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あなたは神様から授かったものを活かしていますか?Are You Using Gifts From God?

人間の人生において、最も大きな悲劇は、生きていくために何の目的もなく、何の目標もなく、一貫した方向性が何もないことです。

あなたは、あなたの人生の中で、あなたが生きていく目的や目標、方向性がありますか?

神様の存在を、常に意識していくことは、神様が私たちのそれぞれの人生に計画を持っていることを思い出させてくれます。

神様にはご計画があり、私たちは神様のご計画に組み込まれています。

だからこそ神様は、私たちを助け、神様が私たちに達成してほしいと望んでいることを達成するための才能、能力、スキルを私たちに与えてくださるのです。

もしもあなたが、何らかのスキルや技術を既に持っているのであれば、あなたにはそれを活用する責務があります。

理由は、あなたが持っている スキルや技術というのは、神様があなたに与えてくれたものなのですから、神様が与えてくれたものを使用しないことは、神様に反発していることと同じなのです。

神様は、神の子供として生きている私たちには、賜物(スピリチュアルギフト)を授けてくれています。

上記の2つ以外の賜物については、私のオフィシャルWEBサイトでお話していますので、よろしかったらご覧下さい。

私たちは、神様の栄光を示すために、自分たちが授かった賜物(スピリチュアルギフト)を活用し、神様のために奉仕をする必要があります。

さらに、私たちは賜物(スピリチュアルギフト)以外のスキルや技術も持っています。

もしも私たちが、他の人よりも上手にできることがあったり、もしも私たちが他の人にはできないようなスキルや技術を持っている場合は、そのようなスキルや技術を活用することで、私たちは自分たちの生計を立てることに役立てることもできるでしょう。

コリント人への手紙 Ⅰの4章の中では、パウロは自分が生活のために、自ら汗水流して働いたということを語っています。(コリント人への手紙 Ⅰ 4:12)

パウロは宣教者でありながら、自分の手で働いて生計を立てていることを誇りにしていました。

では、一体、パウロはどのような仕事をして生計を立てていたのかというと、使徒の働きの18章の中にパウロがおこなっていた仕事が書かれています。

実は、パウロは『天幕作りの職人』だったのです。(使徒の働きの18:3)

パウロは、天幕作りのスキルと技術を持っていたため、このスキルと技術をパウロ自身の生計を立てるために活用していたのです。

では、なぜ、パウロが自分の生計を立てるために天幕作りの職人としての仕事を続けていたのかというと、理由は、

他のクリスチャンたちに、自分の労働を通して、勤勉さと自給自足の模範を示したかったから

ということなのです。

パウロのそのような姿は、神様の福音を広める上で、人々に信頼性をもたらすものになりました。

パウロは神様への奉仕をしつつ、それと同時に、自分のスキルや技術を活用した仕事に取り組むことによって、受け取ることよりも与えることを模範とする姿を、人々に見せていきました。

パウロは、使徒の働き第20章の中で、このように言っています。

私はこのように働くことによって、弱い人たちを支援しなければならないことをあらゆる面で示してきました。 そして、「受けるより与えるほうが幸いである」という主イエスの言葉を思い出してください。(使徒の働き20:35)

And I was a constant example to you in helping the poor; for I remembered the words of the Lord Jesus, ‘It is more blessed to give than to receive.’”(Acts20:35)

パウロは、自らの労働を通して、勤勉さを体現し、他者に依存するのではなく自分のスキルと技術を使って、自分の必要性を満たすことを実践していたのです。

もしもあなたが、既に何らかのスキルや技術を持っているのであれば、それらを活用して生計を立てることをおこなっていってくことも大切です。

既に、もしもあなたが、他の人たちよりも上手にできる何かを習得していたり、あなたにとって簡単にできるスキルや技術を持っているとしたら、あなたは、それらをどのようにして、習得したのでしょうか?

あなたがスキルや技術を習得できた背景には、他の誰かからの協力やサポートがあったのではないでしょうか?

それはもしかしたら、金銭面での協力やサポートかもしれませんし、精神面でのサポートかもしれません。

さらには、そのスキルや技術を、あなたに教えてくれた人たちもいることでしょう。

私たち人間が持っている悪い側面のひとつは、

●自分が助けてもらったことを、いとも簡単に忘れる

ということです。

私たちは、誰からの助けもなしに、自分ひとりだけの力で存在することはできません。

今のあなたになるまでには、必ず、誰かからの助けや支援があったこはずです。

その背景には、あなたに協力してくれた人たちの献身的な思いや、その人たちの自己犠牲があったということを、決して忘れてはいけません。

神様は、あなたがこの世で生き延びていくために必要なスキルや技術を授けてくれています。

神の子供である私たちは、最終的には『神の国』に行きますが、しかし、それまでの間は、私たちはこの世で生き延びなければいけません。

神の国では、永遠の命と食糧が保証され、病もなく、痛みもなく、苦しみもない素晴らしい生活が保証されておりますが、残念ながら、この世での生活はそうではありません。

神様は、私たちがこの世で生き延びることができるように、私たちに適したスキルや技術を授けてくださっているわけですから、私たちが、この世にいる間は、私たちが持っているスキルや技術を、この世での生活に役立てることが大切です。

私たちが受け取った賜物やスキルや技術がなんであれ、神様はそれらを、『他の人に奉仕する目的』

あるいは、『あなたがこの世で生き延びていくため』に使用できるように授けてくださっています。

ですから、もしもあなたがそれらを使用しない状態である場合、それは神様からの頂き物を拒絶しているという意味にもなるのです。

私の両親は、私がプレゼントした物を使わずにしまっておくという人たちでした。

私は、学生時代にアルバイトをしていた時期がありましたが、一生懸命、働いて、アルバイトでもらった収入の中から、私は両親にプレゼントを贈りましたが、私が贈ったプレゼントは使ってもらえませんでした。

私が一番最初にアルバイトをした年齢は、私が18歳の時でした。

18歳の時に私が初めておこなったアルバイトは、スーパーマーケットでのレジ係でした。

その当時の私の時給は500円です。
1時間働いて、500円の収入をいただくわけです。

時給500円ですから、それほど、大きな収入にはなりませんでしたが、それでも、私は自分が働いて得たお金で、両親にプレゼントを買い、贈りました。

しかし、私からのプレゼントを受け取った両親の言い分はこうです。

「勿体なくて使えない。もらったプレゼントは、いつか大事な日に使うために取っておく。」

ということなのです。

しかし、私が贈ったプレゼントは、結局、使ってもらえませんでした。

そして、このようなことは、私が大人になり、社会人になってからも、ずっと続きました。

私は、両親のお誕生日や母の日や、父の日、その他にも、私がどこかに出かけた時は両親にお土産を買ってプレゼントをすることを長年、続けてきましたが、私の両親は、いつも、私からのプレゼントを使わずに、タンスの奥にしまっておくのです。

私は、その都度、「なぜ?折角、プレゼントしているのに、どうして使ってくれないの?」と、悲しく思いました。

心を込めて、折角、プレゼントした物を使ってもらえない…。

これは、プレゼントを贈った側から見ると、自分が贈ったものと、自分自身の両方を拒絶されているように思えることです。

そんな私の両親ですが、両方とも、既にこの世での命を終えました。

以前、亡くなった両親の遺品整理をしていた際、私は、私が両親にプレゼントした贈り物たちが、一度も使用されずに、袋に入ったまま、残っているのを見つけました。

両親が、私からのプレゼントを使う機会は、残念ながら、もうありません…。

「もらったプレゼントは、いつか大事な日に使うために取っておく。」

と言っていた私の両親…。

でも、その日はもう来ません。

この世での命を終えるということは、そういうことなのですよね。

私自身は、誰かが私にプレゼントをしてくれたものは、感謝して有難く、使わせていただきます。

理由は、私にプレゼントをしてくれた方たちの『思いやりの気持ち』や

『プレゼントを選ぶために使った時間』
『プレゼントを買うために使った彼らの貴重なお金』

を、私は大切にしたいからです。

頂いたプレゼントを使用しないという行為は、そのプレゼントを贈ってくれた方たちの『思いやりの気持ち』『プレゼントを選ぶために使った時間』『プレゼントを買うために使った彼らの貴重なお金』を、無駄にしていることになるのです。

私は、過去にお金にとても困った時期がありました。

その当時の私は、とても貧乏で、毎日の食事が、お米と卵だけという生活を送っていました。

貧乏過ぎて、私は野菜を買うお金さえもありませんでした。

その当時は、私は東京に住んでおりまして、住んでいるアパートの家賃は高く、私は家賃や光熱費を支払うだけで精一杯だったのです。

そんな時、私に助けの手を差し伸べてくれたのは、その当時の私の友人でした。

彼女は、お金がない私のために、食材をたくさん買って持ってきてくれました。

彼女も決して、裕福だったわけではありません。

しかし、彼女は、私のために、片道、2時間半、電車に乗り、バスに30分乗り、私の住まいまで食材を届けてくれたのです。

私は、彼女のその思いと、彼女が私のために使ってくれた時間と、彼女が私のために使ってくれたお金にとても感謝しました。

私は、誰かが私のために何かおこなってくれることがある場合、その方たちの『時間』や『労力』と、ときには『その方たちが私にかけてくれたお金』を考えます。

それを思えば、誰かが私に与えてくれたものを使わずにしまっておく、ということはできないと思うのです。

「勿体なくて使えない。」

というような私の両親の考えは、その人の好意を無下にするような行為だと私は思いますし、そんな両親の姿を見て、私はいつも悲しく思いました。

「いつか使う。」という「いつか」というのは、残念ながら、来ることがありません。

そして、

「いつかやる。」という「いつか」というのも、残念ながら、来ることがありません。

人間には、必ず、死が訪れます。

通常、多くの皆さんが言っている「いつか」というのは来ることがなく、「いつか」が来る前に、人はこの世での肉体の死を迎えるのです。

もしもあなたが、あなたが上手にこなすことができるスキルや技術を持っていたら、あなたはそれを「いつ使用するのですか?」

もしもあなたが、何らかのスキルや技術を持っている場合、そして、もしもあなたがそれらを活用する生活を送っていない場合、そのスキルと技術を授けてくれた神様がどのように思うのか、想像してみてください。

神様は、あなたがこの世で生き延びるために必要なスキルや技術を授けてくださいました。

でも、それらをもしもあなたが使用していない場合、神様の目からみたら、あなたはどのような人として映っているのでしょうか。

エペソ人への手紙4:7-8では、このように言われています。

キリストは私たち一人一人に、それぞれ賜物を与えてくださいました。ご自分の豊かな賜物の宝庫から、お心のままに与えてくださったのです。
(リビングバイブル/エペソ人への手紙4:7-8)

But to each one of us grace has been given as Christ apportioned it. (Ephesians4:7-8)

私たちは、賜物(スピリチュアルギフト)と、さらには、この世で生き延びていくためのスキルと技術を神様から授かっています。

そのため、私たちは自分が授かった賜物(スピリチュアルギフト)と、私たちが持っているスキルと技術に感謝をし、それらを活用していくことが非常に重要です。

理由は、神様は、何の意味も目的もなく、私たちに賜物(スピリチュアルギフト)と、スキルと技術を授けているわけではないからです。

聖書では、このように言っています。

神はあなたがた一人一人に賜物を与えておられます。それぞれに与えられた賜物によって、互いに助け合い、神からのあふれる恵みを他の人と分かち合いなさい。

説教するために選ばれた人は、神があなたを通してじかにお語りになるように語りなさい。

人に奉仕するために選ばれた人は、神が下さる力に満たされて人々を助けなさい。(リビングバイブル/ペテロの手紙Ⅰ4:10-11)

Each of you should use whatever gift you have received to serve others, as faithful stewards of God’s grace in its various forms.

If anyone speaks, they should do so as one who speaks the very words of God. If anyone serves, they should do so with the strength God provides, so that in all things God may be praised through Jesus Christ.

To him be the glory and the power for ever and ever. Amen.
(1 Peter4:10-11)

神様は、あなたの人生の計画を持っており、それを実現するために必要なスキル、技術を習得させる機会を与え、さらには、賜物(スピリチュアルギフト)を与えてくださっています。

ですから、あなたはそのことに感謝をし、それらを活用するための道を探す必要があります。

私がとても尊敬している世界的にも有名な伝道者であり、師でもあるDr. Charles Stanly牧師は、人々がなぜ、自分たちが授かった賜物やスキル、技術を活用することをせず、なおかつ、神様に仕えることができないのかについて、以下の理由を掲げています。

1.Ignorance of Scripture.
聖書に対する無知・正しい知識の欠如。聖書を正しく理解していない。

クリスチャンの中には、神の言葉が自分たちについて何と言っているかを正しく知らないために、自分たちの霊的な賜物(スピリチュアルギフト)を活用しようとしない。

2. Inadequacy.
不適当・無能・不十分だと感じる気持ちを持つ。

人々が神の力ではなく、自分の弱さや足りない部分に焦点を当てていると、人は神の働きを達成できるとは感じられなくなる。そのような理由によって、授けられた賜物やスキル・技術を活用しようとしない。

3.Guilt.
罪悪感・自分に対する無価値感を持つ。

過去の罪によって、自分には価値がないと思う『無価値感』によって、人々は自分が神への奉仕をする資格を剥奪されたと誤って信じてしまう。そのような理由によって、授けられた賜物やスキル・技術を活用しようとしない。

4. Fear of failure.
失敗することへの恐怖。

クリスチャンの中には、『失敗を自分が必要なことを学んで改善する機会』と見なさず、失敗することを恐れて、授けられた賜物やスキル・技術を活用しようとしない場合がある。

5. Laziness.
怠ける心。怠惰。

自分が労働をすることや、仕事をすることを避けたい人は、授けられた賜物やスキル・技術を活用することを、積極的に自発的におこなおうとしない。

6. Unwillingness to commit.
コミットメントをする気がない。

神から授かった賜物を使用することは、一部の人々にとっては責任重大に感じるため、一部のクリスチャンたちは、コミットメントをしようとしない。

7.Lack of love for other people.
他人に対する親切心や思いやり、人間愛の欠如。

他者のことを気にかけていない人は、自分以外の誰かに向けて、親切な行為や自分の労力を差し出そうとしない。

8.Selfishness with time.
時間と共に利己的になる。

自分の利益のためだけに、自分の時間を使いたい人は、「時間がない。」「忙しい。」と言い、他者を助けるための時間を確保しようとしない。

9. Poor time management.
時間管理がうまくいっていない。

時間とは作るものであり、自分自身で確保するものであるが、時間管理がうまくいっていない者の多くは、時間を無駄に過ごしている。

10. Comparison.
他者と自分とを比較する。

他の誰かの方が、自分よりも、もっと上手にできるのではないかと妄想し、折角のチャンスやトライする機会を断ってしまう。

11.Sin.
罪びとのまま生きている。

人々が罪の中に生きているなら、神に仕えたいという願望や、神の栄光を示すための働きをするための情熱を持つことはできない。

今の時代、この世で生きていくことは、簡単ではありません。
理由は、この世には、誘惑につながることがたくさんあるからです。

さらには、慈愛の心を無くし、心ない言葉を言う人たちもいることでしょう。

聖書では、最後の時代は、益々、人々が愛をなくし、冷たくなっていくと言っています。

しかし、私たちには、神様という絶大な盾と、神様という道しるべがあります。

だからこそ、神様から授けられた知識と力を使い、神様の国に行くまで、精一杯、前進していくことが大切なのです。

イエス様の弟子であり、神様から預言の賜物を授かったペテロは、私たちに向けて次のように言っています。

愛する皆さん。ますます熱心に、自分がほんとうに神に招かれ、選ばれた者であることを確かなものとしてください。そうすれば、決してつまずくことなどありません。
(リビングバイブル/ペテロの手紙 Ⅱ1:10)

So, dear brothers, work hard to prove that you really are among those God has called and chosen, and then you will never stumble or fall away.
(2 Peter1:10)

神様は、あなたを神の子供として選びました。

そこには、神様の大きな愛があることを、私たちは常に覚えておく必要があります。

では、ここで、とても有名な賛美の歌を1曲、ご紹介させていただきます。

【主の愛が今】
作詞/作曲 滝元開・典子

主の愛が今あなたを包む
打たれた傷も癒される

主の愛が今あなたを包む
嘆き悲しみ逃げ去る

傷付いた主の愛の手が動き
あなたの上に留まる

全能の主の愛の手が包み
あなたの心を癒される

私のお話を聞いてくださっているあなたが、心穏やかに毎日、過ごすことができ、あなたが神様から授かったものを活かしていけるあなたになることを、私は切に願っています。

Article by Toshie Ito ©copyright Good news Minstries with Toshie Ito

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