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僕自身の、日本の伝統文化・芸術との関わり方について振り返って論じる

学校の課題でちょうど投稿するに当たっていいネタが来たのでこちらの方にで書いてみようと思う。

といっても難しいな。いままでそんな関わってこなかったし、関わった記憶を掘り出していこう。まずどんなものがあるか上げていく、武道(剣道、柔道、相撲など)、食べ物系統でいけば、箸、寿司、納豆、すき焼き、日本酒、緑茶、お茶、お餅

あと、書道、茶道、俳句短歌、落語、歌舞伎、獅子舞、楽器で言えば、琴、三味線、和太鼓

考え方、わびさび、はんなり、大和魂、禅

行事、書き初め、初詣、七五三、ひな祭り、はなび、かるた、百人一首

調べながら書いたが伝統はたくさんでてきた。自分の視野が狭すぎて何も見えていなかった。伝統っていっても生活の一部って感じがするな。

芸術の方も軽く上げていく、和楽器、水墨画、版画、漆芸、彫刻、陶芸?(朝鮮から伝わってきてたような気がする)

いや、伝統文化で調べた時点で芸術も殆ど上がってましたね。

 

 日本の伝統文化、と考えたとき、自分はほとんどアイデアが浮かばなかった。全く鉛筆が進まず、非常に困り果てていた。仕方ないのでネットで調べてみた。するとほとんどが知っているもので、自分の視野の狭さを自覚した。だが、なんで気づけなかったのだろうか。それは日本の伝統文化は生活の一部となっていて、幼いことから触れ合って来ているからであるからだと思う。正月も、彫刻も、書も、七五三もそうである。日本人は私と同じで伝統文化が存在するのが当たり前で、その時期になったら少しやるくらいで存在感や特別感が薄れているのではないかと思う。
 谷崎潤一郎氏の文化論では日本の美しさは陰翳に起因していて、ぱっと明るいところでは日本の美しさは生かされない。光と影と漆器などが合わさると美しさが発揮されると言っていた。そしてその話をもとに日本人の伝統的な美の存在が薄れてしまうということを危惧しているということを伝えていた。これは特に最もな主張だと私は思っている。前段落で述べた通り日本人にとって伝統的な美しさというのは当たり前になっている。だから谷崎氏が言っていたような、陰翳と日本の伝統物との相互作用による美しさというのは見慣れていてそれを美しいと思う感覚が薄くなり、他の新しいものの美しさ、現代で言うところのデジタルの絵やデザインなどにより美しさを感じるようになっていると思う。
 以上より、私も含め日本人は伝統が当たり前となっていて、日本のものに対する関心などが薄くなっていると思う。

提出用の小論文をここに書いてみた。下手くそかつ、穴だらけでツッコミどころが多い文章ですみまそん。笑

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