父の死と向き合えるまで

父の膵がんが分かって9ヶ月目。

救急搬送されて入院して、モルヒネを打つことになって、症状はどんどん悪化していった。

入院して3日目、夜中に発作を起こすので家族が病室に泊まってくださいと指示を受けたため私が泊まる事にした。

想像以上に壮絶だった。白目をむいて呼吸は激しく乱れて身体は突っ張ったまま動かない。血圧も異常に上がり意識もない。こんな発作が夜中に何度も何度も起きた。

怖い。何度もそう思った。

本人には気付かれたくない、いつまでも大丈夫だと思っていて欲しい。そして、私も。母も。家族みんなが大丈夫だと思いたかった。

私は上司の勧めがあり、仕事を休んでずっと父の傍にいたが、母は父が亡くなる事を想像もしたくなかったし大丈夫だと信じていたのでいつも通り仕事に行き続けた。

父は私に何度も「お母さんは?いつ来る?」と問い続けた。今は仕事だよ、もうすぐ来るよ。と教えると嬉しそうにした。

母がやっと仕事を休む決心をしたその前日、泊まるか泊まらないかを悩み、母は泊まらず帰る事にした。明日朝からずっと一緒にいるから、と。

容態が急変し、緊急入院から5日目の事だった。
母の背中を見つめ、名残惜しそうにしていた父を忘れられない。

まだ意識もしっかりしてるし返事もちゃんとする。
身体もがっちりしてるし大丈夫。
まだ生きてくれる、そんな風に思いたかった。
どこかでもう長くないだろうと感じながら、それは信じてはいけないと気付かないフリをした。

その頃の父はもう起き上がる事も出来ず、何度も何度も発作を起こし、聴力も失っていた。その日、新しく発作の原因と思われるてんかんの薬が処方されたが、意識もハッキリしていたので何故か家族みんなが「大丈夫だ。」と思っていたのだ。なんの根拠もない大丈夫を信じていた。明日がくる。明日も会える。これから良くなるんだ。そう思いたかったのだ。

私たち夫婦も24時間体制で病院にいたので気を弛めて、久しぶりに家に帰った。久しぶりの家のベッドはとても気持ちよくてすぐに寝入ってしまった。



朝5時、病院からの電話。

母が会えると信じていた明日は来なかった。



父が亡くなった。



誰も想像しなかった。大丈夫だと思っていた。

明日は来るんだと信じていた。

あんなにしっかり意思表示をしていたのに。

こんなにあっけなく逝ってしまうのか。

家族の誰も傍にいなかったのがいけなかったのだろうか。父の気持ちを支える誰かがそこにいれば何か変わったのだろうか。

1番落胆し、後悔したのは母だった。

こんな事なら明日と言わずずっと一緒にいれば良かった。仕事になんか行かなければ良かった。と大泣きした。

父は、母に対してああしろこうしろとは絶対に言わなかった。この期に及んでも仕事に行かないで、なんて1度も言わなかった。母の思うように好きなように出来るようにしていたのだ。

父は鬱に罹患した時もそうだった。母が好きなように生きられるように、仕事が出来なくなってもお金に困らないようにそれだけは諦めなかった。

母を守る事が生き甲斐だったのだなとこの時痛感した。


私は父に親孝行出来ただろうか。

父の母を守るという思いは達成出来たのだろうか。

必ず会える明日なんて無い。

月並みな言葉ではあるが、私は身に染みた。

私は毎日愛する誰かに会える事に幸せを噛み締めて生きていかなければ。いつかくるその日の為に。

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