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【掌編小説】夢から醒めたら逢いましょう

「今バイトの休憩中だから、また今度ね。……うん、いいけど、今月はもう埋まってて」
 夏、痛い日照りを我慢して、清美は大学からの帰路で彼氏と通話をしていた。突然の休講で帰宅時間が早くなり、彼女の気分はいつになく晴れやかだったが、彼氏からの電話がそれを台無しにしていた。更に、その間も日光は美に注がれ続ける。清美の苛立ちは募るばかりだ。
 清美の彼氏は、彼女の今求めているものを何も持っていなかった。危険で、スリリングで、少し強引な愛。そんなアクション映画のラブシーンのようなものを欲していたのだ。平凡で、気弱で、優柔不断な彼は清美のそんな夢見がちな理想に全く気付く素振りはない。
 しかし、他の男を探そうにも出会いがなかった。いや、学生である清美にとって出会いのチャンスは嫌というほど溢れているが、清美は出会いに積極的ではなかった。清美自身も絵に描いたような平凡人であり、自分のビジュアルや性格に自信がなかったのだ。危険な香りがする男が寄って来て、何か大事件にでも巻き込んでくれないだろうか。高校三年からの付き合い、惰性で別れられなくなっている恋人をよそに、彼女は日々現実味のない妄想にいそしんでいた。
 自宅のアパートを見付けると、清美は苛立った声で彼氏に「多分、来月も忙しいから。じゃあね」と告げ、電話を切る。
 そこから自分の部屋に着くまでの間の短い道に揺らめく怪しげな陽炎が不吉で、今朝の不可解な出来事を思い出した。
 あの出来事はきっと自分の体調のせいだろう、そう思って薬局で処方された薬が入っている紙袋を持つ右手に手汗が滲む。寝ぼけていたんだろう、少し妄想が過ぎたんだ、と自分に言い聞かせて、おののく足を動かす。
 部屋の前に着くと、一度ゆっくり深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。そしていつも通り鍵を開けて入る。誰もいない。安堵のため息をついて、玄関で靴を脱ぐが、その最中にさわやかな声が部屋の奥から元気良く飛んできた。
「おかえり、清美」
 夢じゃなかった。そう思いながら、清美は嬉しいような怖いような奇妙な気持ちで、理想の恋人に言いたかった、理想の「ただいま」を返す。
 奥から笑顔で筋骨隆々の、それでいてスリムなスキンヘッドの男が歩いてくる。白のタンクトップは、 着ているというより装着しているという感じで、白人だ。彼氏ではない。
 近付くなり、清美に温かく抱擁をする。そして、耳元で囁いた。
「ああ、清美がいなかった時間、苦しかったよ。どこに行ってたんだい」
 その風体からは想像もできない甘く流ちょうな言葉に、清美は細々と答えた。
「大学に行ってたの。あと、あたし熱っぽいの。少し休ませて」
 男性は心配そうな顔をすると、自分の額を清美に当てて少し笑う。
「こんなの熱の内に入らない。少し寝れば治るね」
 そのまま軽くキスをされた清美は、驚きのあまり一瞬止まって顔を赤らめる。男性を避けて早足でベッドへ向かうと、いくつか薬の入った右手の紙袋を慌てて漁り始める。
 清美は混乱しながらも、大好きな映画の大好きな主人公そっくりの見た目をした男の存在を喜んでいた。
 こんな夢のようなことがあるだろうか。それとも私の頭が暑さで狂ったのか。
 それがどちらか試すのなら、今飲むべきは風邪薬ではない。睡眠薬だ。
 清美は紙袋から睡眠薬を取り出し、男性に気付かれないよう何粒か飲んで、ベッドにもぐりこむ。男性が「おやすみ」と言う前に、清美は妄想から夢の中へ入って行った。

 清美は登校している。大学に、ではなく高校にだ。彼女にはこれが自分の夢だとわかっていた。
 遠く、道端に座り込みギターを弾き語る茶髪の男の姿が見える。街道には車が走っているのに、遠くの男の歌声以外は何も聞こえない。そこへ歩いて行く清美に男は気付く。清美が男の前で足を止めると、ギターを弾く手を止めてお互い無表情で見つめあう。いつの間にか男の後ろにはトラックが止まっており、 運転席からどこかで見たような顔の中年が、どこかで聞いたような声で言う。
「歌ってやんな」
 男は先ほどとは違う歌を弾き語る。どこかで聞いたような陳腐なラブソング。清美は、包み込むような歌声に合わせて口ずさみながら思った。『男の人が現れた。最近かっこいいと思っていたミュージシャンと同じ顔だ』。
 そして、現実に突如現れた白人のことを思い出す。昨晩の夢でもこんな感じで唐突に理想の男と出会ったのだ。


 昨晩、夢の中で筋骨隆々の白人と出会った。ビルを占拠するテロリストに人質の一人として捕らわれている清美を、その白人が命を賭けて銃弾の雨の中救い出すという夢だ。十何人かいた人質から、清美だけを救い出すという夢。絵面だけで言えば、まさにアクション映画のクライマックスだ。
 白人が清美を抱えて、肩から窓を突き破ったその時、彼は言った。

「俺はブルース。夢が醒めたら、また逢おう」

 清美の夢はそこで途切れる。
 清美が目を覚まして、まず耳にしたのは軽快な包丁の音。妙な夢だと思う前に、音に対しての様々な疑問が浮かぶ。
 親がアパートに来るという連絡はなかったし、ストーカーに合鍵作られてまで愛されるような美貌も愛嬌も絶対に持ち合わせていないし、彼氏はまず料理をしない……じゃあ、誰だ。
 清美は怪しさに胸の中をもや付かせながら、ベッドから起きる。恐る恐る台所に向かい、そこの扉をそっと開く。
 目の前にいたのは鍋を沸かしながら、菜を切るエプロン姿の白人男性。
 白人は清美に気付くと、エプロンで手を拭きながら笑顔を向けて言う。
「おはーー」
 咄嗟に扉を閉める清美。驚きやら、恐怖やら、後ろ向きな感情が彼女に降りかかる中、扉越しに白人は優しい言葉で「どうしたの」「何かあったの」と何度も繰り返す。
 混乱のせいで、彼女がその人が 先ほど夢で会った人だと気付くのには時間がかかった。
 その後、彼女はゆっくりドアを開けて一歩引いてから尋ねる。警戒の中、彼女はそんな不可思議なこと興奮を覚えていた。
「なんでこんなところにーー」
 白人は突然抱き付く。体が熱い。彼は戸惑いながらも拒絶しない清美の耳元で力強く言う。
「ずっと会いたかったよ、清美」
 声が響いて、清美は少し耳が痛い。しかし、清美はこの唐突すぎるドラマを悪く思っていなかったし、信じてもいなかった。彼女にとって、これは望んでいたスリルだ。
 夢で自分を助けてくれた人という非現実の中の事実だけを頼りに、白人を抱き返す。
「 まだ夢の中……だから何をやっても……」
 すっかり眠気が覚めている彼女は、それを今白人が捧げてくる見覚えのない愛に浸る言い訳とした。
 そして、従うがままに身を捧げた。清美は一限を休んだ。


 男が一曲歌い上げると、彼女の周りにいつの間にか立っていた歩道を埋め尽くす観客が大喝采を彼女に送る。拍手が鳴りやむとまた何も聞こえなくなった。観客はじっと真顔で彼を見る。
 彼はギターを持ったまま立ち上がって、その茶色の髪を僅かになびかせながら端正な顔立ちを清美に向ける。そして無邪気に微笑んで言う。清美は、まだその夢の仕組みが確かでないのに、その笑顔を見て胸を躍らせた。

「僕はカズトシ。夢が醒めたら、また逢いましょう」

 清美の夢はそこで途切れる。

 冬、寒さよりも先に、ハンセンの雄々しい怒鳴り声で清美は起きる。眠りを妨げられた苛立ちを目を瞑ったままケイスケに投げる。 「ケイスケ、今日は大学行かないから寝たいって伝えて」
 だが、いつものだるそうな返事が聞こえない。すると次はウィリーのしゃがれた怒鳴り声、それを仲裁するブルースの声が交差する。あまりにも騒がしいので、寝転がったまま薄目を開ける。
 まず目に入ったのは、部屋の隅でトビーアスが右目を抑えながら泣き啜りうずくまるその姿。横に視線を移すとハンセンとウィリーが掴み合い、その間にブルースが立っている。
「清美を一番想っているのは俺だ!」
「清美は俺だけを愛してるんだ!」
 清美が、その騒動がいつもの喧嘩ではないとわかるのは、とある血を見た後だった。


 清美はカズトシと夢で出会った日に『夢で出会った男が現実に現れる』というシステムを確信してから、 次々と新しい男の夢を見た。力強い男、可愛い男、おしゃれな男、物知りな男、詩的な男……夢は清美にとって思い通りに理想と出会えるツールとなっていった。
 清美の部屋は見る見るうちに男にまみれていった。日々違う男と遊び、日々違う男と性交した。
 慣れていくと、清美は男に飽きるようになった。「イケメンは三日で飽きるが、ブサイクは一日で飽きる。 化け物は見ているだけでも十日は持つが、愛することは絶対できない」。彼女が時々気に入った男に言う文句だ。その言葉の通り、化け物のような男とも夢で出会ったが、インテリアとして部屋の隅に座ってもらっているだけだ。
 彼らは彼女の言うことを全て信じた。男は飽きられると、決まって言われるのだ。
「富士山の頂上で百日間恋愛成就を願うと必ず叶うんだって。あたし、あなたがそこに行ったら多分今以上に惚れちゃう」
 男は必ずそれに従って次の日家を出ていくのだ。そのため、彼女の家には常に彼女が思う理想の男たちが揃っている。その自慢の男たちを引き連れて街中を歩くことこそが清美にとっての最大の愉悦になっていた。いずれ彼女は、いつも男に囲まれながら歩いている女と近所でも有名になった。
 ちなみに、彼氏が電話に全く出ない清美を心配して一度自宅を訪ねて来たが、彼女は玄関に行かず男に対応させた。彼女はその後、彼氏がどうなったか知らないし、知りたいとも思わなかった。
 彼女は自分に自信を持つようになったが、依然として大学での出会いには積極的ではなかった。そこには本当の出会いがないからだという。男の方から彼女を愛しにやって来る本当の夢のような出会いが。


 完全に目が覚めてしまった清美はある男がいないことに気が付く。さっき声をかけたケイスケはどこへ行った。見回す間もなく、それは判明する。
「僕だよ。僕が一番愛してるんだ」
 台所の扉が開くとともに、血の付いた包丁を持ったカズトシが震え声で言った。清美は小さく「え」と 漏らすと反射的に立ち上がってしまう。ここに血を流している者は誰もいない。清美には台所の方でケイスケが血を流し倒れているのが想像できた。
 カズトシをなだめようと近付くと、彼は「寄るな」と叫んで包丁を四方八方に振り回した。包丁に付着した血が清美の頬に飛び散る。彼女は小さく悲鳴を上げると、そこからの言葉が何も出ない。ハンセンとウィリーを止める者はいなく、互いに血眼で雄叫び殴り合う。カズトシの振り回す包丁の刃が、それを止めようとしたブルースの喉を横切る。トビーアスは血に怯えて、鼻息荒く指の先ごと爪を噛む。
 地獄絵図だ。いや、地獄よりもよっぽど酷い。彼女の脳裏をよぎるその言葉が、今の状況を説明するのに最も適していた。
 彼女は大量の睡眠薬と缶チューハイを掴むと、風呂場に逃げ込む。夢でもっと強い男に出会わねば、誰よりも強くこの地獄を力で解決できる男と会わねば。その一心で、手の平で山盛りになった睡眠薬を頬張り、チューハイで流し入れる。
 鍵をかけた風呂場の扉を乱暴にノックするカズトシは「もう大丈夫だよ。ごめんね」と叫ぶ。徐々に身体が冷たくなる。空になった左手で耳を塞いで目を瞑る。瞑った瞬間、急激な眠気が清美を襲い、足がよろける。体勢を持ちなおそうとする度、身体の揺れが激しくなる。塞いだ耳から聞こえてくるカズトシの叫びが静かになったかと思うと、すぐにハンセンの声でカズトシと同じ言葉が飛んできた。
 声はみるみるくぐもっていく。胃の中のものが逆流して来る感覚に口を抑えたまま、ふっと意識が飛んだ。
 勢いよく背中から体を崩す。バスタブの角が、丁度彼女の後頭部あたりに位置していた。


 男たちは消失した。存在の名残はその荒れ果てた部屋のみだ。バスタブにもたれかかる清美の口から、 睡眠薬の粒が見える。それは唾の糸を引いて、彼女の腹にぼとりと落ちた。



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【罪状】保護責任者遺棄罪

男たちの保護者である清美が対象。富士山に送り込んだ男たちが、入山しては迷子になりまくっていたため。

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