見出し画像

元気をもらっているのは私の方だ

「気分が晴れたから書けなくなった」のではなく、「発狂しそうなストレスに晒されているから日記と周囲への感謝しか書いていない」のだと気付いた話。

周囲に生かされていることに気づいた

だから、大好きな人たちに大好きとありがとうを素直に言えるようになった。
これから職場の人などにムッとするようなことはあるかもしれないけど、基本的には流せそうだ。
顔には出ちゃうだろうけどね(それを私は悪いことだとは思わない)。素直な性格だからしょうがない。

でも、根本的なところで「なぜ今私は小説やシナリオが一部の案件以外書けないのか」を考えたら、そこに深い絶望を見つけてしまった。
その絶望に関しては語れない。精神科医と夫以外に話すことは難しいかもしれない。

メンターをもってしても立ち向かえないほどの絶望感で、まるで心に強力な麻酔薬を打たれてしまったようだ。
鬱で体が鉛のように重くなって動けないのとは、少し違う感じもする。
どちらかといえば吐き気を伴う胃部不調のときのように、組織が動かなくなってしまった感じだ。機能不全。

そんな、ともすれば発狂してしまいそうなイマをどうやって生きているのか。
「周囲の人に生かされている」
としか言いようがない。
大好きな人たちに会ったり、LINEしたり、Twitterでリプ飛ばしあったりして、感謝と大好きを伝えている。
私の周りはプロフェッショナルばかりだ。大好きをここで伝えだすと記事がどれだけあっても足りないから割愛する。
その周囲の人たちに無意識に支えられている。彼らがいなければ私は先月にでも首を吊っていただろう。
今まで明るい私のままでいられたのは、周りの人あってこそだ。

元気をあげてるんじゃない、もらってる

最近「Kyo-asuさんから元気をもらった」と嬉しいことを言ってもらえる機会が増えた。
でも逆なんだ。
私があなたから今まで元気をもらったから、お礼を言ってるだけなんだ。
運動して、大切な人に大切だと伝えることが、今私にできる精一杯。
自分がボロボロになるものに近づかない、近づけさせないようにしないと、心が崩壊してしまう。
私をボロボロにするのは、腐ったもの。(腐女子という意味ではなく笑)

ああ、自分で書いた歌詞が沁みるよ。

いまヘドロの様なしがらみ蹴って 成層圏まで一気に飛んでけ

ワンランさんの歌書きたいなーチラッチラッ(笑)
ワンランさんはみんないい子たちばかりなので。山田さんも素晴らしい人なので。みんなお仕事忙しそうだけど。

今回は少し時間がかかるかもしれない。
こうやって色んな人に連絡をとって、周りの人に甘えまくるかもしれない(甘え方が捻くれてる)。
ごめんなさい。
ちょっとだけ、こんな風に甘えさせてください。

必ず復活してみせるから。

気に入ってくださったらチャリーンとお願いします★