見出し画像

8年間の偶像崇拝にさよならして、新しい旅に。強迫症と戦う2022年に。

2021年のまとめができないまま、2022年になってしまった。
本当なら、毎年12月16日(2016年当時、浪人していた自分が夢を諦めて進路を変える選択をしたとき)に1年を振り返って、来年の方針を決めるのに。

でも大晦日、こんな本に出会えた。
これはきっと、ある意味で運命だ。2022年の必携本になるかもしれない。
この本のおかげで、振り返りと目的が見えた。

画像1


『強迫症を治す 不安とこだわりからの解放』
https://www.amazon.co.jp/dp/B09GS4RPV9/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1


この本を読んでいる感想として、どうやら人生が良くか悪くか変わりそうだ。おそらく、良いほうへ。著者も7年前にあってほしかった本と書いている。

これから書くことは、ひとつの告白だ。これまでにもちょくちょく文章化したり、人に話してきたことだけれど、いつもその多くを濁してきたし、あえて詩的に表現して直接的な言及は避けてきた。

しかし、8年という歳月が流れて、もう24歳だ。社会人になったし、おじさんになるのも現実味を帯びてきた。
いい加減、向き合わなければいけないのかもしれないから、これを機に書いておくことにしようと思う。



まず、前置きとして
ぼくは #強迫症 という精神疾患の障害を持っている。
そしてぼくは、この強迫症によって、かなり社会生活に支障をきたしているという実態がある。

比喩的な意味はなく、
“歩く”ことを含む『移動する』というただそれだけの行為が、
もはや、本来は無意識下で行われる行為が、
ぼくには上手くできない。
なぜなら無意識下で行うことができないからだ。
この苦痛は、同じような症例を持つ人でもない限り想像することが難しいと思う。
端的に言えば、悪夢そのものだ。



人生の目的と悪夢を運んできた黒い子猫

高校2年生の時、学校の帰り道の道端で、雨ざらしにされた黒い子猫の亡骸を見つけてしまったときにこの悪夢は始まった。
子猫を『可哀想だ。せめて埋葬してやらないと』と哀れに思って埋葬してあげたことが良くなかったのかもしれない。でも動物が大好きで、ペットの殺処分問題に強い怒りと、やるせなさを感じて獣医を目指していた少年だった当時のぼくにとって、埋葬してあげるという行動は至極当然なことだった。

それからというものの、道端で目に映る黒い物体はすべて「もしかしたら猫の死骸かもしれない」と思うようになった。さらに、もちろん猫の毛色は黒だけではない。白、茶、三毛、灰、その他の猫の毛色と同じ物体が「猫の死骸なのではないか」と思ってしまうようになるのには、それほどの時間はかからなかった。こうしてぼくの通学路は死骸だらけの世界になった。そしてぼくは、この感覚が異常であるという客観的な感覚を持ちながらも、その不快で苦痛を伴う妄想を無視できなくなっていった。


きっと、心の中には小さな神様が住んでいる

ぼくは小さい時から、信心深いタチだった。というより、そういう精神世界の重要性に敬意と関心を払うタイプだった。神様の存在を、善良な超自然的な力の存在をどこかで信じていた。初詣はちゃんと本気で祈っていたし、罰当たりなことはしないようにしていた。教会で祈る人々に神聖な美しさを感じたし、歴史の授業では、神様のために壮大で美麗な建築物を作る人たちの歴史を感嘆の意をもって学んだ。文化として宗教を学ぶことはすごく好きだ。人々の祈りは美しいと思う。そして、明確な信仰というようなものではないけれど、自分の中にもきっと「小さい神様」が住んでいて、自分の良心を正しく導く手助けをしてくれていると思っていた。

この宗教や精神世界への姿勢は、人生の捉え方に趣と奥行きを与えてくれた。優しさと善行を習慣にしてくれた。しかしその一方で、強迫症の悪夢にさらなる激痛を加える主犯者にもなった。

「もし動物の死骸なら、埋めて祈ってやらないと成仏できないだろう。」
「きっと神様が“気づいてやってほしい”と自分を死骸の下へ導いているのだろう。」
「これは、自分の使命なのかもしれない。」

神様は、不快な妄想に力を与え、「確認行動」という善行に走らせたのだ。

強迫症では、この不快な妄想を「#強迫観念 」、確認行動という善行を、「#強迫行為 」と呼ぶ。


強迫症

強迫症というのは、名の通り「何か」が意識の中に「強く迫ってくる」症状を持つ。患者の数だけ症例があるこの「何か」は、たいていの場合「強い不安・不快」の形をとって、頭の中にグイグイとねじ込まれてくる。思考をのっとり、無視しようとすればするだけ強さを増す。

症例は、「確認系」「汚染/洗浄系」「ピッタリ系」の主に3つにわかれる。

「確認系」は、ぼくが罹っているやつだ。良くある症例として、火事や泥棒などへの極端な不安と確認行動が挙げられている。例えば、外出時に鍵をかけたか自信がなくなって確認しに戻る、ガスをつけっぱなしにした、コンセントに埃が積もって火事になるのではないかと不安になって確認しに戻る。というようなものだ。

ここまでは多くの人も少しは身に覚えがあるかもしれない。だがそれは軽微なものだと思う。しかし強迫症の患者の場合、これらの不安や確認行動が極端に度を越え始める。何回も何回も何回も不安になって確認してを繰り返すのだ。結果、家から学校や職場に辿り着くまでの所要時間が1時間単位で増加する。他にも、車で人をはねてしまったかもしれないなどの不安から現場へ引き返すといった行動を繰り返す加害恐怖のような症例もある。

「汚染/洗浄系」「ピッタリ系」の症状は今回自分には当てはまらないから割愛するが、ぜひ調べてみてほしい。先に紹介した #亀井士郎 先生と #松永寿人 先生の共著#強迫症を治す  不安とこだわりからの解放』という本がとても詳しくまとまっている素晴らしい良書なのでぜひ参考にしてほしい。

繰り返すようだが、普通の人にもこういった不安は起こりうる。しかしそれはごく軽微なものだ。強迫症の患者にとってはこの不安が極端に大きく、無視することは大きな苦痛や罪悪感を伴う。そして、何度も何度も確認行動に身を削るのだ。

「火事が起きるかもしれない」
「火事で人やペットが死ぬかもしれない」
「泥棒が入るかもしれない」
「人をはねてしまったかもしれない」

こうした不快で不安な考えを無視することは、想像を絶する苦痛だ。なにせ、自分のせいで大切な存在や他者の命が損なわれてしまうかもしれないのだ。大きな悲痛と自責を伴う大惨事だ。

強迫症は症状が出始めてからの時間に伴って進行し、増大する。どんどんこの強迫観念や強迫行為が“習慣化”していくからだ。感覚は麻痺し、強迫行為が日常の一部になっていく。強迫症に合わせたライフスタイルしか選択できなくなる。これを悪夢といわず、なんと表現すればいいのだろうか。



共存できる病

この症状の厄介なところは、『自分の行動が異常だ』という客観的視座を患者自身がちゃんと持っているという点にある。つまり、自分の頭に繰り返し浮かんでくる不安や不快な考え(強迫観念)を「バカげた考えだ」という自覚を持ちながらも無視できず、結果確認行動(強迫行為)に走るしかないのだ。この苦痛が筆舌に尽くしがたいものであることを想像できるだろうか。

バカげているという自覚があるから、患者は自分の強迫観念も、強迫行動も隠そうと努力する。変人、奇人扱いされてしまうことが分かっているからだ。そして、無事隠せてしまうのだ。例えば、強迫行為で家を出るのに通常より数時間かかってしまっても、その分早起きすれば学校にも仕事にも支障はない。
しかし、当然のように精神も身体も大きなストレスを受ける。並大抵の精神力や体力ではやっていけないことは容易に想像がつくのではないだろうか。
こうして、常人の何倍ものストレスを感じながらも、その苦痛を隠しながら共存している人が、実は世の中にはたくさん存在している。

この症状は、悪化するとどんどん自分の行動に悪影響を与えてくる。代表的なものは『回避』と『巻き込み』だ。患者は、自分の強迫観念のトリガーを誰よりも理解している。だから、この強迫観念が発生する状況を予め『回避』こともできる。結果、家から出られなくなってしまう人もいる。行動範囲やできることが狭まり、どんどん生きる世界も選択肢も狭くなってしまう。現にぼくは、在宅勤務がある程度可能な職業でないと、就ける気がしない。
また、こういった強迫行為に家族や友人などの周囲を巻き込んで他者にも強制してしまうような『巻き込み』も起こる。家族や友人らは不合理な行動を強要され、人間関係は綻び、ひどい時は崩壊へと向かってしまう。


ここまでで、強迫症という病について簡単に紹介してきた。患者は人口に一定数存在し、毎日のように強迫観念という不安に怯え、強迫行為という苦痛と安心を伴う行動と共存しつつ、それを隠して生きている。この症状によって行動範囲や選択肢が狭まり、時には周囲の人間関係にまで悪影響を及ぼす。QOL(Quality Of Life )をいかに損なう病であることか。。。。


8年間の地獄を振り返る

この冬で、強迫観念という神に襲われ、強迫行為という聖なる儀式に囚われてから8年が経つ。症状はひどくなったり、緩和したりを繰り返している。ストレスが多い時ほど症状は悪くなるようだ。

■17歳~18歳

自転車で20分の通学路は、3時間の時間を要する猫の死骸だらけ地獄になり、受験には失敗した。
強迫観念は、猫から、鳥、ネズミ、虫の死骸へと広がっていった。もはや「見つける」というより「探す」日々になっていった。現に15匹の猫の死骸に出会い、5羽程度のハトやカラスの死骸を見つけた。飲食店が多い通りではネズミの死骸も見つけたし、夏には無数のカナブンやセミ、ミミズの死骸を見つけた。死んだウサギが生ごみと一緒に捨ててあったこともあった。溺れ死んだ犬が沼に浮いていたこともあった。全部埋めてあげた。学校でそれが噂になって、「エンジェル」というあだ名がついた。行いが天使的だったらしい。強迫観念という神に命じられて強迫行為を行うエンジェル。さして気にしていないし、今では笑い話にすらしているが、こう考えるとすごくアイロニーだ。不審者として通報されたこともあった。これも17歳のときのことだ。

たまに、まだ息のある生き物もいた。強迫観念がリアルと融合してより力を増していった。あらゆるものが死骸に見えた。落ちているゴミやビニール袋、縁石、マンホールと反射光、雨上がりの道路のシミ、なにもかも。

これは、その体験の一部を後日まとめたものだ。


次に吐き捨てられたガムを放っておけなくなった。スズメが誤飲して窒息死したという記事を読んでからのことだ。そうして、排水溝近くに吐き捨ててあるガムの塊を全部拾うようになった。
その次に、道端や川の中に落ちているゴミがだめになった。「海に流れていって海を汚染してしまうかもしれない」という強迫観念を生んだ。ウミガメやクジラの胃からプラスチックが出てきたニュースを見てからもうダメだった。毎日の通学路でゴミ拾いをするようになった。真冬でも素足で川に入ってゴミを拾った。毎日、タバコの吸殻を数十本は拾っていた。喫煙者を憎むことさえした。毎日帰宅したときには、45Lのごみ袋がいっぱいになっていた。

脇道や十字路に差し掛かるたびにその道をのぞき込んでしまって、遠くに見える何かが死骸に見えて確認行動を繰り返した。友達と一緒に帰宅して、また一人同じ道を引き返した。この苦痛を毎日3時間だ。心身ともに憔悴しきっていた。でも不登校にならず、学校ではちゃんと笑顔の自分でいた。本当に偉いと思う。


■18歳~19歳

獣医を諦めきれずに浪人した。この1年が最も暗黒の期間だった。動物の死骸という強迫観念に加えて、代表症例の「火事や泥棒への懸念」も生まれた。コンセントのトラッキング火災が怖くて、家じゅうのコンセントを確認してた。しまいには全部コンセントを抜いてから家を出た。外出の準備ができてから家を出発するまでに1時間30分かかるようになった。鍵を閉めたかを5~6回は確認しに帰った。自宅の最寄り駅に着くころには、1日分のエネルギーをほぼ使い切っていた。
自宅から最寄り駅、池袋駅から予備校までの道は死骸だらけに見えて上手く歩けなかった。赤ちゃんの泣き声が猫の悲鳴に聞こえるようになり、鳥のさえずりがスズメの断末魔の鳴き声に思えるようになった。こうして視覚に加えて、聴覚まで狂っていった。浪人という重圧に加えて、通学に強い疲労とトレスがかかっていた。まずは1限に行けなくなった。次に隔日でしか行けなくなった。最後は予備校に通えなくなった。時間に余白や自由度が多いと、強迫症はどんどん入り込んでくる。浪人期はその温床だった。獣医という夢はどんどん遠ざかって、鬱に似たような症状も出てきた。両親が仕事で出かけた後のリビングで、ソファに寝そべってYoutubeでポケモンアニメを見て泣いていた。獣医は受からなかった。当たり前だ。ぼくは泣く泣く夢を諦めて、文転した。

浪人時代の終わりのことを、こんな風に書いている。



■20歳~23歳

少し緩和しつつも、それは行動の範囲を狭めたからだった。極力、行動範囲を公共交通機関で移動できる、徒歩を伴わない場所に絞った。『回避』の始まりだ。新宿の飲み屋街を歩かなくてはいけない時が一番の苦痛だった。問題なのは、強迫観念にたまに「あたり」があることだ。合計でネズミを4~5匹埋葬して、弱っていたカラスアゲハを連れ帰って看取った。

「ここまでの精神的異常をきたすのなら、きっとこれは使命だ」とさえ思った。文系でも、動物を救う仕事を自分で作ろうと決意して、勉強会のイベントを50回以上開き、ヨーロッパの先進的な愛護施設を取材しに訪問し、似たような関心を持つ後輩の人生相談に100人以上乗ってきた。卒論ももちろん、動物関係だ。


■23歳~24歳

やりたい仕事という中でも在宅勤務の自由度が高い職場にした。そこでしかまともに社会人ができるとは思わなかった。職場の最寄り駅がごちゃごちゃしていて、ゴミやハトが多いことがひどく苦痛ではあるけれど、現状なんとか社会人はできている。自宅から最寄り駅までがやたら時間がかかって疲れ果てることや、出張先で車なんてとても運転できやしないということを除けば。


書き出せばキリがない。いくらでもでてくるだろう。それほどまでに、この8年という期間は長い。長すぎた。理解者はいない。話してないから当たり前だ。誰にも話せない。だって話せるか?こんなことを。誰なら理解してくれるだろうか?
そう、無理なんだ。無理だった。異常者だと思われたくなかった。同情もされたくなかった。


でもどうやら、このまま放っておくと、死ぬまでこの症状に向き合い続ける必要があるようだ。数十年の規模でこの症状を抱えて生きていく人は少なくない。いい加減、どこかで真剣に向き合う必要があるらしい。

強迫観念という神様

しかし、先に挙げたように、ぼくは信心深いほうだ。
強迫症に苦しみながらも、ある種、この症状を「ギフト」だととらえている節がある。強迫症があるから自分は動物の社会問題に向き合い続けることができるし、その問題に対して鋭敏な感性を持っていられる。感受性の高く、創造的な人はたいてい精神が不安定な人が多い。多くの芸術家がうつ病だったり自殺したりをしていたことを考えると、みんなそうだったんだろう。

「きっと、神様一人では対処できない下界の問題に対処するために選ばれたんだ」
「この苦痛を味わい続けることで、修行僧のように精神が練磨されて、より高尚な何かになれるんだ。」

やばい人だ。完全にイっちゃってる。でもこんな誇大妄想を、どこかで信じている自分がいる。バカだろうが、これはこの8年で形成された自分の自分だけの新しい常識なんだ。


でも、こうも思う。
そんな苦痛を味わわせるなんて、それはいったいどんな神なんだ?
傷ついた動物を救いきれない神様って、どんな神なんだ?


こんなことを言っていても埒が明かないけれど、
今はそういう精神状態だ。

画像4



神ではなく病。論理で生きろ。
強迫症を治療する

強迫症の治療には、諸説あるようだが、一番納得度の高いものとしては、「薬でサポートしながら認知行動療法(CBT)に取り組む」だと考えている。要は強迫症とは、不安の増大が習慣化して、認知の部分に歪が生じてしまっていることが問題なわけだから、行動を変えて、その認知の部分を矯正していくというわけだ。矯正とはすなわち、「強迫観念を無視し、強迫行為をしない」である。これ以上ないほどにシンプルだが、これ以上ないほどに長い苦痛を伴う治療法だ。

繰り返し想起してくる不安、不快の圧力を感じながらも懸命に無視して、その圧力が要求してくる強迫行為をしないように踏みとどまり続ける。これがいったいどんな状況なのか、先に挙げた亀井先生、松永先生の『強迫症を治す 不安とこだわりからの解放』に素晴らしい例が載っていたので引用する。

あなたは10階建てのビルの屋上の端に立っており、目の前には柵があります。ここで天から治療者の声が聞こえてきます。
「ここがビルの屋上に見えるかもしれない。実は、それはあなただけに見えている幻覚で、柵の向こうは空ではなく、地面が広がっている。覚悟を決めて柵を乗り越えれば病気は良くなる。私を信じて足を踏み出して欲しい。」
そうは言われたものの、やはりあなたには地面がはるか下に見えており、落下は人生の終了を意味します。『強迫症を治す 不安とこだわりからの解放』p101 亀井士郎・松永寿人著 

強迫症の患者が、不安を無視しようとするときの心の中はまさにこれだ。しかも、亀井先生らがその後に書いておられるように、「これでもまだ生ぬるいレベル」だ。なぜなら、柵は乗り越えてしまいさえすれば、地面でも空でもその結末が刹那に判明する。しかし実態は、柵を乗り越え(つまり不安を無視すると決め)てもそのすぐ先に答えは待っていない。数時間、場合によっては数日もの間、不安に耐え続ける必要があるのがほとんどだからだ。スローモーションで死ぬかもしれない瞬間の恐怖を味わい続けているようなものだ。そしてさらに、柵を乗り越える決断をしなくてはならないのは1度ではない。認知が正常に戻るまで、南海、難十巻、何百回、何千回、あるいはそれ以上の回数を、天の声を信じて虚空に見えている場所に足を踏み出し続けなくてはいけない。

薬物はその柵を乗り越える補佐として機能してくれる。らしい。まだ試したことがないからわからないけれど、あの苦痛が和らぐのであれば試してみる価値があるかもしれない。

ヤケクソになって吹っ切れたとしてもこの柵を乗り越えるのは難しい。自分にとって、この柵を乗り越えることは、『今すぐに助けを必要としている、今向かえば助けられるかもしれない瀕死な動物たち、あるいは自分が見つけて埋葬してやらねば、車に繰り返し轢かれてぐちゃぐちゃの肉塊になり果て、永遠に成仏できずに汚いアスファルトの上を彷徨い続けることになってしまう動物たちを「あえて無視する」』ことに他ならないからだ。尋常な精神力ではとても持ちこたえられるものではない。動物たちに他の人間と同等、あるいはそれ以上の親近感を感じ、動物の福祉的立場の向上に人生を使うと決めている自分にとって、これは自分のアイデンティティと信条を正面から否定し、過去を否定し、人生を否定し、大切な存在から背を向けることに他ならないからだ。罪悪感が永遠に頭の中をレイプするかのごとくに締め付け、他のことを何も考えられなくなる。仕事なんてとても手につかず、人と話していても何も頭に入ってこない。人間としての社会生活を行うことそのものが困難になり始めてしまう。


画像2



しかしそうも言っていられない。人生でやり遂げなくてはならないことがたくさんある。
世界中を旅したいし、訪れたい場所がたくさんある。だから行動できる範囲が制限されている人生なんて困るし、車も運転できるようになりたい。強迫症は時間も、空間も、エネルギーも奪っていく。すべて人生を前に進めるために必要なものだ。それらをこれ以上奪われてはいけない。


逃げない、変わる。

だから今年度の目標は、認知行動療法(CBT)に取り組み、この強迫症の症状を軽減することにした。これは大きな進歩だ。8年も共同生活をしてきた同居人を少しずつ追い出す作業。
まずは少しずつでいい。休みをしっかりとりながら、程度の低い強迫観念から順に強迫行為を我慢し、認知を矯正していく。
ちなみに、程度はこんな感じの表になる。

画像3


家を早く出られるようになりたい。
ポケットにゴミを詰めて帰ってくる生活をやめたい(ゴミ拾いはボランティアとしてやればいい)
道をまっすぐに歩けるようになりたい
街中を自転車で走れるようになりたい
車を運転できるようになりたい。


黒い子猫を埋めた時、「君みたいな悲しい存在をなくすために頑張る」と誓った。
轢かれた猫を抱いて泣いたこともあった。
たくさんの無残な最期を遂げた命を見てきた。
この強迫症という鎖が、自分の目的を思い出させると信じてきた。
自分がこの鎖を背負い続けることで業を担い、神様が世界を良くしてくれるとどこかで信じていた。
この鎖が、自分を特別にしているとどこかで思ってきた。
治したくて、でもどこかで治したくないのかもしれない。


九尾を封印されたナルト、スケットダンスのメインキャラ3人の過去、
親をヴォルデモートに殺されたハリーポッター、
世界の命運を握る指環を背負うことになったフロド。

何かを背負って、その苦痛を糧に進んでく主人公ってありがちでしょ?



でももうさようならしたい。
これはきっと「逃げ」だから。
逃げに思いにくいけど、逃げだ。


治すことで生まれる時間と、空間と、エネルギーを使って、自分の人生を豊かにして、動物たちにも尽くしたい。
もし本当に強迫観念が正しくて、動物の死骸だったとしても、その分を別の命を救うことで貢献したい。


だからこの病にそろそろ向き合おう。
この8年で積み上げてきた負の歴史に、形作ってきた虚構の神様にさようならをしよう。

きっともう、この神がいなくても、この呪いがなくても、
自分は前に進んでいけると信じたい。

時間と、場所と、エネルギーと、未来を取り戻しに、
勝ち取りにいくための旅に出る。

この表現はいいな。物語みたいでかっこいい。
こう捉えればなんだかやれそうな気がしてきた。


少しずつ、少しずつ。
変わるんだ。
そんな2022年にしよう。



画像5


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?