グリーフワーク
冷たい廊下だった。きれい好きの母は、家じゅうを磨いていた。大抵わたしが帰宅するころには、家事のすべてが終わり、夕飯の匂いがしていたが、わたしは少しも嬉しくなかったし食べたくもなかった。わたしが「痩せたい」と言ったらたいてい唐揚げが食卓に並ぶ。とにかく太らせておきたいのだ。
それは、わたしが幼かったころ、体が弱かったから痩せたらまた病気になると心配した結果なのかもしれなかったが、わたしには「いじめ」にしか感じられなかった。
「心配してるのよ!」と「良かれと思って」が母の口癖だったが、よかれと思ってわたしのダイエットを邪魔する。心配しているから唐揚げを出す。彼女の頭の思考回路が良く分からない。ダイエットしたいというわたしの希望は無視され、彼女の意向が常に優先される。
忘れられないのは、リビングで彼女が日本酒を抱えながら吞んでいる姿。わたしは恐る恐る「ただいま」と告げる。鬼の形相で彼女はわたしを見つめる。無言の圧力で彼女の前に座る。毎度毎度同じ話を聞かされる。
いかに彼女が美しかったか。何人の男性から告白されたか。その中から彼を選んで「やった」こと。わたしは彼女のカウンセラーだった。同じ話を何度も何度も聞かされ、「すごいね」と言い続けた。げんなりしていた本当は。
また酒に助けを求めている。そして誰でもいいから自分を承認してほしい。事故承認欲求の塊の女がそこにいた。わたしは彼女のような親にはならないと中学生のころから自分に誓っていた。
お話にもならない思いついたことを書いてみます。
どうして親を捨てたのか。わたしはときどき後悔したりします。あの人達を捨ててしまった。
高校も大学も私立。一人暮らしまでさせてもらった。離婚するとき、疎遠だったけれど別居の手伝いをしてくれた。たくさんのお金を使わせてしまった。
それなのに親を捨てていいの?
ふと気が付くと一人であることに気づく。私の後ろには誰もいない。孤独だ。愛着障害という言葉に振り回されて親を捨ててしまっただけなのではないかな?とんでもない親不孝ものなのでは
頭がぐるぐるします。
私の横には誰もいないし、後ろから微笑んで見守ってくれる誰かもいない。友達もほとんどいない。
元気なふりして仕事に行っているけど元気な自分の仮面を被っているだけ。本当の自分なんて本人である自分ですら知らない。
わたしはこれからどうなっちゃうんだろう。
今日はそんなことを考えています。
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