちは、結構ハッキリ憶えてるよ。
7歳のレイコ(以降「7」):うん。
:あれはもう、もはや「絶望」だったね。
お父さんたちの部屋に戻るのはゼッタイにイヤだ、って思った。だからもう、泣いちゃうしかない、って。

:社員旅行に連れてきてもらったって、一緒にいてくれるわけじゃなかったもんね。明るい時間、男の人たちはゴルフだし。わたしは、女の社員の人たちに遊んでもらってたんだよね。
:そう。お姉さんたちの部屋で、トランプやったりとかお菓子もらったりとかして、すごく楽しかったんだ。お姉さんたち、みんな優しかったし。
ずっとこのままでいいな、って思ったよね。でも確か夕ご飯の前に、お父さんが迎えに来たんだよね。その時、わたしは寝ちゃってたけど。
:お父さんに抱き上げられて、目が覚めちゃった。あ、連れてかれちゃう、やだ、どうしよう、って思った。
:男の人たちの部屋にね。そのまま女の人たちの部屋に居させるわけにはいかなかったからね。

:お父さんたちの部屋には絶対帰りたくなかった。
:だよね。なんかもう、臭かったからね。
:お姉さんたちの部屋は、すごくいい匂いだったのに。
:うんうん。これ、今だと差別発言になるかもなんだけどさ、オヤジ臭充満してたよね。半世紀前のサラリーマンなんて、酒もタバコもみんなガンガン飲んでたから。父親もそうだったし。泊まる部屋も確か、畳の4人部屋くらいだったかなあ。もっといたかも。6人部屋とか。
そんな人たちが集まってる部屋が、くっさくないわけがないから。今だって、そんな部屋には入りたくないね。
:でも、あんなに泣いたのに、ムダだったよ。
:普段、人前では行儀のいい子供だったからねえ。お父さんもびっくりしたと思うよ。わたしが「ギャー」って泣いてまで何かを嫌がるなんて、まずやったことなかったから。なんでそこまで泣くのかも全然わかんなかっただろうし。

:その後から、もう社員旅行には連れて行ってもらえなくなった。お母さんには「あんたが泣いたから」って言われた。
:そうだったね。今のわたしは憶えてなくて、大人になって母親から聞いた話なんだけど。その時の社員旅行だったのか、その前の時の社員旅行だったのか、スイカ割りをやったらしいんだ。それで、切ったスイカをみんなに配ってくれたってね。
:うん。もらった。
:でもさ、スイカあんまり好きじゃないよね。
:うん。
:いらないとは言えなかったんだ?
:うん。好きじゃないけど、食べられないわけじゃないから。
:で、正座して食べてたって。だから父親が同僚の人たちに「おまえのとこは随分厳しくしつけてるんだな」って言われたって。
:でも、家でお父さんに何か命令されるとかはないよ。お母さんはいろいろ言うけど、お父さんから怒られたこともないし。

:なんか空気読んじゃう子供だったんだよねぇ。お父さんに恥かかせたくない、みたいな? その子供がギャン泣きしたんだから、異常事態ではあったわけだ。その事件の後は、幼稚園に行く歳になった弟が連れて行ってもらってたね。自分が連れて行かれなくなったことでガッカリってことはなかった?
:うん。どうしても行きたいって気持ちもなかったし。でもやっぱり、泣かない方がよかったのかな。
:いや、そこまで聞き分けのいい子供でいる必要はないんだよ。大人の言うことを素直に聞くことは大事なんだけど、おかしいな、イヤだな、って感じた自分の気持ちを表現することも大事だから。そうしないと、自分は本当はどう感じているのか、っていうのがわからなくなるよ。
まあ、同じ連れていかれなくなるんだったら、泣くだけじゃなくて、「お父さんの部屋は臭いからイヤだった」って言えてたら、何か変わっていたかもねえ。


【ギャン泣きしてまで拒否したかったもの】


昭和の時代は喫煙率が高く、とにかくオフィスの仕事中でも会議中でも、バスや新幹線の中でさえも、タバコの煙が漂っているのが当たり前でした。
もちろん、社員旅行の部屋でも、子供がいようがいまいが関係なくタバコが吸われていました。けれど、親に連れてこられた子供には、親のいる部屋以外に泊まるという選択肢はありません。

今思えば、その独特の臭さは好きではないけれど、ある程度慣れていたはずでした。父親が家でも普通にタバコを吸っていたからです。
ではなぜ、この時は父親たちの部屋に行きたくなかったのか。

当時、小学生だった自分には言語化できなかったのですが、今ならその本当の理由はこれだったな、というものが思い当たります。

それは、あの男性ばかりがいる部屋で、自分だけが子供で、女だという、ただ一人異質であることを感じていたからです。存在を危ぶまれるような思いをしたとか、そんなことは全くありません。むしろ、気を遣われていたように思います。
しかし、何しろ居心地が悪い。身の置き所がない。そして臭い。
お姉さんたちの部屋が、居心地がよくて楽しかったのは、自分と同じ属性の人たちといられて、安心だったからです。

当時、父親は30代半ばでした。小学生の子供が、まさかそんなことを感じていたなんて、想像もできず、ただただ戸惑ったことでしょう。わたしが激しく泣いた理由がわからないので、また泣かれるのを嫌い、それ以降、社員旅行に連れていくのをやめたのでは、と思いますが、もしかすると異性の子供の親離れを感じたからかもしれません。

母親には、連れていかれないのは泣いたせいだ、と言われましたが、それは「男」や「父親」という存在に逆らってはいけないという固定観念があったからでは、と思われます。
そう言う母親も、本来は自己主張の激しい性格であるため、日々、身に降りかかる理不尽さと闘っていたらしいことは、わたしが大人になってから聞かされました。

普段は従順な子供がなぜか激しく逆らった、その「なぜ」を子供本人に問いかけてもらえたらよかったかな、と思います。そして、子供本人も「なぜ」のところを何でもいいので言う。聞き入れてもらえないかもしれないけど、とにかく言う。それは、自分自身のために

でも、なかなかうまく自己主張ができないまま育っていっちゃったんだな、わたしは。


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