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9月読書感想文:幸福な星/仲野芳恵先生

英単語や歴史の年号、数学の公式を覚えるのに必死だった学生時代。
テスト用紙が配られた瞬間、何度暗記パンがあったらいいのにと思ったことだろう。

そんなあなたに質問です。

暗記能力がチートになる注射を打てることになったら、打ちたいですか。
また、7歳の子どもの接種が義務化されていることに何も疑問を持つことなく、我が子に打たせますか。

   ○○○

今まさに消滅しようとしている国がある。最大多数の最大幸福のための選択が、やがて多くの国民に生への嫌悪感を抱かせるようになった。あるのは勝者と敗者、嫉妬、羨望、憎悪…。この国を訪れた文化人類学者がひとりの若い女性と出会った。彼女は国により選別され、多くを諦めて生きてきた。しかし、「私は私を殺さなかった」。
彼女が静かに語りだしたのはー

幸福な星 あらすじより

消滅しようとしている国がある。
この一文を読むと、悪政が行われている国で、国民は支配され文化も健康も阻害されている国全体が貧しいところだと思われるかもしれない。

だけどその国は、民主的な政治が安定して行われ、通貨の価値が高く、治安もよく、学問や文化も尊重されている国なのだ。

そんな国が、今まさに目の前で消滅しようとしている。世界に観察されながら。

文化人類学者のキャスリンは、調査のためにその国へ訪れ、"ナチュラル"でキカという名の女性にインタビューを行う。

ナチュラルとは一体何なのか、なぜ文化指数が高く、安定しているこの国が消滅しようとしているのか。
キカの語る人生を通じて、その答えに迫っていく。
※この先はネタバレを含みます※

  ○○○

◇ナチュラルと非ナチュラルとは
◇もし自分がこの国に生まれていたら

◇ナチュラルと非ナチュラルとは


この国では、20年前にチップ埋め込み手術が導入された。手術を行うことにより、記憶力が増大され、容易く全ての事項を覚えることができるようになる。
その効果は抜群であり、導入当初は選択式だったこの手術は、導入から2年後には、7歳になると検査を受け、手術を受けることが義務化された。

ただ、全員が受けられるわけではない。この手術は身体への侵襲性が非常に高く、体質により、アレルギー反応が出ると、手術は受けられない。

そうして手術を受けられなかった、ナチュラルと非ナチュラルという言葉が生まれ、人々は分断された。この場合、ナチュラルは自然という意味ではなく、野生という意味合いを強く持っている。
そのことからも分かるように、ナチュラルへの差別が問題となっている。

◇もしも自分がこの国に生まれていたら

この本を読み終わったとき、あまりにも衝撃的で、思わずこうツイートした。

絶対この本の感想を書く!と決意するほどの気持ちが生まれてきたのは、
まず、自分がマジョリティに所属しているとナチュラルに考えていることの怖さがあったためだ。

読み進めていくにつれ、ナチュラルの人がこの国で生きていくうえでの苦労や差別、政府がこうした現状に対処できていない問題がみえてくる。
そのとき、可哀想という感想が自然にでてきた自分。
なんで自分は非ナチュラルの立場にいる視点で読んでいるんだろう、って怖くなった。

それにこの国のことを、どこか遠い国のように考えて読んでいるけど、日本でもあり得る話。

調査報告書による、この国の特徴は
・ごく特定の地域でしか通じない独自の文化(特に言語)をもつ
・かつては経済的、文化的に世界有数の繁栄を誇った国である
・民主的な政治が安定して行われ、通貨の価値が高く、人々の健康と安全が守われ、学問や芸術が尊重されていた
と書かれている。

独自の言語をもつが故に、世界共通の言語を習得しないと世界で活躍できない。
そうすると、単語や文法を正確に覚えることができる方がより有利である。

TOEICを受けたり、海外旅行で自身の英語が通じなくて歯がゆい経験をしたことがあるのでそれを容易くできるなら、打ちたい。

だけど、打てない体質だったら?
打てたとしたら、打てない人へのことをどう思っていただろう。

本書では、この政策を導入するにあたって一定数そういった子ども達がでてくることは考えることができたのに、きちんとフォローがなされていなかったと書かれている。

ナチュラルと非ナチュラルで学校をわけていたけど、ナチュラルの学校崩壊は酷く、通っている生徒は少ない。
それ故に読み書きや計算ができない人もいて、ナチュラルの労働場所は肉体労働が多いとされている。

そのことについて、あるナチュラルは
目の前に道があり、ゴールにはケーキがあると分かって進もうとするけれど、その前には壁や障害物が多く、簡単に進めない。
そんな状況で、隣のレーンが何も障害がなく進んでいることを横目にゴールまで走れるかと話している。
試験日の前夜、必死で勉強をしていると発狂しそうになったとも。

一方、とある非ナチュラルの教師は、
教育課程でナチュラルの差別を習ってはいたけれど、実際に教育現場に携わることになるとナチュラルはなぜ努力しないんだろうと考えていたと話す。

私もあまり詳しくはないので、間違ったことを書いてしまっているかもしれないけど
発達障がいをもつ生徒の状況は似たような問題が起こっているんじゃないかなと考えた。

大学生のとき、個別指導塾でアルバイトをしていた。
そのとき、週2回の授業で毎回be動詞と一般動詞の違いが分からない生徒がいた。
自分なりに、生徒が理解できるように対応したつもりだけど、もっといい方法があったんじゃないかと思う。
発達障がいという言葉を、言葉として知っているだけでなく、当事者意識を持って調べたりしていたら、なにか変わっていただろうか。

この本を読んで、過去を省みることができたけど、今もなおありとあらゆる問題が、日本では発生している。

全てのことを自分ごととして捉えることは、現実的には厳しいけど、そういう問題に直面したときに当事者意識を持ってその問題に対応すること、
また、評論家気取りで批評だけすることはしたくないと考えた。
自分はマジョリティ側にいると驕らず、全員にとって良い方法を考えられるようにしていきたい。

こういう世界だから、こういう制度だから仕方ない。そのまま受け入れようとそこで考えることを停止せず、考え続けていきたい。

そうは思っても、楽な方向に流れてしまうときも、きっとある。
この本はそういう自分に活を入れる存在になると思った。

節目ごとに読み返したい本に出会えた。




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