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四半世紀と70歳。

25歳になりました。

半休をとって、行こう行こうと思っていた、星野道夫さんの生誕70周年を記念した写真展へ。

生誕70年記念 星野道夫展『oneness-命の循環-』

星野さんが帰国されたときによく原稿を執筆されていたという螢明舎のカウンターの端っこの席に陣取って、コーヒーとサンドイッチとともに誕生日を過ごしています。

自分は星野さんの写真はもちろん、文章が本当に好きで。その言葉選びやリズム、表現の全てから、自然と動物たち、アラスカに佇む大気のにおい、時という概念、信心、そして生命への畏怖と敬愛の心をすごく感じることができるから。

星野さんの最後のエッセイ、『森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を求めて』にひどく心を惹かれて、遡上する鮭とアイヌの息遣いを感じるために道東の標津町を訪れたのが去年。更にそこから着想を得て、ひっそりと構想を練り続けている小説はなかなか筆が進みません...笑

しかし、あの鮭の産卵の瞬間は圧巻でした。

鮭は、産卵をするとまもなく、雄も雌も命を落とします。長い長い海の周遊の旅を終えて、故郷の川を上り、命を次に繋いで息絶える。私達が何気なく食べているサーモンたちには、なんて素敵な生涯があるのでしょう。

繰り返されてきた、そしてこれからも繰り返されていく生命の営み。それは本当に美しさそのものなのでは無いかと考えさせられます。

しかし悲しいことに、都会に暮らす私達は、ただ日常を過ごしているだけではその美しさを知り得ません。遡上する鮭が跳ねる音も、オジロワシの翼が風を切る音も、1万年の歴史の中に残り続けるアイヌの居住地の佇まいの静謐さも、すべてはその瞬間を切り取り、残し、伝えた人がいるから、私達はその存在を認知し、心惹かれ、こうして訪れることすらもできます。

だからこそ、星野さんの写真や言葉を見たときはいつも、「切り取り、残し、伝える」ことの価値の深さに圧倒され、しみじみと一息を付きたくなる。

そして気候危機を始め、これだけ変動が激しい世界では、悠久だと思っていたものも限られた枠に閉じ込められ、失われてしまうのではないかと、そんな恐怖心もいだきます。

ぼくが先日、人生で初めて完成させたドキュメンタリー映画は、この2年通い続けた『猫島』を舞台にした人と猫の在り方を切り取ったものです。

フルタイムで働く傍ら、企画から取材、編集まですべて一人で自費で行ったこの制作活動は、別に誰に頼まれたわけでも、買い取ってもらうためでもありませんでした。

ただ、そこで呼吸していた人と猫の姿は、きっと有限なものだったから。

『そこに生きている感情含めて、しっかり残しておきたい』

ただそう思ったんです。


作中では、ある一匹の猫の死にも触れていますが、かつて病気に苦しみ、回復して名前をつけられ、漁港に暮らしながら多くの人に愛されていたこの猫は間違いなく唯一無二の存在で、二度と同じ生命が誕生することはない。もう二度と、この猫と同じように人と生きた猫も現れない。

刻々と変化していく社会の中で、有限であることとその儚さの価値を感じさせてくれた猫でもあります。



人と動物の関わりというのは、とっても不思議です。人の数だけ動物へ向けるまなざしがあるし、そこに生まれる関係の数だけ、唯一の物語があります。

ぼくは、そんな物語が生まれる瞬間にできるだけ多く立ち会って、その瞬間を留めさせてほしい。そして学ばせてほしい。

25を迎えて今思う人生の目標は、そんな生き方です。

労働や時間の対価にお金をもらうとか、どうやって市場を作ろうとか、どうやって価値を生み出そうかとか、どうやって人を救おうかとか、どうやって社会を変えようかとか。

正直最近は、あまりそういう姿にはしっくりきていなくて。自分がその分野で活き活きと働いている姿も想像しにくくて。

自分にとっての『働く』『仕事をする』という感覚は、価値あるものに出会い、残すために貢献する創造的な活動のような気がしてきています。

だから今年は、もっとそれらしく生きていけるように頑張っていきます。



まだまだ暑い日が続きますが、もうすぐ秋がやってきます。葉が色づいて、月が美しくて、流れていく風が心地よい秋が来ます。
そんな秋の気配がし始めるこの時期に、生を受けたことをどこか自慢に思いながら過ごす誕生日でした。

今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

p.s.
思えば、星野さんが亡くなったのは1996年。自分が生まれる1年前です。ほんの束の間の差で、同じ空や瞬間を、生きている間に共有できなかったことが残念です。


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